第26話
オティリオの表情はいつになく深刻さを帯びていた。「大変なことになった」という報告に、セルミヤとキールは顔を見合わせる。
「皇帝が本格的に世界統一への着手をするそうだ。始めに三カ国へ宣戦布告するという話が議会で上がっている」
「そ、そんな……」
「そして、この件に反発したレード公爵家とマリッカー家が皇帝に対し反旗を翻した。……近く、クーデターが起こるかもしれない」
レード公爵家とマリッカー家といえば、皇帝派勢力の筆頭。国内最大規模の軍事産業会社を営む両家は、軍部に癒着して戦争による利権を得てきた。その二つの家が、世界を敵に回さんとするカリストの後ろ盾から外れたとしたら。カリストを討つ好機ではある。
しかし、世界の覇権を握り、世界統一するというカリストの過激思想に心酔する者も多くいる。クーデターにより政権を奪取するというのも、一筋縄ではない。
キールがオティリオに尋ねる。
「それで、クーデターというのは?」
「レード公と、かねてより皇太子派だった有力貴族家が主導する。しかし、皇帝派との戦闘になれば相当な規模になると予想される。まして、カリストには取っておきの切り札があるからね」
「……帰ってきた英雄、シュグレイズ卿でございますか」
そのとき、セルミヤの心臓がどくんと音を立てた。カリストは、アドルフを躊躇なく生きた盾として、あるいは矛として行使するだろう。そして、一国の軍に匹敵するという魔術の天才アドルフ・シュグレイズと渡り合える人間が、味方にどれだけいるだろうか。
「ではことさら、皇帝陛下からアドルフ様を切り離さなければなりませんね。――奴隷契約呪法による支配からの解放をしなければ」
「ああ。そうだよラインレッツ嬢。アドルフが皇帝の傍らにいたら、大勢が死ぬことになる」
「オティリオ殿下がかつて、彼を生かし逃がす選択をしてくださって、心から感謝しております。どうか、彼がこれ以上過ちを繰り返さず、本来の生き方ができるよう、
「…………」
オティリオから以前告げられた、アドルフをカリストの支配から解放する方法というのは、『上書き契約』。
原則、奴隷契約呪法は契約を結んだ当人同士でなければ解くことはできない。しかし、それよりも強い契約を上書きすることで、以前の契約を無効にすることが可能だという。
しかし、オティリオは表情を曇らせた。
◇◇◇
セルミヤがエルシア帝国皇都のヒューゼン家に訪れてまもなく、オティリオとキールから『上書き契約』についての詳細を聞かされた。
「つまり、契約を結ぶ上で『適合率』が存在し、アドルフと皇帝陛下を上回る適合者が、新たな契約主になる必要がある……そういうことでしょうか」
「その通りです。しかし、我々はこれまで秘密裏に適合者を探して参りましたが、該当者は一人もおりませんでした」
「なるほど」
セルミヤがキールから一通りの説明を受けた後、オティリオが懐から懐紙を取り出した。
テーブルの上には小さな魔法陣が描かれた紙が置いてある。彼は懐紙の中から一本の長い髪の毛を出して、魔法陣の上に乗せた。銀色の長い髪。これは――。
「これってもしかして、アドルフの……」
「そうだよ。今彼は皇宮の賓客室で生活しているから、ルームメイドにこっそり拾わせたんだ」
オティリオはそのまま、淡々とした口調で言った。
「契約者同士の適合率は、今から行う検査で発生する光により判定することができる。黒、青、紫、赤、橙、黄、白の六段階で、白に近づくほど適合率が高くなる。ちなみにアドルフと皇帝の適合度は橙色。だから、少なくとも黄色以上が出る必要があるんだ。僕とアドルフは紫、キールとアドルフは青だった。適合率が白ともなると、数万分の一の確率だ」
「そんなに……稀なのですね」
緊張した面持ちで息を飲むと、キールが言った。
「別にあなたのことなんてあてにはしてませんから。ついでみたいなものです。さあ、陣の上に――血を」
「はい」
人差し指の先を口元に当てて噛み、傷を作って血液を陣の上に垂らした。キールが隣で呪文を唱える。
(私があの人の役に立てるならなんだってするわ)
一同が魔法陣を観察していると、瞬間、強い光が辺りに広がった。あまりの眩しさに目を眇める。強く大きな光の色は――白。
オティリオは目を見開き、驚きを含んだ声で呟いた。
「適合率……百パーセント」
◇◇◇
セルミヤとアドルフの適合率が発覚して数ヶ月経ったが、オティリオは上書き契約の実行を渋った。
「ラインレッツ嬢。しかし、それは――」
オティリオがすぐに実行に移さなかったことには理由がある。
「殿下の配慮は理解しています。ですがどうか、殿下は大勢の国の民のことを第一にお考えください」
奴隷契約呪法は強力な術であり、身体に相当な負荷がかかる。カリストとアドルフが人並外れた魔力保有者であったからこそ禁呪と呼ばれる奴隷契約呪法を成しえたものの、セルミヤは非魔力者だ。許容範囲を大幅に上回る魔力負荷を受ければ、最悪命はない。
「縁って不思議なものですね。私が二年前、アルフ山の彼の元に辿り着いたのも、今思えばこのときのためだったのかもしれません。私……なんの取り柄もないけど、アドルフの力になりたいんです」
オティリオは決まり悪そうに眉を寄せた。
「すまない。君に大変なことを押し付けてしまって」
「謝らないでください」
「僕は君に何がしてやれるだろうか?」
「私を保護してくださったあなたに、これ以上何を願うことなんてありません。でも、叶うなら一つ」
「なんだい? 遠慮せずに言ってみなさい」
「もし、殿下が皇位を継ぐことになれば、現帝を支える勢力は、過去の平和と人道への罪を裁かれることになります。アドルフもその例外ではありません。どうか、そのときはアドルフのことを守っていただきたいです。彼は、これからのエルシアにも必要な人です」
アドルフは、皇帝の忠臣として彼の政権を支えている。時代が変わり新政権になれば彼は悪人として処断されるだろう。
カリストの命令で沢山悪いことをしてきたアドルフ。でも、奴隷契約呪法によって完全な支配を受けてきたという点で、情状酌量の余地はあっていいはずだ。これは、禁呪について知る数少ない人物の一人であるオティリオにしか頼めないことだ。
「分かった。約束しよう」
オティリオはなんとも形容しがたい表情で頷いた。キールもいつもならセルミヤのやることなすことに突っかかってくるところだが、このときばかりは沈黙していた。オティリオが数拍置いてから言う。
「三日後。皇宮にて夜会が行われる。主催は第二皇女で、彼女の誕生日を祝う目的の会になる。……アドルフも参加する。僕が皇宮内に客室を用意しておこう。実行はその日で構わないかい?」
「はい。構いません」
「アドルフは君を何よりも大切に思っている。最も憎い皇帝の手に下ってまで君を守ることを選んでしまうほどにね。彼は、他でもない君との間で上書き契約を実行することを、易々と承諾しないと思う」
「…………」
彼の言う通りだ。アドルフはセルミヤを危険に晒すこと、まして命を奪いかねない禁呪に巻き込むなど望むはずがない。
「私に考えがありますので、お任せください。でも、客室には彼と二人きりにしていただきたいです」
「……君の考えは分からないが、そのように手配しよう」
「ありがとうございます、殿下」
誠意を込めて、社交的な一礼をした。すると、オティリオが物憂げに呟く。
「彼の頼みを、聞いてやれなくなってしまったな」
「……アドルフが何か?」
「ああ。君を保護した旨を話したとき、初めて彼に頭を下げられた。『ミヤが安全で、幸せに暮らせるようになんとか面倒を見てやってくれ』と」
「…………」
目の奥が熱くなって唇を引き結んだ。そうしていないと、涙が零れてしまいそうだから。
(私もアドルフの安全と幸せを願ってるわ。アドルフに会いたい。もう一度、静かな山奥で穏やかなときを過ごせたら、どんなにかいいかしら)
山で拾ってもらった命だ。彼のために捧げるなら少しも惜しくない。もうきっと、山で暮らした日々に戻ることはできないかもしれないけれど、これ以上アドルフに罪を重ねさせる訳にはいかない。
世の中が動き出そうとしている今、少しでも早くカリストの支配から解放したい。セルミヤは逸る心を鎮めるように、そっと胸に手を当てた。
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