第二話

高校三年生の春。俺は受験生だというのにも関わらず、自分の進路について何も考えておらず、毎日を流れ作業のように過ごしていた。


 学校に行っては授業を全く聞かず、ただボーッと黒板に書かれる板書をノートに書き写すだけ。


 家に帰ってからも漫画を読むか、スマホを触りダラダラと過ごすだけの日々。


 当然親や学校の先生からは毎日のように『大学は何処にするのか』だの、『受験生なんだからもっと勉強しなさい』だのとガミガミ言われていた。


 俺の反抗期は終わりに近付いていたとはいえ、毎日のようにそんな事を言われては気が滅入ってくる。


 そこで俺はある日、学校が早く終わったという事もあり特に観たいものは無かったが、学校帰りに一人で映画館に立ち寄る事にした。


 俺の通う太府おおぶ高校から近い映画館はいくつかあったが、俺は電車を何本か乗り継ぎあえて英比あぐい町の映画館へと向かった。


 とにかく、できるだけ学校の知り合いに会いたくなかったのだ。


 俺は別に友達がいないわけではない。学校ではクラスメイトと一緒にバカもやっていたし、昨年まではそのクラスメイトと数え切れないくらいカラオケやゲーセンにも通っていた。


 しかし三年生になると皆、受験生だからと言って遊ぶ事が無くなっていった。


 俺は目的地である英比あぐい町の映画館最寄りの駅に到着した。俺はそのまま改札口を通過し、映画館へと歩いた。


 今向かっている映画館は小学生の頃、何度か親に連れて来てもらった憶えがある。


 あれから五年以上の年月が経過しているが、あの頃見た景色と何も変わっていない。もしかしたら細かい所は変わっているのかもしれないが、俺には分からない。


 そんな事を考えているうちに映画館に辿り着いた。


 今は極力誰とも話したくない。俺は有人のチケット窓口ではなく、無人券売機の前に立った。


 しかしあらかじめ見るものを決めていたわけではなかった俺は、しばらく券売機の前で立ち尽くしていた。


 五分くらい券売機の前で悩んでいると、俺は後方から話しかけられた。


「もしかして、どの映画を観るか悩んでますか?」


 俺が振り返ると、そこには女子高生が立っていた。制服を見るに、英比あぐい高校の生徒なのだろう。


「えっ? まあそんな感じです」


 俺は素っ気なく答えた。


「なら今丁度チケットが二枚あるので良かったら一緒に観ませんか?」


 彼女はそう言うと、チケットを一枚差し出した。俺は数秒考える。


 俺は元々一人になりたくてこの映画館まで来たのだ。それなのに二人で、まして見ず知らずの他校の生徒と一緒に同じ映画を観るなんて、どう考えても常軌を逸している。


 それにこれでは太府おおぶ市からわざわざ英比あぐい町の映画館まで来た意味がない。しかしだからといって俺には他に観たい映画があるわけではない。


「ならお言葉に甘えて」


 俺は彼女からチケットを受け取った。


 チケットには作品名と共に『一六時〇〇分 五番スクリーン』と記載されていた。


 俺はポケットからスマホを取り出し、時間を確認したが、チケットに記載されている一六時までは、まだ二◯分ほど時間がある。


 俺たちは館内にある丸テーブルに向かい合って座った。


 もちろん俺たちの間に会話は無い。俺が気を利かせて何か話題でも振れば良いのだが、人見知りの俺にはそれがなかなかできない。


 それに彼女をよく見てみると、目は大きくぱっちりとした二重瞼で、髪の毛は肩の上あたりで均一に整えられており、とても可愛げのある容姿である。


「ちょっと飲み物を買ってきますね」


 その場の空気に耐えられなくなった俺は、彼女にそう言い残しその場を逃げ出した。


 もしかしたら彼女からすると、俺の言動は不審だったかもしれない。しかし俺からしたら、そんな事はどうでも良かった。


 とにかく俺は売店の列に並び順番を待った。俺は少しでも順番待ちの時間が長くなるよう、心の中で祈った。


 しかし現実というのは実に不条理で、俺の順番は五分と経たずして回ってきた。


 何故いつも何かしら順番待ちをしている時は何分も待たされるのに、こういう時に限って早く順番が回ってくるのだろうか。 


 しかし今そんな事を考えていても仕方ない。俺はカウンターへと一歩踏み出した。そして俺はここで、彼女に何を飲みたいかを聞き忘れた事に気付く。


 数秒考えたが、コーラを買っていけば間違いはないだろう。俺はコーラを二つ注文し、彼女の元へ戻った。


「お待たせしました。 何飲むか聞き忘れたんでコーラにしたんですけど、大丈夫ですか?」


「えっ、ありがとうございます! 全然大丈夫ですよ! 私コーラ好きなので!」


 彼女はそう言うと、鞄の中から財布を取り出した。


「あの、いくらでした?」


「ああ……、お金は大丈夫ですよ」


「でも……」


 それでもなお、彼女はお金を払おうとする。


「本当に大丈夫ですよ。 こちらこそチケット代がまだでしたね」


 俺は財布からお金を取り出し、彼女に差し出した。彼女は受け取ろうとするが数秒考え、


「じゃあ、コーラのお代と相殺ってことで!」


と言って受け取らなかった。


「でもそれだと赤字になりませんか?」


「赤字だなんて、そんな事気にしないでください!」


「しかし……」


 俺は自分の良心が痛み、それでもお金を渡そうと思ったが、彼女の真っ直ぐな目にその案を受け入れた。


 その後の俺たちは再び向かい合って座り、お互いに喋るでもなくただスマホと睨めっこをしていた。正直俺はかなり苦痛だった。


 時々目の前の彼女を見ると、スマホをじっと見つめたままどこか悲しそうな表情をしている。


 俺は何故彼女がそんな表情をしているのか、無性に知りたくなった。

 

 しかし俺の中で、『初対面の人にこんな事を聞いたら気持ち悪いって思われるんじゃないか』と思い、聞くことができなかった。


 そして彼女は突然、『はぁ〜』と深いため息をついた。


「……どうしたんですか? 急にため息なんかついて」


 俺は無意識に聞いていた。


 俺のいきなりの質問に彼女は驚いたのか、身体をビクッとさせた。


「えっ? あ……私、ため息なんてついてました?」


「はい、それはもう深いため息でしたよ」


「……やだ、どうしよう。 めっちゃ恥ずかしい……」


 彼女は隠すように両手で顔を覆ったが、隠しきれていない耳やその他の部分が赤らんでいくのが分かる。


「ため息ぐらいでそんなに恥ずかしがらなくても良いじゃないですか」


「え〜、普通恥ずかしくないですか? 初めて会った人、それに男性にため息をついているところなんて見られたら……」


 彼女はそう言うと、顔を覆っている手の指の間から目を覗かせ、俺を見る。


 その姿を見て、俺は思わず吹き出してしまった。


「あー! 今笑いましたね! やっぱりバカにしてる!」


「違います、違います! 指の間から目を覗かせたのでそれがつい面白くて……」


「うわー! やっぱりバカにしてる!」


 彼女のテンションが何故か高くなっている。俺はこれ以上彼女のテンションが上がらないよう、上手く落ち着かせた。


「なんか面白い人ですね」


「何ぃ〜、もしかしてまだバカにしてます?」


 彼女は笑いながら俺を睨む。


「だから違いますって。 純粋に面白いなって思ったんですよ!」


「本当かな〜?」


 彼女はそう言うと顔から笑顔が消え、再び『はぁ〜』と大きくため息をついた。


「やっぱり変ですよね、私」


「えっ……」


 彼女から発せられたいきなりの問いに、俺はどう答えて良いのか分からない。


「私、昔からよく『変わってるね』って言われるんです。 私は普通にしているつもりなのに、事あるごとに皆そう言うんです」


「へぇ〜、たとえばどういう時に言われるんですか?」


「ん〜、友達と一緒に遊びに出掛けると毎回必ず私が一人で単独行動始めちゃったり、道端に大きな蟻がいるのを見つけるとそれを観察し始めて、気付いたら二時間経ってたりとか……」


「単独行動しちゃうのは経験が無いのでよく分からないですけど、蟻の観察は俺もしちゃうかもしれないです」


「本当ですかっ?」


 彼女は少し大きな声で言った。


「ていうか、それって変わってるって言うんですかね? 俺からしたら全然普通の事だと思うんですけど」


「えっ……」


 彼女は驚きと喜びの混ざり合った表情を浮かべると、再び両手で顔を覆った。


「そんな事、初めて言われた……」


「それに、仮に変わってたとしてもそれはそれで個性だと思うので、気にする事はないと思いますけどね」


「……もしかして、私の事口説いてます?」


 彼女は指の間から目を覗かせて言う。彼女の言葉に、俺は飲んでいたコーラが喉の変な所に入っていき、思わず吐き出しそうになった。


「何で今の流れでそう言う話になるんですか!」


 俺の反応を見て、彼女は笑っていた。


 そして上映を知らせるアナウンスがあり、俺たちは席を立つ


「じゃあ行こっか!」


 俺は彼女について行き、劇場へと向かった。五番スクリーンに入り、彼女が立ち止まった席は中腹の中央、一番観やすい席である。

 

 彼女が座るのを見届けてから俺も座った。


 場内はまだ暖色の照明がついている。バレないように彼女の顔を見ると、その横顔はニコニコしているが、どこか暗い印象を受けた。


 俺はやや不思議に思いながらも、やっぱり可愛いなと少し幸せな気分になる。


 俺がボーッとスクリーンを眺めていると、『スマホの電源は切りましょう』という映像が映し出された。


 俺はポケットからスマホを取り出す。時間は一五時五五分、上映まで残り五分である。俺は静かにスマホの電源を切った。


 待つ事数分、照明が徐々に落とされ劇場は真っ暗になった。劇場には映画館独特の人間がゴソゴソと動く音以外は何も聞こえない。


 そしてスクリーンにちょっとした広告が流れ、映画が始まった。


 たまにはこういう楽しみ方も悪くないのかもしれない。

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