第28話

 

 皇女の誕生日を祝う夜会当日。

 セルミヤはキールをパートナーとして夜会に参加することになった。ヒューゼン邸のメイドたちに身支度を整えてもらいながら、アドルフのことを考えていた。


「セルミヤ様。宝飾品はどちらになさいますか?」


 メイドの一人に、アクセサリーが収納されたケースを差し出される。ケースの中の物は選ばず、あらかじめ用意していたピアスを出した。


「耳飾りはこれにします。この青い石に合わせたネックレスを選んでいただけますか?」

「承知いたしました」


 彼女に預けたのは、オティリオと対になる通信機の魔石が埋め込まれたピアスだ。


「それから、髪飾りは――これを」


 アドルフが最後にベネスの街で買ってくれた蝶々の形のバレッタ。


 オティリオの調べでは、かつてアドルフと暮らしていたアルフ山の屋敷は跡形もなく燃えてしまったらしく、この髪飾りだけが彼との唯一の思い出の品となった。


 メイドはバレッタを恭しく受け取り、結い上げた髪につけた。


 支度を終えて、鏡台の鏡に写る自分の姿を確かめた。長らく世間から隔絶された場所で過ごしてきて、こうして着飾ることもなかったのでなんだか新鮮な気分だ。この屋敷のメイドたちは腕が良く、化粧が施された顔は別人のように華やいで見えた。


 屋敷のエントランスに出ると、礼服に着替えたキールが待機していた。貴公子然とした佇まいで育ちの良さを感じる。

 彼はセルミヤの姿を上から下まで品定めするように眺めてから、へえ、と呟いた。


「まぁ悪くないのではありませんか。馬子にも衣装とはよく言ったものです」

「相変わらず無礼な人ですね。お世辞でもいいから、普通に褒めてくださればいいのに」


 頬を膨らませつつ彼の隣を歩き、門の前に待機させている馬車へ向かった。


「私はあなたことを色気も素養もないただの小娘だと見くびっておりましたが、改めさせていただきます。……あなたは強いお方だ」

「根性だけは昔からある方なんです。……耐え忍ばなければならないことが……多かったので」

「…………」


 キールは立ち止まって、こちらを見下ろして尋ねた。


「シュグレイズ卿があなたに危険な術を使うとは思えません。……一体、どう彼を説得するおつもりですか」

「……キール様は上書き契約の成功だけ願っていてください」


 質問には答えず馬車に乗り込んだ。

 まもなく馬が走り始め、景色が変わっていく。窓枠に手を添えて外の眺めを見つめながら物思いに耽った。


(これから私……死にに行くのね)



 ◇◇◇



 きらきらと繊細な輝きを放つ頭上高くのシャンデリア。


 磨きぬかれた大理石の床。

 華やかに着飾った参集者たち。


 セルミヤは広間の雰囲気に圧倒された。久しぶりの夜会に戸惑いながら、キールの腕に手をかけた。


「あまりきょろきょろしないでください。不審に思われます」

「う……ごめんなさい。気をつけます」


 早くアドルフに会いたいあまり、前のめりになっていた自分を諌める。あくまで自然な感じを装って、人集りの中に彼の姿を探す。


 しかし、不運にも最初に見つけたのは、憎いともいえるあの人だった。


 派手な装いで、両脇に女性をはべらせた金髪の彼は、二年前にセルミヤを一方的に断罪して国外へ追いやった、アレックス・ファーガン第二王子その人であった。


 彼に存在を悟られぬように顔を伏せて、キールの影にそっと隠れた。しかしアレックスは、すぐにこちらの存在を見抜いて早足で寄ってきた。


「な、なぜ貴様がここにいる!? セルミヤ・ラインレッツ!」


 瞳に驚きを滲ませている彼。


「……転移魔法で飛ばされた先は、帝国エルシアでした。今はこちらのキール・ヒューゼン様にお世話になっております」


 隣に立つキールが社交的に一礼をして挨拶する。


「ほう。貴様は運だけは良いようだな」


(……あなたの婚約者にさせられて国外追放された女が、運がいい訳ないじゃない)


 内心でツッコミを入れつつ、冷めた顔で見ていると、彼はセルミヤの全身をくまなく観察し、ほう……と小さく声を漏らした。


「貴様は運だけでなく、見目だけは素晴らしく成長したな。罪人でなければ、愛人として城に連れて帰ってやったのに」

「……お戯れを」


 アレックスの両脇で、彼の腕に体を寄せている女性二人が、「彼女は誰なのですか」と不安そうに尋ねている。彼女たちはどちらも初めて見かける女性だ。二年前、婚約破棄された最後の夜会で連れていたクリスティーナという恋人とはもう関係が切れているのだろう。


 アレックスに本気で恋心を寄せているらしい女性たちを見ていると、気の毒に思えた。彼は熱しやすく冷めやすい。そして、情が薄れたらどこまでも冷酷に切り捨てる人だ。……かつてのセルミヤがそうであったように。


 キールがこちらに、「ここを去りますよ」と目配せする。頷き返してアレックスから離れようとするも、手首を掴まれ引き止められた。


「なぁセルミヤ。俺は今日宮内に賓客として部屋を借りているのだ。この後、俺のとこに来ないか? なに、悪いようにはしない」

「…………!」


(なんて汚らわしい人なの……!?)


 セルミヤは絶句した。彼の腕を振り払い、思いっきり頬を引っぱたいてやりたい衝動に駆られる。それなんとか抑え、冷静に答える。


「お断りさせていただきます。手を離していただけませんか、殿下」

「どうして?」


 アレックスはいたずらに口角を上げ、手首を掴む力を強めた。抵抗しても腕を振り払えない。

 隣のキールは、国賓に対し物申して騒ぎを起こすわけにもいかず、どうしたものかと額に汗を滲ませている。


(どうしよう……今はこんな人の相手をしている暇なんてないのに)


 一向に引き下がろうとしないアレックスに、頭を悩ませていたら。


「きゃぁぁあっ!」


 悲鳴を上げたのは、アレックスの連れの女性たちだった。彼女たちだけではない。ホール中の人々がざわめき出している。


 というのも突然、アレックスの礼服のマントが燃え始めたからだ。


「う、うわぁああっ!  な、なななんなんだこれは!? あ、熱い熱い熱い……っ!」


 アレックスは狼狽しながら、火を消そうとマントを何度も床にはたきつけている。しかし、火はどんどん燃え広がっていき彼は床に転がり悶えた。


(な、何が起きたの……!?)


 セルミヤも当惑したが、ホール内の人々の動揺が増していく。こういった夜会の場での火災は、大変な被害をもたらすことがある。特に、女性たちが布面積の多いドレスを着て密集しているので、あっという間に火が燃え移ってしまうのだ。


 すると、人集りの中を抜けて、一人の男が颯爽と現れた。


「みっともなく喚くな」


 ……ザプン。


 彼がアレックスの頭上に手をかざすと、バケツをひっくり返したように大量の水が降り注がれた。


「ぅぼぼぼぼぼ!?」


 火は一瞬で消火され、ホールからは安堵の息が漏れ聞こえた。


 馬の尾のように束ねられた銀色の短い髪。

 完璧に整った白皙の美貌。

 長いまつ毛に縁取られた深藍色の瞳。


 黒い軍服調の礼服には、帝国軍の徽章といくつもの勲章が輝いている。


「……アドルフ」


 数ヶ月ぶりに目にしたアドルフの姿に、切なげに顔を歪めた。

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