第20話
そして、セルミヤではなくクリスティーナを妃にしたいと本格的に考え始めていた頃。クリスティーナから、セルミヤを公の場で断罪し罪人として国外追放することを提案される。
「だがクリスティーナ。さすがにそれはやりすぎではないか……? 普通にラインレッツ侯爵家に婚約解消を申し入れすれば――」
「それでは、アレックス様が不義を認めるという形になってしまいますでしょう。わたくしが妃になったとき、元浮気相手として揶揄されるのは嫌です……っ。それとも、アレックス様は、わたくしよりあの少女の方がいいとおっしゃるのですか? うう……これまでわたくしにかけてくださった愛の言葉は、偽りだったとでもいうのでしょうか……っ」
「い、いやそうではない! 分かったから泣くな。そなたの涙を見ていると、胸が張り裂けてしまいそうになる」
「嬉しいですわ! アレックス様……っ!」
瞳を濡らしながら抱きついてくるクリスティーナ。いじらしくて庇護欲を掻き立てられる。彼女の涙にめっぽう弱い。彼女が泣いて懇願すれば、どんな願いさえ叶えてやりたかった。
そして、アレックスとクリスティーナは、とある夜会でセルミヤを断罪し、婚約破棄を突きつけることを画策したのだった。
「セルミヤ・ラインレッツよ。ルボワ王国第二王子アレックス・ファーガンの名において、貴様に婚約破棄と国外追放を命じる!」
突然の宣言にも、ほとんど動揺する素振りを見せず、冷めた表情でこちらを見据えるセルミヤ。かつてアレックスが魅了された怜悧な美貌は、出会った時より輝きを増している。だが飽きてしまった。若い彼女が成熟するのを待つ気はもうない。なぜなら自分には――クリスティーナという運命の存在がいるから。
罪状を突きつけると、セルミヤは身に覚えのない話だと弁明した。しかし、身に覚えがあろうとなかろうと、この場における決定は絶対だ。
「何を言ったところで弁解の余地はない。何しろ、この俺が決定を下したのだからな! 俺の決定は絶対だ。セルミヤ、俺が誰なのか答えてみるがいい」
「…………」
「貴様を罪人として国外追放に処す。これは決定事項だ。お前たち、さっさと罪人を連れて行け。罪人をこれ以上人目に晒してはおけん」
従者に命じ、セルミヤを外に連行させた。これでようやく、クリスティーナを妃にできる。勝ち誇った笑みで彼女を見ると、彼女は相変わらずの鉄面皮だった。思えば、彼女が笑ったのを見たのはたったの一度きりだった。
◇◇◇
「まぁ……アレクちゃん、素敵なお土産をどうもありがとう……!」
セルミヤと婚約して一年がたった頃だ。この頃は年上のセレナを愛人にしていた。「アレクちゃん」という愛称は、彼女が考えたものだ。
アレックスが彼女に、東の島国ジャッポンで購入した上質な染め物を贈ると、彼女は目を輝かせた。
「そなたが喜んでくれて俺は嬉しいぞ。セリィがこの生地で仕立てたドレスを着る姿が早く見たい」
王宮の廊下でセレナとそんなやり取りをしていると、たまたまセルミヤが通りかかった。
彼女は眉ひとつ動かさずに玲瓏と言う。
「アレックス殿下。ごきげんよう」
「あ、ああ。いや、その、これはだな……」
彼女の視線は、セレナの持つ染め物に向いている。婚約者であるセルミヤには土産がないのに、愛人にはちゃっかり渡している現場を見られては体裁が悪い。当時、セルミヤに対する情も残していたアレックスは、その場を凌ごうとポケットを漁って、たまたま入っていた石を取り出した。
「セ、セルミヤ。そなたにはこれを……やろう。東方の島国ジャッポンで拾った貴重な石だ」
「じゃっぽんでひろった」
石を受け取り、青い瞳をきらきらと輝かせるセルミヤ。
「ジャッポンの……石……!」
(お、おい、ただの石ころだぞ?)
何がそんなにいいのかさっぱり分からないが、彼女は大層感激した様子で呟いた。そして、石を大事そうに両手で包みながら――笑った。
「ありがとうございます、殿下。宝物にしますね!」
屈託ない笑みは、まるで天使のように愛らしかった。後でセルミヤの侍女に確認すると、彼女はかの島国ジャッポンに異様な憧れを抱いているという。
彼女のあまりの純粋さに、アレックスは人生で初めて、罪悪感のようなものを抱いた。そして、後日ジャッポンの特産品を大量に彼女に贈ったのだった。
◇◇◇
セルミヤが転移魔法で国外追放されると、恋人のクリスティーナは変貌していった。ライバルが消えアレックスの寵愛を受けるのが自分だけになった途端、慢心したのだろう。以前のようなしおらしさはどこにもなくなっていた。
「アレックス様。わたくし、海の近くに別荘がほしいですわ。歴史的な価値があって、モダンチックなお家……。ほら、ティゼーラ塔とか。ねぇ。もちろん用意してくださるでしょう?」
「それは無理だ。あそこは王妃のお気に入りだからな。そなたであっても住まわせてやることはできん」
「まぁ……。最近、あれもだめ、これもだめばっかりですわね」
「そなたが無理な要求をしているだけであろう」
「まさかあなた……あのセルミヤ嬢に今更未練でもございますこと!?」
「そうは言っていないだろう」
「だいたいアレックス様はいつもいつも――」
アレックスは「また始まった」と内心でため息をついた。クリスティーナは厄介な癇癪持ちだった。一度スイッチが入って怒り出すと歯止めが聞かず、しまいには物に当たる。ぎゃんぎゃん犬のように吠えるクリスティーナを尻目に思った。
(そろそろこの女も潮時か。……正式に妃にする前で良かった)
アレックスは呆れながらに言う。
「まぁ、セルミヤであれば、貴様のように暴れることもなかったな。あれは、大人しくて淑やかな娘だった」
「……!」
クリスティーナは、初めてアレックスに貴様呼ばわりされて、投げつけようとしていたフォークをそっとテーブルに置き直した。ただならない気配を察知したのか、青ざめた表情で機嫌を取ろうとする。
「アレックス様……? 急にそんな怖い顔して……どうなさったの? ねぇ……わたくしのこと、愛しておられるのでしょう? この国の妃にして……くださるのでしょう?」
「別れよう、クリスティーナ。貴様とはこれで終わりだ」
「そんな、嫌ですわっ! 今更見捨てないでくださいまし……!」
泣きじゃくりながらみっともなくアレックスに縋った彼女。アレックスは冷えた表情で彼女を突き放し、騎士たちに宮殿からつまみ出させた。騎士らに引きずられるクリスティーナは、宮殿中に響き渡るような大声で泣き叫び、アレックスの名を呼んでいた。
もう二度と、彼女と顔を合わせることはないだろう。飽き性のアレックスは、彼女への未練など微塵もなく、すっきりとした気分だった。
静まり返った寝室でベッドに横になった。おもむろにポケットから石を取り出し、目線の先に掲げた。
これは、セルミヤが宮殿の自室に残していったものだ。かつてアレックスが譲った道端の石を、後生大事に取ってあったのだ。つくづく妙な娘だ。
「……逃した魚は大きい――ということか」
セルミヤが今どこにいるのか、アレックスには知る由もない。転移魔法で飛ばされる場所は無作為なので、運が悪ければ死んでいるだろう。それに、世間知らずで箱入り娘の彼女では、どこに行っても生きていく術はない。娼婦になるのが関の山だ。
最初から最後まで哀れで、だからこそこれ以上なく――理想的な美を体現する娘だったと、ただの石に彼女の面影を思い浮かべた。
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