第22話

 

「……あの、アドルフ」

「なんだ?」

「つかぬ事をお聞きしますが、さっきの青年に何を見せたんですか?」


 アドルフに手を引かれながら、おもむろに尋ねた。


「知りたいか?」


 フードから覗く彼の口角が、かすかに持ち上がったように見えた。これはまさに、いたずらを企む子どもの笑みだ。つい好奇心から、頷き返す。


「し、知りたい……です」


 アドルフは立ち止まって身をかがめ、こちらを覗き込んだ。フードの中から彼の顔が見える。


「きゃぁぁ!」


 手で口を覆って、数歩後ずさった。アドルフの顔は全く原型を留めておらず――まさしく『化け物』のようだった。


 ギョロっとした目に、垂れ下がった眉、赤く腫れ上がった肌、突出した前歯。東方のかの島国の妖怪図録で、こんな風貌の妖怪を見たことがあった。確か名前は――小豆洗い。川のほとりで、樽に入った小豆を音を立てながら洗うという伝説の妖だ。


 セルミヤの反応を見て満足したらしい彼は、どこか涼し気な様子で歩き始めた。


「びっくりしました。これは、あのお方が腰を抜かすのも無理ありませんよ。……一体何を参考にされたのですか?」

「ミヤのお気に入り、『ジャッポン妖怪図録』だな」

「やっぱり……」


 それから、薬屋でポーションと薬草を売り、時刻は正午になった。ちょうど昼時ということで、とろとろに溶けたチーズとベーコンを挟んだサンドイッチを屋台で買った。紙に包まれたサンドイッチを頬張りながら、二人で豊かな街を歩いた。


 しかし、ベネスは豊かなだけではなかった。光があれば影も存在するもの。

 大きな街道の脇に、粗末な建物が並ぶ路地を見つけた。


「あそこは……?」

「貧民街だな」


 路地の奥に視線を向けて呟くアドルフ。貧民街には身寄りのない子どもや、生活の拠り所のない者たちが集って、ひっそりと暮らしている。


「お姉さんっ!」

「……?」


 五歳くらいの幼い少女が、セルミヤとアドルフの元へ駆け寄ってきた。少女は小さな手をこちらに差し出してにこにこと微笑んでいる。


(ほどこしをしに来たと思っているのかしら?)


 しかし、この少女に与えられるような食べ物などは一切持っていない。どうしたものかと思い悩んでいると、その少女の手のひらに黒いローブの袖が伸びた。


「これを使うといい」

「!」


 アドルフは、先ほど薬師のところで得た金の入った皮袋を丸々渡した。少女は皮袋の中に入った銀貨や金貨を見て、皿のように目を見開いた。その様子を遠くから眺めていた子どもたちが、こぞってこちらに集まってきた。


 少女は、金を独り占めしようという気はさらさらなく、袋の中の物を仲間にも分け与えた。


「ありがとう、おじさん!」

「おじさん」


 おじさん呼ばわりされ、復唱しながら僅かに眉を寄せるアドルフ。不服だったみたいだ。


 少女はアドルフに深々と一礼した後、セルミヤの方を見上げて、食い入るようにじっと見つめた。


「……綺麗なちょうちょ……いいなあ……」


 彼女の視線は、セルミヤの淡紅色の髪を飾る赤いリボンのバレッタに向けられていた。『ちょうちょ』とは、蝶々結びのリボンのことだと理解した。バレッタを髪から外し、彼女の小さな手に乗せた。


「はい! これあげる」

「えっ……いいの?」

「ええ。これね、私の宝物なの。大切にしてくれると嬉しい」

「大事にする! みんなと交換こで付けるよ!」


 少女はリボンを大切そうに手に持って、心底嬉しげに瞳をきらきらと輝かせた。その様子があまりに健気で泣いてしまいそうだった。


 路地裏の子どもたちと別れ、大通りへ戻った後、堪えきれずにセルミヤは泣いた。


「ったく。お前はよく泣くな」

「あの子たちが気の毒で。生まれが違うというだけで、あのような粗末な場所での暮らしを強いられているなんて……」

「この国、エルシアは戦争が多い。民の暮らしは貧しく、貧民が他国よりずっと多い。その上現皇帝は、慈善事業にほとんど国費を使わないからな。軍力増加に躍起になり、そっちに国力を費やした結果が今の状態だ」


 セルミヤの母国であるルボワは、帝国エルシアより小国ではあるものの、救民制度は充実していた。貧民街の人々への救済措置として工場での労働を与え、困窮から脱却させることが可能であった。孤児や、寡婦、介護が必要な老人を保護する施設も、富裕層からの寄付により多く設立されていた。


「皇帝カリスト・エルキエイス……。罪深い人です。私が生まれるより前、彼はルボワに戦を仕掛けてきたことがありました。私の母国の民もカリストを憎んでいます。なぜ彼は戦ばかり好むのでしょうか」

「奴の権力欲ってのは、常人に理解できるもんじゃない」


 アドルフは淡々とした口ぶりで、カリストについて話していた。しかし、カリストへの憎しみは、比類ないほどのもののはずだ。


 帝国軍副総長、アドルフ・シュグレイズ。冷酷無慈悲として知られていた彼は、カリストの右腕として従順に役目を全うしてきた。しかし、それはアドルフの意思に反した服従だった。奴隷契約呪法により支配され、道具のように行使されてきた日々は、どれだけの屈辱だったのだろうか。


(ひどい話だわ)


 込み上げる怒りを堪えていたら、無意識に舌を噛んでいたらしく、口内に鉄の味が広がっていた。しかし、カリストの悪政により苦しんできた民やアドルフの心を思うと、痛みなど感じはしなかった。



 ◇◇◇



 商店街を並んで歩いていると、繊細な輝きを放つ露店を見つけた。


「 あのお店だけ光って見えます。何を売っているのでしょうか?」


 何を売っているのかと思い、早足で近づいてみる。輝いて見えたのは、宝飾品の類いだった。庶民でも手が出しやすい手頃な値段の品が陳列している。色とりどりの石が使われたネックレスや指輪、ブローチがガラスケースに展示されていた。


 かつて、ラインレッツ侯爵家にいたころは、宝飾品を身につけることは貴族の嗜みのひとつであったが、アルフ山で暮らしはじめてからは、宝石とは無縁だった。セルミヤだって、年頃の少女らしくアクセサリーは好きだ。目を輝かせながら商品を眺める。


「わあ……綺麗」

「好きなものを選ぶといい」

「いいんですか!?」

「ああ」


 セルミヤは上機嫌で品物を目で追った。


(このピアス、凄く可愛い。ああ、ダメね。たぶん穴が塞がってる。……このブローチも素敵)


 顎に手を添えて、小さく唸りながら熟考しているとガラスケースの中に展示されている髪飾りが目に止まった。金色のワイヤーが蝶の形に編んであり、はねの部分に緑色のラインストーンが散りばめられている。きらきらと繊細な煌めきを放つ、銀の蝶を模したそれはまるで――。


(……アドルフみたい)


 ガラスケースのその髪飾りを指差しで言った。


「これにします」


 会計を済ませて、買ってもらったばかりの髪飾りを身につけたセルミヤはほくほくした気持ちで彼の隣を歩いた。次に彼に連れられたのは、芝生の生えた丘の上だった。日が落ちはじめ、明かりが灯るベネスの街が眼下に広がっている。二人は芝生の上に腰を下ろした。


「すごく、すごく充実した気分です。……本当に楽しかった」

「それは良かった」


 ちらりとアドルフの顔を覗き見る。いつ見ても美しく怜悧な横顔だ。銀色の長い髪が風に揺られてはためいている。


(……!)


 アドルフの頬に一筋の涙が伝った。彼は、遠く彼方に見える海の水平線をただ静かに見つめている。彼の涙は儚くて、希望さえも零れ落ちてしましそうな哀愁がする。見てはいけないものを見てしまった気がして、さっと海の見える街の方へ視線を移した。


「俺は、いつからだったか感情の起伏に乏しくなっていた。恐らく防衛本能だったんだと思う。……どんなにか打ちのめされても、感情の機微がなかったからこうしてしぶとく生きながらえてきた」

「…………」

「多くの者を傷つけてきた。俺はこんなに幸福な気持ちを味わってしまっていいんだろうか」


 セルミヤはせせらぐ海を見たまま答えた。


「幸せになってはいけない人なんていませんよ。……少なくとも私は、あなたに幸せでいてほしいと思っています」


 しばらくの沈黙の後、彼が言った。


「ミヤ」


 心地の良い涼やかな声に呼ばれ、彼の方を振り向く。セルミヤは息を飲んだ。


「…………!」


 アドルフはこれまでに見たことがないような柔らかな笑みを湛えていた。この人も、こんなにも労りに充ちて優しい表情をするのだ。その微笑みに目を奪われていると、彼は目を細めながら囁いたのだった。


「――この一年半があって、良かった」


 今にも消えてしまいそうな儚さを漂わせた囁き。


「突然改まってどうしたんですか? そんな、お別れみたいな言い方して……」


 心がざわつく。この得体の知れない不安はなんだろうか。彼は右耳につけていたピアスを外してこちらに渡した。いつも身につけているトレードマークのピアスだ。


「これはただのピアスじゃなく、通信用の魔道具だ。金具の突起を押すと皇太子オティリオ・エルキエイスに繋がる。奴は信頼できるから、きっとお前の力になってくれるはずだ」

「アドルフ、あなた何言って、」


 アドルフはセルミヤの言葉を無視し、懐から金の入った皮袋をそっとセルミヤの隣に置いた。


「お前をここに置いてく。ベネスは治安も悪くないし、比較的豊かな街だ。今のお前なら充分に働き先を見つけられるだろう」


 突然の宣言に、心臓が大きく音を立てた。


「それからオティリオに伝言を頼みたい。すまない……そう伝えてくれ」

「ま、待ってください、アドルフ。一体どうしたっていうんですか……っ!?」


 突然置いていくなんて言われても、納得できるはずがない。訳が分からず問いただすが、取り付く島がなかった。アドルフはセルミヤの頭をそっと撫でて言った。


「悪いなミヤ。達者でやれよ」


 アドルフは立ち上がり、即座に転移魔法の詠唱を始めた。当惑するこちらには目もくれず、一瞬の内に姿を消した。


 夕日が海の向こうに沈み始め、冷たい風が体の線をなぞっていく。残されたセルミヤはよろめきながら叫んだ。


「アドルフ…………っ!」

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