第12話

 

 チュンチュン。……チチッ。


 心地の良い小鳥たちのさえずりが鼓膜を揺らす朝。セルミヤは早くに目覚めた。ベッドで上半身を起こし、ぐっと伸びをする。今日は、西の村で分けてもらった栗の皮を処理する予定だ。かなりの量だったので、大仕事になると予想している。


(……あれ? なんだか、体が重い)


 体に倦怠感があり、下腹部の辺りに鈍痛がする。セルミヤは首を傾げつつ、ベッドから立ち上がった。そして、いつものようにシーツを整えようとすると――。


「き、きゃぁぁっ……!」


 セルミヤは悲鳴を上げた。同居人がまだ寝ているはずなので、声が外に漏れないように口元を両手で咄嗟に抑える。ベッドの白いシーツが、赤い鮮血で染まっている。その光景に愕然とした。


 血はまだ新しいもので、間違いなく自分の体内から流れ出たものだ。しかし、体のどこにも怪我らしい怪我はなく。ふいに足元を見ると、ナイトウェアのスカートの下、左足の足首の辺りまで、上から血液が伝っているのが見えた。それを見て、どこから血が流れているのかおおよそ理解した。


 己の体からこんなに多量の血が出てしまったことにショックを受け、ふらふらとよろめきながら服を替え、血で汚れたシーツを剥がした。


 アドルフはまだ起きていない。彼に気付かれないよう細心の注意を払って、忍び足で階段を降りた。汚れた服とシーツを外の水汲み場に運び、洗濯桶に水を貯めて、いそいそと汚れた部分を洗い落としていく。


 こうして作業している間にも、腹部の痛みはどんどん増しており、なんだかやけに気分も悪くなってきた。


「私……きっと何か、重病を患ってしまったんだわ……」


 不安な気持ちが腹の底から込み上げて、目頭が熱くなる。

 ふるふると顔を横に振って、シーツの汚れを落とすことに専念した。



 ◇◇◇



「……お前。なんだか今日はやけに元気がないな。顔色も良くないが……体調でも悪いのか?」

「い、いいえ! 全然いつも通りです。何ともありませんからご心配なく……!」


 実際はというと――とてつもなく体調は悪い。座っていることさえ、ためらわれるほど体が重く、腹を誰かにぎゅうと握りつぶされているような表現しがたい下腹部痛がある。しかし、彼に心配をかけたくないし、打ち明ける勇気もない。必死に笑顔を繕って、朝食のサラダのレタスをフォークで刺した。


 ボロが出ないように、目を合わさず手元に視線を向けて俯いていると、彼が言った。


「ミヤ。嘘をついているだろう」

「…………!」


 セルミヤは「ズバリそうです」と言わんばかりにびくと肩を跳ねさせ、顔を上げた。アドルフは頬杖を着いて、いつもの無表情でこちらをまじまじと眺めている。すると、かすかに口の端を持ち上げてからかうように言った。


「さては、便秘か?」

「なっ……! アドルフったらデリカシーがなさすぎます。……違いますよ」


 彼の無神経な問いに、むっと頬を膨らませた。しかし、内心ではそんなことはどうでもよく、気はそぞろだった。自分の病気はどうやら想像以上に深刻のようだ。股のあたりから、流血の感覚が続いている。人は血液の内の三割を失えば死に至るというので、この調子でいけば、一ヶ月と持たずに自分は命を散らすことになるだろう。


(こうして、アドルフと食事をすることも、できなくなるのかな……?)


「…………っ。……あれ……?」


 気が付くと、とめどなく両目から涙が零れていた。本当に、自分は涙脆くて困りものだ。セルミヤの突然の涙にぎょっとしているアドルフ。もうこうなっては、隠し通すことはできまい。


 性格上、嘘をつくのも秘密を作るのも不得手なのだ。意を決しておずおずと語った。



「私……もう少しで死ぬかもしれません」

「……はぁ?」


 突拍子もない告白に、彼は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。


「一体全体、どうしたっていうんだ?」

「じ、実は、今朝起きたらベッドのシーツが血で汚れていて……」

「……」


 それから、現在の身体の不調について詳細に伝えた。彼は難しい顔で何かを考え込んだ後、額に手を当ててため息をついた。


「ミヤ。そいつは病気じゃない」

「え……?」

「その……女性は成長すると、ある時期から月に一度、お前と同様の症状が身体に起こるが、それは正常な身体の働きによるものだ」


 セルミヤは驚き、目を白黒させた。毎月出血し、体調が悪くてなるだなんて。まさか、こんなに恐ろしいことを大人たちが抱えているとは思いもしなかった。


「え……じゃあ、アドルフもこうなるんですか?」

「…………」


 アドルフは目を見開いた。そして、なぜか困ったように眉を寄せて、頭を掻きながらきまり悪そうに言った。


「いや、俺はそうはならない。女性だけの症状だと言ったろ」

「どうして女の人だけに限定されるんですか?」

「…………」


 忌々しそうに眉をひそめたアドルフは、そのまま沈黙した。目つきは鋭いが、怒っているというより困っている表情だ。


「――んなことよりお前、体の具合が悪いんだろう? 家のことは俺に任せて、横になってるといい。何か、食べれそうなものとか、飲みたいものはあるか?」

「……助かります。……そうですね、ホットミルクが飲みたいです。たっぷりの蜂蜜と生姜が入った……」

「分かった。俺は今日少し出かける。お前はさっさと上行って寝てろ」


 手をひらひらと追い払うように振って、早く部屋に戻れと促す彼。

 体調がすこぶる悪かったので、彼の言葉に甘えることにした。


 アドルフが淹れてくれた蜂蜜たっぷりの甘いホットミルクを堪能し寝台で横になっていると、玄関の方から木が軋む音が聞こえた。アドルフが外出すると言っていたので、家を出ていった扉の音だと理解する。


 しばらくして、心地の良い眠気に誘われ、いつのまにか意識を手放していた。

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