第一章

第一話

 まだ冬の寒さが残る四月の頭、俺はとある公園まで一人歩いていた。


 すれ違う子供連れの家族は、子供に法被を着せ楽しそうに歩いている。


 それを見て俺は幼かった日の事を思い出した。あの頃は何もかもが新鮮で、全てが楽しかった。


 しかし大人になるにつれ、世の中は楽しい事ばかりではない、辛く苦しく悲しい事もあるのだと知った。


 俺は目的地の公園に到着した。小学生だった頃は友人とよくこの公園で遊んだものだ。


 俺はベンチに座り、道中自販機で買った缶コーヒーを上着のポケットから取り出し、冷え切った手を温めた。

 

俺は徐々に暗くなっていく空を一人眺めていた。ただボーッとしているわけではない。ある想い人を待っているのである。


 スマホで時計を確認したが、待ち合わせの時刻をはるかに超えていた。


 今までの俺なら怒りに任せて電話をしているところだが、今日の俺は自分でも驚くほど冷静である。

 

 それにしても寒い。俺は手に持っている缶コーヒーの栓を開けた。

 

 飲み口からは湯気がもくもくと立ち昇っている。俺は飲み口を口に運び、一口飲んだ。


 猫舌の俺は口の中を少々火傷したが、その温かさは喉を通って胃の中に入っていく。すると自然と身体の中が温まった。

 

 俺はポケットからタバコを取り出し、そのうちの一本に火を付けた。煙が身体の隅々まで染み渡っていくのを感じる。


 体に悪いものだと分かっていながらも、ついつい吸ってしまう。


 これまでに何回も禁煙をしようと試みてきたが、いずれも一週間と続かなかった。そしていつしか一日に二箱を吸うヘビースモーカーへと変貌を遂げたのだ。

 

 俺は缶コーヒーとタバコのチャンポンをしながら先ほどと同じように空を眺めていると、どこからかカチャカチャと金属の重なり合う音が聞こえてきた。


 音の鳴る方を見ると、俺はそこで自分の目を疑うような光景があった。


 そこにはなんと、甲冑を身に纏った武者がいたのだ。俺は当然、今自分が目にしているモノの正体が分からず硬直し、持っていた缶コーヒーとタバコを地面に落とした。

 

 その音に気付いたのか、その武者はゆっくりとこちらに顔を向けた。


 俺はあまりの恐ろしさに腰を抜かし、立ち上がる事ができない。


 武者は俺を見ると、嬉しそうにこちらへと近付いてくる。そして俺の目の前に立つと、顔を近付けじっと俺の目を見つめた。


「そなた、わしが見えるのか?」


「……」

 

 俺は何も答えられない。

 

 そんな俺を見て、俺から顔を離すと何も言わず俺の横に座った。


 俺が隣に座る武者を見ていると、武者も俺を見て口を開いた。


「もう一度聞く。 そなた、わしが見えるのか?」


 俺は武者からの問いに、首を縦に振ることしかできない。


 俺の反応を見た武者は笑みを浮かべ、嬉しそうに立ち上がると両手で俺の肩をガシッと掴んだ。


「おぬし、それは誠か? 誠にわしが見えるのか?」


「あ、あなたは……?」


 俺は何とか喉の奥から声を絞り出した。


「ああ、まだ名乗っておらなんだな。 わしの名は戸田孫八郎守光。 今から大体四三◯年前にこの江和郷こうわのさとを治めておった。 しかし太閤殿下の小田原征伐に参陣し、そこで討死してしまった」


 俺にはこの武者が言っている事がさっぱり分からなかった。理解できた事といえば、名を戸田孫八郎守光という事。そしてこの武者はこの世の人間ではないという事である。


「ところでおぬし、名をなんと申す」


「お、俺は竹中桜輝と申します」


「オウキ? どう書く?」


「桜が輝くと書きます」


「桜が輝くか……、良い名ではないか!」

 

 守光はガハハと笑った。


「守光さん……、先程江和郷こうわのさとの領主だったと言ってましたけど、もしかしてお殿様だったんですか?」


「まあ、一応城持ちではあったな」


「城持ち? この町にお城なんてあったんですか?」


 俺の問いに反応した守光は、勢いよく立ち上がるといきなり太刀を抜いた。


「なんだおぬし、そんな事も知らなんだか! そこに山があるじゃろ! あそこにはな、かつてわしの城があったんじゃ!」


 守光は興奮しているのか、太刀をブンブンと振り回しながら言った。


 そして疲れたのか、ゆっくりと納刀すると再び俺の横に座った。


「そういえばおぬし、竹中といったな」


「ええ……、そうですけど」


「もしかしておぬしの住まいは、あの城山の西側にある大きな家か?」


「えっ……、なんで知ってるんですか?」


 俺は守光に不信感を抱いた。いくら武者の亡霊だとしても気味が悪すぎる。


「そりゃ、知っているのも当然であろう! あの場所に地行を与えたのはわしなんだからな!」


「地行……? って事は俺の先祖は守光さんと知り合いだったんですか?」


「知り合いというか、わしの家臣じゃったわい。 おぬし、今日帰ったら仏壇に仕舞ってある家系図を引っ張り出してみよ! 十右衛門という名があるはずじゃ!」


 守光は腕を組み、得意げに笑っていた。


「いやしかし、まさか十右衛門の子孫と話せるとは思ってもおらなんだ。 これも何かの縁じゃな」


「……はあ」


 俺は混乱して、今自分に何が起こっているのか全く理解できずにいた。


「しかしおぬし、やけに冷静じゃな。 わしはこれまでに何度か現世の人間に会ってきたが、皆恐れ慄いて逃げてしまった。 こうしてまともに会話ができたのも、おぬしが初めてじゃ」


 守光は微笑んでいたが、その表情はどこか哀しく、切なく見えた。


「あの、守光さん。 ひとつ聞いても良いですか?」


「うむ、もちろんじゃ」


「俺の祖先……、その十右衛門さんはどういう人だったんですか?」


「十右衛門か、おぬしに似て常に冷静な男じゃったな。 それに加えて、冗談が分かる男でもあった。 十右衛門とは腹が捩れるまで笑い合っておった。 昨日の事のように覚えておる」


 守光は過去を思い出しているのか、とても懐かしそうに語っていた。


「それにしてもおぬし、十右衛門に似ておるの。 もしかして生まれ変わりか?」


「そんなに似てるんですか?」


「ああ、その面も声も話し方もそっくりじゃ。 今も十右衛門と話しておるのかと思ったくらいじゃ。 いかん、懐かしくて涙が出てきた」


 守光は目元を拭う。 


 俺は当然、自分の先祖は見た事もなければ話した事もない。


 しかし当時実際に会って話していたと守光が言っている以上、間違いではないのだろう。


「ところでおぬし、何故こんな寒い中一人でおるのじゃ?」


「ああ……、待ち合わせをしているんです」


「待ち合わせ? 誰をじゃ?」


「彼女です。 付き合っている彼女を待っているんです」


「付き合う? 彼女? 最近の男女の色恋はよく分からんが、要するに想い人って事か?」


「まあ、そんな感じですね」


 俺はポケットからタバコを取り出し、点火させた。守光はそれを物珍しい目で見ながらも話を続ける。


「ほう、なるほどな。 して、そのカノジョとやらはどんな女子おなごなんじゃ?」


「よく初対面でそんな事聞けますね」


「何っ?」


 守光は驚いた表情を見せる。そんな守光の表情が面白く、俺はつい笑ってしまった。


「なっ、何がおかしいのじゃ!」


「い、いや、守光さんのその驚いた表情が面白くて、つい笑ってしまいました」


 いつの間にか俺から守光に対する恐怖心はどこかへいっていた。これも守光の人柄のおかげなのだろう。


 もしかしたら俺の先祖も生前、守光とこのようにして話していたのかもしれない。


「ったく、本当におぬしは十右衛門そっくりじゃ。 十右衛門も、よくそうやってわしをからかいよった」


「もう俺の先祖の話はいいですよ」


「ははは、そうかそうか」


 俺と守光は笑い合った。


「俺の彼女の話でしたね。 俺の彼女はさくらといって、明るくて少し天然なところもあるんですけど、とても良い子なんです」


「そうかそうか。 それは素晴らしい女子おなごではないか」


「本当です。 俺には勿体無いくらいです」

 俺が守光に目をやると、守光は真剣な眼差しで俺をじっと見つめていた。


「では聞くが、そこまで良い女がいるのにおぬしは何故そんなに落ち込んでいる」


「えっ……」


 守光の突然の問いに、俺は言葉を詰まらせた。


「その反応からして、図星のようじゃな」


「な、何言ってるんですか! 俺は別に何も落ち込んではいないですよ!」


「強がるでない。 おぬしもしや、そのさくらという女子おなごとあまり上手くいっておらなんだな?」


「…どうして分かるんですか?」


 守光はそっと俺に向けていた視線を空に向けた。


「何故と言われてもな……。 おぬしがそのさくらという女子おなごの話をし始めた時、少しだけ声が高くなったからな」


「……」


 驚いた。なんという洞察力だろうか。守光は俺の声のトーンのわずかな変化で、俺の心を読んだ。


「どうした急に黙り込んで。もし何か思い悩んでいる事があるのなら、わしに話してみよ」


 俺は戸惑った。見ず知らずの人間に、俺の悩みを打ち明けても良いのだろうか。


 それに四◯◯年以上も昔の武者に、俺の悩みを打ち明けたところで、果たしてまともに取り合ってくれるのだろうか。


 それによく考えてみたらこの守光という男は、この世の人間ではない。


 俺はしばらく考えた後、守光に話す事にした。

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