第18話
翌朝になり目覚めた二人は、魔力の消耗が大きい転移魔法は控えて徒歩で帰宅した。
魔力の枯渇を起こした上、瘴気による障りを受けているアドルフは、体調を崩して二日間寝込んだ。発熱もあり全身の倦怠感が酷いそうだ。
厨房に立って食事の支度をした。玄米と麦が混合した穀物を牛乳で煮込んでポリッジを作る。鍋の中に混合穀物を入れて、それらが浸かるほどの牛乳を注ぎ、とろみが出るまでコトコト煮込んでいく。次に、蜂蜜を加えて混ぜたら皿によそう。甘く煮ておいた栗を乗せ、砕いたナッツもトッピングして完成だ。
かの東の島国では、米を牛乳ではなく出し汁や水で炊いて『お粥』なるものを作り、病気の際にはこれを好んで食べる習慣があるとか。
完成したポリッジと飲み物、カットしたリンゴを盆に乗せて厨房を出た。
ふと、二日前の夜にアドルフと寄り添いあって眠ったことを思い出した。腕の中は温くて安心してしまい、密着しているというのに朝まで熟睡であった。
(なんて刺激的な夜を過ごしてしまったのかしら)
邪な思考を拭い去るように、ぶんぶんと首を横に振った。アドルフの部屋の扉のドアノブに手をかけ、そっと開けた。中を覗き見ると、彼はまだ眠っているようだった。彼を起こさないように、夕食をサイドテーブルに置いて部屋を出ようと忍び足で近づく。すると、アドルフは寝台の上で半身を起こした。一日横になっていたので、長い銀糸のような髪が無造作に乱れている。
「ごめんなさい。起こしてしまいましたね」
「いや。少し前から目は覚めていた」
サイドテーブルに盆を置き、照明の灯りを灯した。机に備えられた椅子を引っ張ってきてベッドの脇に置き、腰を下ろした。
「体調はいかがですか?」
「悪くはない。休んで魔力の方も随分回復した」
「そうですか……。安心しました。お腹空いていませんか? 朝から何も食べていないでしょう?」
「ああ。少し」
サイドテーブルに置いた盆の上の皿を取り、膝に乗せた。
「ドニさんのご両親に頂いた栗を乗せてポリッジを作りました。温かいうちにどうぞ」
「ああ」
そう言って、ポリッジの皿を片手で持ち、スプーンでひと口分すくって彼の口元に差し出した。
「おい」
「はい?」
アドルフはいぶかしげに眉を寄せた。
「これはなんのつもりだ? ミヤ」
「私が食べさせてあげます! 以前読んだ小説で、この行為をしてもらうと百倍元気になるとの描写があったんです。アドルフには、百倍も千倍も元気になってほしいので……」
「お前はそういうのにすぐ影響を受けるのな。ったく、こういうのはいい仲の男女がやるから……」
アドルフは言いかけたところで、呆れたように、はぁと息を吐いて口を開けた。おずおずと、スプーンを彼の口内に入れる。
ポリッジを一口食べて、こちらを見ながら片眉を上げて笑った。
「これじゃ、餌付けされてるみたいだな」
「……元気、出ましたか?」
「ああ。とても出たよ」
そう言って柔らかく目を細めた彼に、どきんと心臓が音を立てる。寝巻き姿のままで、セルミヤの手ずから食事を摂り、口を開ける姿が無防備だ。けれど大人びた色艶も同居している。
急に気恥ずかしくなり、スプーンを皿の中に刺して、アドルフに押し付けた。
「あ、あの……もう、あとは自分で、食べてください……」
「ふ。自分から始めといて恥ずかしくなったのか?」
「……! ち、違いますけど……っ」
まんまと心の内を見透かされ、セルミヤは堪らず目を伏せた。アドルフは皿を手に取り、自分で黙々とポリッジを口に運んだ。
セルミヤはあっ、と何かを思い出したようにスカートのポケットに手を突っ込んだ。白竜から賜った透明な玉を取り出して手のひらに乗せる。
「実は、白竜様からこれをいただいたんです。『必ずいずれそなたの役に立つ』とおっしゃっていたんですけど、これは一体なんなのでしょう?」
アドルフは玉を見やり、適当な感じで言った。
「そりゃあれだ、竜の
「……」
(下品なんだから)
彼の回答はあてにならないということは理解したので、それをポケットに戻してため息混じりに言う。
「冗談が言えるくらいに、あなたが元気になって安心しましたよ」
彼が帰って来なかったとき、比喩ではなく本当に心臓が止まってしまいそうなほど心配だった。こうして軽口を言い合えることが、どれほど特別なことだったか改めて思い知らされた。
アドルフは特殊な事情を抱えている。こうして平穏に過ごせる時間は――必ずしも永遠とは限らないのだ。
「今回はお前に借りを作った。この借りはいつか返そう。迷惑をかけたな」
「借りだなんて思わないでください」
「……ミヤ?」
「助けるのは当たり前です。私は、損得勘定であなたと一緒にいる訳じゃありません。私は……アドルフが生きていてくれたら、ただそれだけで……」
その後の言葉は声にならなかった。色々な感情が溢れてきて、上手く言葉にできない。アドルフは自ら生きることを手放そうと思うほどに苦しんでいた。彼の気の毒な過去を想うだけで、胸が張り裂けそうな気持ちになる。
愁眉して俯き、スカートの布地をぎゅうと握りしめた。すると、彼の手が伸びてきて、セルミヤの頬を撫でてくれる。
「俺も同じだ。ミヤが生きて、健やかに笑ってさえいてくれたらそれで充分だと思う」
「…………!」
セルミヤの青い瞳が潤んだ。掠れた声を絞り出すようにして伝える。
「一緒が、いいです。アドルフも一緒が……」
「ああ。きっとな」
そう言って頬を緩めた彼は、憂いと哀愁を漂わせていた。触れたら消えてしまいそうな儚さを感じ取り、なんだかやけに不安を覚えた。
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