第19話
アレックス・ファーガンは、生まれながら多くのものに恵まれていた。
王国の第二王子という文句のつけようがない地位。
十人いれば十人が美しいと認める容姿。
欲しいものはなんでも手に入ったし、皆にもてはやされて育った。そして、堕落した青年になった。国民の血税で酒を浴びるように飲み、賭け事や夜遊びに没頭し、宝飾品や芸術品を買い漁った。特に女遊びは激しく、毎夜のように舞踏会を渡り歩き愛人を何人も作った。
そんなとき、アレックスはセルミヤ・ラインレッツに出会う。まだ十歳かそこらの少女は、父親のラインレッツ侯爵に連れられ、王宮のとある式典に訪れていた。
(あの少女を、我が妃にする)
一目見たとき、アレックスは決意した。
理由は単純。彼女がアレックスにとって、理想的な容貌をしていたからだ。淡紅色の艶やかな髪に、長いまつ毛に縁取られた海を思わせるくりっとした碧眼。ふっくらとした血色のよい唇……。
幼い少女は、まるで人形のごとく整った顔立ちをしていた。アレックスには、セルミヤが成長して娘になるころには、どんな人間も虜にする傾国の美女となるだろうという確信があった。
「そなた、名は?」
「……セルミヤ・ラインレッツです」
「ほう。侯爵家の令嬢だったか。身分も悪くないな」
「あの……?」
「貴様。俺の女になれ!」
「え……私は誰の所有物でもないですが……」
「付き合えということだ!」
「どこにでしょうか? ああ、厠ならあちらに――」
セルミヤのとんちんかんな返答に、アレックスは膝をガクッと曲げて転けた。彼女は幼いからか、元の気質なのか、天然気味のとぼけた少女だった。アレックスは理知的な女が好みだが、セルミヤの場合、見た目は素晴らしいのでその点には目を瞑ることにする。
アレックスは、彼女の小さな形の良い顎を持ち上げ、顔を覗き込んだ。そして、不敵に口角を上げて言う。
「俺はアレックス・ファーガン第二王子。そなたを妃にするとたった今決めた。そなたと俺は結婚し夫婦になるんだ。――分かるか?」
「!」
彼女は少し驚いた後で、次の瞬間。青い瞳から生気を消した。何もかも諦めたような表情で、玲瓏と答える。
「……そういったことは、侯爵家を通してくださいませんか。殿下」
「ああ、そうだな。近く、王家の者として婚姻を申し込むとしよう。そなたの両親も、このような名誉ある申し出を断るなど有り得まい」
絶対王政が敷かれる国家において、王室の人間の権力は確固たるものだ。彼女も幼心に理解しているのだろう。
(いい。その表情だ。年不相応な凍えるような眼差し……実に美しい)
アレックスが彼女を魅力的に思ったのは、そこはかとなく漂う――憂い。造り物のような美に潜む陰り。
人々が昔から季節ごとに咲く花の儚さを好むように、アレックスは儚い美をこよなく愛していた。
後に、セルミヤの大人びた哀愁は、家庭環境が原因だったと分かった。彼女はラインレッツ侯爵の後妻の連れ子だった。家庭の中で疎まれ、愛されずに育っていたから、子どもらしくなしからぬ一面を持っていたのだろう。
娘に無関心な父と、派手好きで艶聞の絶えない母親。彼らは世間で評判の悪いアレックスの婚姻の申し出を二つ返事で了承し、多額の持参金まで出すと言った。まるで邪魔者のような扱いだ。
しかし、強引に婚約を結んだはいいものの、セルミヤが成人し正式な夫婦となるまでに、彼女に対する関心は薄らいでいた。
元々飽き性で、熱しやすく冷めやすい性分だったアレックスは、婚約後も次々と愛人を替えて遊んでいた。
そして、セルミヤが十四歳になるころ、再び運命の出会いを果たす。
「おお、クリスティーナ! そなたこそ俺の運命の相手だ!」
「まぁ……わたくしにはもったいないお言葉ですわ……」
彼女、クリスティーナは下級貴族の娘で、王宮の侍女をしていた。
長くウェーブかかった紫の髪に、大ぶりの瞳、豊満な胸と曲線を描く体のライン。程よく肉のついた足。儚い美を持つセルミヤと対称に健康的な美しさを持つ娘だった。セルミヤに飽きてきていたアレックスには、クリスティーナが新鮮で、この上なく美しく見えた。
アレックスとクリスティーナはすぐに恋に落ちた。毎日のように熱烈な恋文を送り合い、逢瀬を重ねた。
『愛しのクリスティーナへ。
今日は何をして過ごしていたのだ? 俺は公務ゆえ東方の港に来ている。美しいと評判の海岸に来たが、さざ波を打つ鮮やかな海さえ、そなたの瞳の美しさに優ることはないと思った。
土産には、港の店で見つけた宝石を買っていく。海外から輸入された希少な石だそうだ。楽しみにしていてくれ。
アレックス・ファーガン』
『愛しのアレックス様
お手紙ありがとうございます。……港の美しい海。陽の光を反射して繊細な輝きを放つさまは、たいへん素晴らしいことでしょう。きっと、あなたと二人で見たならば、どんな名景より美しく見えると思いますわ。
宝石をお土産に買ってくださるのは嬉しゅうございますが、どのような宝石の類いも、あなたと過ごす夜の輝きには劣るのですよ。無事のお帰りを祈っておりますわ。
あなたの恋人のクリスティーナ』
健気で献身的なクリスティーナにどんどんのめり込んでいった。周りが見えなくなるほど、情熱的な恋だった。
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