桜武者

守屋家守

プロローグ

プロローグ

 わしは昔、太閤殿下の小田原征伐に参陣し討ち取られた。

 そして次に目を開けた時、そこは小田原の戦場ではなく、わしが生まれ育ち、領有していた江和郷こうわのさとであった。


 わしは何が起こっているのか分からず城下の民に聞いて回るも、誰一人として返事をしてはくれなかった。それどころかわしの存在に気付いていないのか、皆が無視をしていく。


 わしは居城である江和こうわ城へ向かいそこで目にしたのは、見るも無惨に打ち壊されたかつての居城であった。

 わしはこの江和郷こうわのさとに残してきた妻子の安否が気になった。わしはいても立ってもいられず、郷中を探し回ったが、ついに妻子を見つける事はできなかった。

 わしは途方に暮れた。誰一人としてわしを相手にしてくれない。妻子の安否も分からない。


 しかしわしはある事に気付いた。喉も渇かなければ、腹も減らない。そして眠くもならない。わしはもしやと思い、ある仮説を立てた。そして、その仮説が確信へと変わる出来事が起きた。


 わしが夜分に居城への道を歩いている時、ある一人の女を見つけた。わしは話しかけてもどうせ無視されると思い、何をするわけでもなくその女の横を通った。

 すれ違いざま、その女と目が合った気がした為、振り返ってみるとその女は驚きの表情を浮かべどこかへ走り去ってしまった。


 翌日、江和こうわの民が大騒ぎしていた。

 わしもその様子が気になり近付いてみると、そこで話されていたのが『殿様の幽霊を見た』というものであった。


 わしは全てを悟った。

 小田原で討死をした後に幽霊となり、この江和郷こうわのさとを彷徨っていた事。誰からも相手にされず無視されるのも、多くの民にはわしの姿が見えていない事。


 それ以降、わしは居城の外に出る事は無くなった。


 そして数十年後、再び江和こうわの民たちが騒ぎだした。何事だと思い、久し振りに城下に出てみると、わしは目を疑った。


 そこには老けたわしの妻と、大きく立派になった我が子がいた。わしは妻子に近付いたが、妻子がわしに気付く事はなかった。


 しかしわしは安心した。妻子は無事だったのだ。わしはそれだけで嬉しかった。それからのわしは、いつも近くで愛する妻子を見守った。


 わしが討死をしてから、天下は大きく動いたらしい。

 太閤殿下はあの小田原征伐を成功させ、その後二度に渡り朝鮮へ出兵させたが、その最中亡くなってしまったという。


 その後は徳川殿と石田治部少殿が対立し、不破郡関ヶ原において天下を二分する大戦が行われたという。その戦は徳川殿の勝利で終わり、その後江戸にて幕府を開いたようである。


 わしの妻子は小田原でわしが討死した事を聞くと、すぐに江和郷こうわのさとを逃げ出し、かつてより縁のあった水野氏を通じ、徳川殿に助けられたという。


 そして妻子たちは徳川殿に匿われながらも、大坂の役後、江和郷こうわのさとに戻りたいと懇願し、ついにこうして江和郷こうわのさとに戻ってきた。


 わしの子供は、水野と姓を変え、尾張徳川家に仕えた。妻も念願の江和郷に戻ってきてから数年後に亡くなった。


 そしてわしは討死してから現在に至るまでの約四三◯年間、ずっとこの江和郷こうわのさとを見守っている。


 わしの名はむろん、戸田孫八郎守光である。

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