第10話
アドルフは、村長夫妻から代金を一切取らなかった。彼らの貧しさを見ての配慮だろう。代金の代わりに、籠いっぱいの栗を分けてもらった。
また、先ほど両親に話があると言っていたのは、アドルフについて外に口外しないよう念を押していたらしい。
「青色のポーションなんて初めて見ました。凄まじい効果でしたね」
「……普通、市場で出回るポーションは緑色をしているのは知っているか?」
「はい」
「古来から伝わる治癒ポーションは皆、青色をしていた。しかし、半端な術士が増え、本来の色のポーションを生成することが困難になった。緑色は完全な効力は果たさない。ちなみに、カジュの葉とロズメの抽出液を混合する際に付与する魔力量の調節に問題がある場合が多く――」
「へ、へえ……」
ドニの家を出てしばらく、アドルフはポーションの調合について熱心に語った。こんなに彼が饒舌なのは珍しく、セルミヤは困惑した。
「アドルフは、ポーションにも薬草にもとってもお詳しいんですね」
「…………」
彼は数秒黙ってから答えた。
「俺は子どものころ、薬師になりたいと思っていた。……俺の父親は、とても優秀な薬師だった」
彼の口から彼自身のことを聞くのはあまりない。薬師だった――と過去形なのが妙に引っかかる。現在は事情があって職を離れているのか、あるいはもうこの世にいないのか……。
「両親は非魔力者だったが、俺だけがなぜか類まれな魔力を有し生まれてきた。……この力のせいで、薬師になる夢は早々に絶たれることになったって訳だ」
「今のアドルフがしていることは、薬師のお仕事ではないですか?」
「ただの薬師ごっこだ」
「でも、アドルフの魔法薬や薬草が、大勢の方の力になっているのは紛れもなく事実です。アドルフは優秀な魔術士であり、優秀な薬師でもあると思いますよ。――夢、叶いましたね!」
「…………」
セルミヤが微笑むと、アドルフは少し眉を上げた。それから彼は押し黙ってしまった。
(私……何かおかしなこと言っちゃったかしら)
二人は沈黙したまま、元来た道を辿った。先ほど通った住宅街を歩いていると、やけに村人たちの視線を感じた。彼らの視線に、好奇が滲んでいる。
(そういえば髪……勢いあまって切ってしまったんだわ)
無造作に切られた短い髪を見て、ひそひそと噂話をしている様子。あまり気分が良いものではない。しかし、これまでドニが味わってきたであろう屈辱は、今セルミヤが感じているものの比ではない。そう思うと、彼女が気の毒で、ちくりと胸が痛んだ。
「ミヤ。これ被っとけ」
アドルフはセルミヤが手に抱えていた白い帽子を取り上げ、頭に被せた。ちょうどそのとき。
「待って……!」
振り返ると、村人たちの視線を集めながらドニがこちらに走ってきた。息を整えながら、彼女が何かをセルミヤに差し出す。
「これ、あんたにやるよ。お礼……!」
「……!」
渡されたのは、赤いリボンのバレッタだった。リボンは光沢感があり、その下にレースのリボンが幾重にも重なっている。
「わあ……可愛い」
「良かった。……これ、ずっと前にあたしが作ったんだ」
「そうなんですか!? ドニさんはとても器用なんですね」
「へへ、ありがと」
ドニは照れくさそうにはにかんだ。涼やかで愛らしい笑顔だ。
「……でも私、こんなに短い髪じゃ髪飾りはしばらく着けられないわね」
「はは、髪なんてすぐに伸びるさ。ほら、あたしも一緒」
ドニは自分のぼさぼさの頭を指さして悪戯に笑った。髪を失っている時間は、彼女にとって永遠のものではなくなった。そう、髪はまた伸びる。しかしそんな当たり前のことが、ドニにとってはあまりに特別なことなのだ。
セルミヤは、さっきアドルフが被せてくれたつばの長い帽子を取り、ドニの頭にそっと被せた。
「では私からはこれを。リボンのお礼です」
「お礼のお礼じゃ、意味ないじゃないか」
ドニは不満げを言いつつも、嬉しそうにしていた。この帽子は、セルミヤが母国ルボワから持ってきた持ち物のひとつ。思入れはあるが、彼女が使ってくれるなら嬉しい。
「……ありがとう、本当に。あんたは、あたしの顔を見ても嫌な顔をせず、真摯に接してくれた。あんたみたいな子は、初めてだよ」
「いいえ、私は何も特別なことはしていません」
「はは、あんたらしいや。……あのさ、その……最後に、名前を聞いてもいいか? あんたの名前、覚えていたいんだ」
セルミヤは頷き、優美に微笑んだ。
「セルミヤ。……セルミヤ・ラインレッツです」
「セルミヤ・ラインレッツ……。そうか、あんたに良く似合う、綺麗な名前だ」
「ふふ。ありがとう」
ドニはアドルフを一瞥し、深々と頭を下げた。
「グレー様、セルミヤ。……本当に、本当にありがとう。この恩は、生涯忘れません」
顔を上げて微笑んだドニは、瞳に涙を浮かべていた。セルミヤもつられて、目を潤ませた。
セルミヤとアドルフに礼を伝えたドニは、満足した様子で自宅の方へ走っていった。とても軽快な足取りだった。
大事そうに彼女から贈られたバレッタを眺めていると、アドルフが小さく笑った。
「良かったな」
「……!」
いつも仏頂面のアドルフが、珍しく頬を緩めていて、心臓がどきんと跳ねた。なぜか、彼がたまに見せる優しさに弱い。胸が甘やかに締め付けられて戸惑った。
住宅街を抜けて小路を歩き、人目につかない茂みの中に行った。こちらに手を差し伸べる彼。
「帰るぞ」
アドルフ・シュグレイズ。彼はかつて、世界から敬われた天才魔術士だった。魔物が出没したり、災害が起きた地域に出向き人々を救う一方で、戦場で無慈悲な殺戮を犯していることもまた事実。帝国エルシアの軍人だった時代、冷酷無慈悲だと恐れられていた。
周囲の土を隆起させ、突風を吹き荒らし、洪水のように水を降らせ、森を丸ごと焼き付くし、ありとあらゆるものを凍りつかせる。戦場で自然を我が物のように自由自在に操り、頭身をひらめかせる姿は、息を飲むほどに美しいという。人間離れした美貌の彼が、冷酷無慈悲に兵士の命を刈り取る――。
アドルフの『美しき英雄』という肩書きには、彼の残酷さへの皮肉を含んでいる。
しかし、今目の前にいる彼は、冷酷でも無慈悲でもない。悩む人々のためにポーションや薬草を配り歩き、その心には他者への慈悲がある。
一体なぜこんな彼が、戦場でおぞましい非道を重ねてきたのか――。
(……私は、自分で見たものを信じるわ。目の前にいる彼のことを……)
はじめは彼に畏怖を抱いていた。けれど今は、自分が見た彼を信じている。行き場をなくしたセルミヤを助け、悩める人々を思いやる優しい彼を。
「アドルフ」
「なんだ?」
「今日はどうして私を連れてきてくださったんですか?」
「別に、ただの気まぐれだ。家の中にいてばっかりじゃ退屈だろう」
「ふ。そうですか。私、ここに来れて良かったです!」
アドルフの筋張った手に自身の手を重ねると、ほどなくして転移陣が足元に発現した。
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