第21話
洞窟で白竜を助けた日から更に数ヶ月。セルミヤがウルナー山脈へやって来てから一年半が経過していた。セルミヤは十六歳になり、少女から麗しい娘へと成長しつつあった。
「ミヤ。お前にこれをやろう」
「この箱は一体……?」
アドルフに突然大きな箱をいくつも渡され、目を瞬かせた。綺麗に包装された包みを開けていくと、新しい外着のワンピースや寝巻き、靴などの衣類か入っていた。
「お前、最近また背が伸びただろう?」
「はい。実は、今の服のサイズが合わなくなってきていたんです。わあ……凄く嬉しい。ありがとうございます」
箱の中から、えんじ色のワンピースを取り出して体に当ててみる。
彼が選んでくれたこのワンピースは、とても上品なデザインだった。ウエスト部分がきゅっと絞られており、袖はあえてシワを作って膨らみを持たせたビショップスリーブになっている。また、胸の中心からスカートの裾にかけて、均等に折りひだがついたプリーツがよく映える。
「アドルフは、センスがいいんですね」
「そうか?」
(……なんだか、不服)
心を曇らせたのは、彼がかつて、他の女性にも服を選んだことがあるのではないかもいう疑念だ。ありもしない想像が勝手に膨らんでいき、勝手に落ち込んで眉を寄せた。
「なんだその顔は。お前は笑ったり落ち込んだり忙しい奴だな。さっさと着替えてこい。今から出掛けるぞ」
「え……出掛ける?」
「ああ。都から離れた南西の港町ベネスだ。薬屋のところにポーションを売却するついでだが、来るだろ?」
「……! はい! もちろん!」
久しぶりの外出に感激といっぱいで、ぱっと表情を明るくさせる。
「ったく。つくづく単純だな」
アドルフの言葉には耳を貸さず、上機嫌でワンピースを抱え自室に戻った。さっそくえんじ色のワンピースに袖を通し、姿見の前で確認する。サイズはぴったりだったが、鎖骨の辺りが開いており、これまで露出したことのない肌が晒されている。このくらい、大した露出度ではないが、少しだけ恥じらいがある。
髪飾りは、以前西の村でドニという少女から譲り受けた赤いリボンのバレッタを付けた。髪型はハーフアップにする。簡単なアレンジだが、いつもより涼し気な印象に変わった。
身支度を整え、ダイニングへと降りた。どこかそわそわした心持ちで、アドルフの反応を窺う。しかし、セルミヤの恥じらいとは裏腹に、彼は余裕たっぷりに口角を持ち上げて賛辞を口にした。
「よく似合ってる。さあ行こうか」
(……やっぱり、このくらいの露出で動じたりする人じゃないわよね。私ばっかり変に意識しちゃって……恥ずかしい)
玄関の傘立ての方へ、日傘を取りに背を向けたその刹那。可憐な美少女の姿にわずかな戸惑いを表情に浮かべ、口元を手で覆う仕草をアドルフがとっていたことを――セルミヤは知る由もなかった。
◇◇◇
潮の匂いが鼻先を掠め、そこかしこに人々の賑わう声が聞こえる。
ベネスは、小さくも活気のある港町だった。街道がずっと先まで続いており、脇には煉瓦造りの店が軒を連ねている。広大な青い空には白い厚みのある雲が浮かび、石造りの道に陰影をもたらしている。
「……なんて豊かなのかしら」
閉鎖的な山の中で過ごしているセルミヤには、目に映るもの全てが新鮮で尊かった。人々の営みに触れるということが、特別に感じられる。
アドルフは外套を身にまとった上、魔法で髪色と瞳の色を黒色に変えている。変装は完璧だ。
(それにしても、人が多いわ)
はぐれないように彼の歩調に合わせて小走りで後ろをついて歩いていた。しかし、気を抜くとすぐにアドルフと距離ができてしまう。
「ミヤ。遅いぞ」
「……そうは言ったって、私とあなたでは、体力も歩幅も違うんですから」
「全く、世話が焼けるな。――ほら」
「……!」
こちらに手を差し伸べられ、戸惑った。人目につく場所で、手を繋いで歩くというのか。まるで恋人……みたいではないか。しかし、ここで手間取ってもどうしようもないので、意を決して彼の手に自分の手を重ねた。
(わ……アドルフと手を繋いじゃった)
どきどきして落ち着かない。
節のある大きな手に包まれ、広い通りを歩いていく。彼はセルミヤに配慮して、先ほどより歩くペースを落とした。初めに向かうのは薬屋だ。
しばらく石畳を歩いていると、セルミヤはある点に気付いた。
(なんだか私、すごく見られてる?)
道行く人の多くが、セルミヤに注目している。特に男性はすれ違った後に振り返りさえして、こちらにまとわりつくような視線を送る。居心地悪く目を伏せ、アドルフの近くに寄った。
「そこの美しいお方ーー!」
「!?」
(う、美しいお方……?)
一人の青年がこちらに駆け寄ってきているが、『美しいお方』とは、はて。誰のことかときょろきょろと辺りを見回した。
「美しい方! 淡い桃色の髪をされたそこの可憐なお嬢さん……!」
桃色の髪と聞き、もしや自分のことではと思い、彼の方を見た。年若い青年は、セルミヤの元で立ち止まり、膝に手をついて息を整えてから、その場にひざまずいた。
「私はローク・ルッツェリオムと申します。ただのしがない鍛冶師ではありますが、貴女様に一目惚れ致しました! おお、近くで見るとなんと美しい……まさに私が探していた女神だ……! どうか、私の妻になってください」
(……!? つ、妻!? 一目惚れ!?)
突然の求婚に身体を硬直させた。すっかり思考が停止し、茫然自失となったセルミヤの手を男が取り、しなやかな手の甲に唇を落とそうとした。しかし――。
「悪いが、彼女は俺の連れだ。他を当たってくれ」
制したのはアドルフだった。青年から引き剥がすように腰を抱き寄せられ、セルミヤははっと我に返った。彼の方を見上げるが、目深に被ったフードのせいで表情を見ることができない。
「な、なんだ貴様は! さては、嫌がる彼女を強引に我が物にしようと企んでいるんだな! 彼女から手を離すのだ……!」
どうやら、ロークはあまり理性的な人間ではないようだ。周りが見えず、自分の考えこそ正しいと思い込んでいる様子はどこか、かつての婚約者アレックスを彷彿とさせる。自分勝手にアドルフへの怒りをむき出しにして、今にも掴みかかりそうな勢いだ。
アドルフはフードの中で、彼を嘲笑するように、ふんと鼻を鳴らした。人差し指をロークの前に差し向け呪文を小さく唱える。すると、アドルフに掴みかかろうとしていたロークの動きが止まり、がくんと膝を地についた。
「お、お前……今、私に何を……」
当惑した様子で、ロークはアドルフを見上げている。アドルフはロークの前にしゃがみ、目深に被っていたフードを後ろに引いた。
「ひ、ひいぃっ……! ば、化け物…………っ」
ロークは悲鳴を上げて飛び退いた。そして、名残惜しげにセルミヤを一瞥した後、転がるように逃げていった。
アドルフは再びフードを被って立ち上がり、何事もなかったかのようにセルミヤの手を引いて歩き出した。
「ごめんなさい、私ぼんやりしてしまって……」
「ああ」
(でも、あの男性の怯えようは一体……?)
ロークが『化け物』と漏らすほどの奇妙な姿を、魔法で見せたのだと推測した。彼の怖がり方は並々ならない感じだったので、気になって小首を傾げた。
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