第11話
その夜、アドルフと一緒に食事を摂りつつ、頭の中では今日村長に分けてもらった栗をどう調理しようかと、そればかり思案していた。
(ペースト状にしてお菓子やパンに入れるのもいいし、茹でて甘く煮るのもいいわね。渋皮のままでも、アクをとったら美味しく煮えるかしら)
この辺りに栗の木はない。栗というのはブナ科の落葉樹で、温暖で程よい湿度の環境で育つ。しかし、アルフ山は霧がかかるので、ここでは育ちにくいだろう。広いアルフ山を探せば、どこかに生えているかもしれないが、魔物と遭遇する可能性がある以上、栗拾いなどと悠長なことはできない。
(……そういえば)
セルミヤは黒糖パンをひと口にちぎり、口に運びながら尋ねた。
「あのポーション、あれだけの効果があるのだから高いんでしょう? 市場ではいくらくらいするんですか?」
「ざっと金貨五十枚ってところか」
「ごじゅ……!? ゴッゴホッ」
大きく目を見張き、パンを喉に詰まらせてむせた。胸を叩いて、つっかえた欠片を嚥下する。
通常、治癒ポーションの相場は銀貨二、三枚程度。それであっても、庶民にはなかなか手が出せないのに、金貨五十枚という破格の値段に面食らった。
(薬の商売だけでひと財産築けそうね……)
アドルフは、高価な魔法薬の類いをほとんどただ同然で提供している。欲のない良心的な人なのだと改めて感心した。
セルミヤが、緑野菜のポタージュとパンを交互に黙々と食べていると、彼がこちらをじっと見ていることに気がつく。
「……この髪、気になりますか?」
ふっと苦笑した。艶のある淡紅色の髪は、長さも不揃いで、短さゆえに毛先が跳ねている。彼はゆっくりと息を吐き、いつものように淡々とした口調で言った。
「ミヤ。ちょっとこっち来い」
「……? 分かりました」
椅子から立ち上がってアドルフの近くまで歩み、ちょこんと彼の膝の上に正座するような形で座った。
「おい」
「……?」
「こっちへ来いとは言ったが、俺の膝の上に座れとは言ってないだろう」
「はっ、す、すみません手招きされたのでこういうことかと」
「どんな勘違いだ」
忌々しげに睨まれたので、急いで彼の膝から降りようとすると、彼が腕を掴んでそれを制した。
「まぁいい。そのままじっとしていろ」
「い、一体なんですか……?」
意図が図れずに小首を傾げていると、アドルフがセルミヤの頭に手をかざした。すると、暖かな気配が身体をふわりと包み込んだ。
一瞬のうちに、セルミヤのウェーブのかかった艶やかな髪が元通りの長さに戻った。頭を揺すって髪をなびかせ、手で触れたりして髪が自分のものであることを確かめたる。
「これも魔法ですか?」
「そうだ」
「へえ……。魔法って本当に万能なんですね」
(……ていうか、こんな便利な魔法があるなら、ドニにもかけてあげたら良かったのでは)
口にしかけたが、あえて言うことでもないと思い喉元まででかかった言葉を飲み込んだ。アドルフは無表情でこちらにそっと手を伸ばし、セルミヤの髪を一束すくい上げるようにして撫でた。
「お前の行動にはいつも驚かされてばかりだ。ミヤはとても綺麗な髪をしているんだ。大事にしろ?」
わずかに頬を弛めた柔らかい表情に、胸の奥がきゅうと締め付けられた。
(何……これ)
未知の感覚に戸惑いながら、自身の胸を抑えた。アドルフの深藍色の瞳にセルミヤの姿が写し出されている。長い髪を耳にかける些細な仕草も、今日はひときわ色めいて見えた。
アドルフからふいと顔を逸らし、彼の膝の上から下りて頭を下げた。
「……髪、戻してくれて、どうもありがとうございました」
「ああ」
自分の席に戻り、ほのかに黒糖が香るパンを無心でちぎって食べる。しかし、胸の高鳴りは一向に収まる気配がない。
(駄目よ。こんな気持ち、忘れなくちゃ駄目。だって、私みたいな子どもが、アドルフに相手にしてもらえるはずがないもの。……彼を困らせてしまうだけよ)
この胸の高鳴りの理由は、いくら自分が鈍いとはいえ、薄々分かっている。しかし、この気持ちに名前を付けることはできない。自分はただの居候で、アドルフにとって自分は善意で一時的に保護しているだけの子どもなのだ。身分差も年の差もあり、なんの取り柄もない自分が、『美しき英雄』に相手にしてもらえるはずがない。そんなことは、考えるまでもなく分かりきっている。
セルミヤは、アドルフへの特別な感情をなんとか心の奥にしまい込んで、芽生えだした想いに――そっと蓋を閉じた。
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