第25話
オティリオ・エルキエイスが初めてアドルフの戦いぶりを目の当たりにしたのは、数年前の帝国エルシアによる南部出兵のときだった。
カリストは、エルシア領土より南に隣接する小国を侵攻支配した。当然、小国の民たちは支配に反発したため武装蜂起が絶えず、戦場となった街は惨憺たる様子だった。少し前まで、いくつも民家が並んでいたのどかな景観が破壊され、瓦礫の山と化していた。
(……これは酷いな)
調査に出向いてやって来たら、あまりの惨状で嘆息した。するとそのとき、瓦礫の向こうで何かが激しくぶつかり合うような音が聞こえた。
(戦闘が起きているのか?)
部下たちを連れて音のする方へ向かった。
「…………!」
オティリオは目の前の光景に固唾を飲んだ。白と青を基調としたエルシア帝国軍の軍服を身にまとった青年を、相手国の戦士たちが取り囲っている。戦士たちは一斉に剣を振りかざし、青年に突進していく。
青年の方は帯剣しているものの、手にはなんの武器も持っていない。華麗な身のこなしで剣技を軽々とかわし、両手をぐっと横に伸ばして呪文を唱えた。青年の呟きと共に、剣を構えた男たちはぴたりと動きを止め、口から泡を吹きながら昏睡していった。
青年は屈んでいた身を起こした。エメラルドのように美しい双眸で戦士たちを見下ろす。凍えてしまいそうなほど冷たい眼差し。首元までの銀髪が風になびき、軍服のマントがひるがえる様は、絵画の一場面を見ている気分にさせられるほど優美だった。
(……あれが、美しき英雄、皇帝の右腕――アドルフ・シュグレイズ……なんと雅やかな)
アドルフの閑麗な戦いぶりに思わず感嘆の息を漏らした。
彼は、帝国軍副総長という輝かしい地位にいる。誰もが彼の圧倒的な存在感と強さを畏れ敬う。本来、魔術士団の者も騎士団の者も剣を用いた戦い方をするが、彼は武器を用いず、純粋な魔術のみで戦闘を行う。
展開される術は最大限に効率化され、精緻を極めている。どんな優秀な術士も、アドルフの前では舌を巻くほどだ。
帝国軍には、アドルフの他に六人、火・水・土・風・光属性全てを扱う術士が所属しているが、彼はその中でも別格だった。
元の魔力量が膨大であることに加え、それを扱う資質にも恵まれているようだった。
目の前のアドルフは、一瞬のうちに三十人近くの敵を地に伏せさせ、倒れた彼らの中央に一人で立ち尽くしていた。
「彼らは全員、死んでいるのかい?」
オティリオがアドルフに掛けた最初の言葉だった。彼と面識はあったものの、言葉を交わすのも戦いぶりを見るのも初めてである。
「いや、重症だが死んじゃいない。……殺せとは命じられてないからな」
含みのある言い方に、恐る恐る尋ねた。
「皇帝と破れぬ契りを結んでいるというのは本当なのかい?」
「――ああ」
かつてカリストが誇らしげに言っていたのを覚えている。「英雄アドルフは、決して私に逆らえない忠犬だ」と。禁呪なんて戯言だと聞き流していたが、アドルフの肯定に背筋がゾッとした。
(人道に反する禁呪にまで手を出しているとは……。まさかそこまで堕ちるか、カリスト・エルキエイス)
愕然としていると、アドルフが頬を濡らしているのを見た。
「君、泣いて……いるのかい?」
思わず息を飲んだ。冷酷無慈悲と言われる男が静かに涙を流していることに。アドルフは遠い目をして、小さく言った。
「……無体な」
積み重なる兵士たちを見下ろして顔をしかめる彼。大勢の人を傷つけたことを嘆いているのだ。
冷酷無慈悲な行動は、あくまでカリストによる命令から強制的に行ってきたものなのだ。本当は誰のことも傷つけたくなかったのだろう。アドルフもまたカリストの暴挙の被害者だった。
「シュグレイズ卿。皇帝からたった今の君に下っている命令を全て教えてほしい」
「なぜ?」
「君のことを助けたいからさ。僕のことを信用してくれ。僕は君の味方だ」
「味方だと? 抜かしやがれ。お前が虎視眈々とカリストの首を狙っていること、俺が知らないとでも?」
アドルフは黙してしばし考えた。しかし彼は、考えた後でどうでもいいことのように淡々と言った。
「奴に命じられたのは敵兵を倒すこと。そっちは済んだから、今の俺に有効なのは……そうだな。今日日付が変わる前に帰還せよという命令くらいか」
「そうか。皇帝は確かに、『日付が変わる前に』と言ったんだね?」
「そうだ」
オティリオは思案を巡らせて、ふむ、と呟いた。おもむろに、懐から小さな紙の包みを取り出して渡す。
「今すぐにこれを飲みなさい」
「…………」
アドルフは突然薬物を差し出されて怪しげに眉を寄せた。しかし、彼は拒まなかった。手に持たされた紙の包みを開き、中の粉を口に含んで嚥下した。
何もかも諦めてしまって壊されることを望んでいるような、そんな自嘲めいた笑いを口元に浮かべた。
「これが毒だったらいいんだがな」
「君は……」
アドルフは、力をなくしてガクンとその場に膝を着いた。よろめく彼の体を支えつつ、彼の耳元で囁く。
「強力な眠り薬さ。……僕は今から君を助ける。君はただ安心してぐっすり眠るといい。――日付が変わるまで、ね」
「…………っ」
オティリオの意図を理解したアドルフは瞠目し、けれどすぐに意識を手放した。
◇◇◇
「……ここは、一体……」
アドルフが目を覚ましたのは、朝方のことだ。
「よく眠れたかい? シュグレイズ卿。ここは郊外のちょっとした隠れ家さ」
部下たちにアドルフを運ばせて、客室の寝台に寝かせた。彼は深く眠り続けた。眠り薬は稀代の魔術士にも遺憾なく効果を発揮したようだ。
アドルフは半身を起こしてこちらを見た。彼の瞳に、不安が微かに浮かんだように感じた。
「ふ。そんな捨てられた子犬みたいな目をするなよ。別に君のことを取って食ったりはしないから」
「そんな目はしちゃいないだろ。お前の目的はなんだ? なぜ俺を殺さない? お前は、皇帝の庇護役である俺の存在が邪魔でならないはずだ」
歪んだ笑いを口元に浮かべるアドルフ。
「さっきも言ったように、僕は君を助けたいんだ」
「俺を助けるだって? 反皇帝派のお前が、皇帝の犬を助けようとは。酔狂な奴だ」
「伊達でも酔狂でもないさ。……国民は英雄である君を敬愛している。だから殺すことはしない。恨まれてしまうからね。それに君はの力は本来は多くの人々を救うことができるものだ」
「…………」
「……君は、ここから遠くへ逃げるんだ。決してカリストに見つからない場所へ。皇帝は、『日付が変わる前に帰還せよ』と命じたのだろう? ならば日付が変わった今、君に帰還の義務はない」
「皇帝の監視網を侮るなよ。どこに逃げ場がある? 俺は命令により奴の指示以外で国の外に出ることはできない」
サイドテーブルの上に地図を広げ、ある地点を指し示した。
「――ウルナー山脈。ここは凶悪な魔物たちの群生地帯で人なんか寄り付かない。シュグレイズ卿。君ならばここでも問題なく暮らせるだろう? ここがぴったりだ」
それからオティリオは、家や生活用品、通信具や資金の工面をした。そして、人里に降りるときは変装するなどして用心に用心を重ねることを約束させ、ウルナー山脈中央部の山、アルフ山にアドルフを逃したのだった。
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