第9話
悲しげに泣き続けるドニの前で、どうしたらいいか頭を悩ませながら思った。
(それにしても――インチキ薬師……って、アドルフのことよね?)
前回のポーションはともかく、先ほど渡したポーションは、天才と謳われる彼がドニのためだけに調合した特別な代物だった。効果がないということはないはずだ。
「アド……じゃなくて、グレー様はとても優秀な方なんです。ですから彼の薬ならきっと効果が――きゃあっ」
セルミヤの言葉を遮り、ドニがセルミヤの淡紅色の髪の毛をぐっと束で鷲掴みにした。
「うるさいっ! そんな言葉はもううんざりだよ。効きもしない薬を売りつけて金をせしめる魂胆なんだろ? あんた、随分綺麗な髪してんだな。あたしの気持ちなんて、少しも知らないくせに――」
「痛っ……」
ブチンッ。
ドニはセルミヤの髪を乱暴に掴んだまま引き抜いた。バラバラと艶やかな髪の束が床の上に散らばる。
(……なんて気の毒な人なの。顔に怪我をする辛さは分からないけど、行き場のない怒りや悲しみを抱くことは……よく知っている)
今にも泣いてしまいそうだった。乱暴に髪を抜かれて辛いからではない。
ただ、本来の容姿や、周りの目を気にせず活動する自由や、自尊心など、あらゆる光を失いかけている彼女が哀れでならなかった。
「あんたが、羨ましいよ。そんな綺麗な顔して、綺麗な髪があって……。あんたなんかに、あたしの気持ちなんて分かるはずがないんだ。醜くてどうしようもないあたしの気持ちなんか……」
枯れた声を絞り出すようなドニの声。
セルミヤは寝台に座る彼女から離れ、部屋の隅に置かれた背の低い棚のところまで歩いた。棚の上のガラスの花瓶に、数本の花が生けられており、その隣に花バサミが置かれている。
おもむろに、花バサミを手に取った。
「あ、あんた、何を!?」
ザク、ザク……。
唖然とこちらを眺めるドニを尻目に、セルミヤは片手で長い髪の束を取って、乱雑に切り落としていく。なんのてらいもなく、根元の方から切っていく。
ザクッザクン。
まるで男性のような短い髪型になるまで切り落としたところで、花バサミを元あった場所に置き、ドニの方を振り返って微笑んだ。
「ドニさんは、とても強い人です。醜いだなんて思いません」
「あんた、なんで自分の髪を………」
ドニはセルミヤの行動に唖然とし、口をぱくぱくとさせている。彼女の元に歩み寄り、そっとドニの手を握った。彼女はこんなにも辛い境遇の中を耐え忍んで生きている。それだけで尊敬すべきことだ。たとえ誰がその姿を蔑んでも、強い心だけは誰も穢すことなどできない。
セルミヤは決まり良く目を細めて笑った。
「これで私もお揃いですね」
「あ、あんた馬鹿じゃないの? 他人のために綺麗な髪を駄目にしてどうすんだよ……」
「ふふ。同居人にもよく言われます。ミヤは頭が良くないなって……」
髪を失ったところで、ドニの憂いが晴れる訳ではない。ただ、彼女を励ます方法が、これくらいしか思いつかなかったのだ。ドニはセルミヤの頭にそっと手を伸ばし、無造作に切られた髪を優しく撫でた。
「本当に……馬鹿な子だね」
怒気が消えた彼女の優しい声。少しは怒りも鎮まったようだ。――そのとき。部屋の扉が開いて、アドルフと村長夫妻が部屋に入ってきた。
「お、おい。お前…………」
アドルフは絶句していた。ドニの両親もあんぐりと口を開けている。
粉々に割れて床に広がったポーション。
乱雑に散らばったセルミヤの長い淡紅色の髪。
セルミヤの髪に伸ばされたドニの左手。
アドルフたちは、この部屋で起きたであろう惨事への想像を膨らませ、特に村長夫妻は青ざめた顔でこちらを見ている。
(確かにこれ、どう見ても私がドニさんに襲われたようにしか見えないような)
セルミヤはドニと顔を見合わせて苦笑した。
必死に頭を下げる村長夫妻に事の仔細を話し、アドルフにドニがまだポーションを飲めていないことを伝えた。彼は持ってきた荷物の中からもう一本青いポーションを取り出した。
「予備はこれだけだ。前回俺が持ってきたものより、格段に強力な治癒効果を発揮するよう精製してあるが……。これを飲むも、飲まないも――お前の自由だ」
淡白な口調で告げるアドルフ。ドニはまだ、迷っているようだった。無理もない。これまで散々両親の勧めで色々な治療を試してきて、効果が得られず、希望を打ち砕かれ続けてきたのだから――。
ここで思うような結果が出ず、落胆することが嫌なのだろう。
「きっと大丈夫です、ドニさん。少しでも効果があることを、私は信じています」
セルミヤが優しく囁くと、ドニは決心して頭を縦に振った。彼女はアドルフから小瓶を受け取り、恐る恐る小瓶の中の液体を口内へ流し込む。すると――
「…………!」
白く淡い光がドニを包み込んだ刹那――醜く歪んでいた顔が、元の形を取り戻した。頭皮の瘢痕も消えている。大きな茶色の瞳に、整った鼻や唇。勝気な性格とは裏腹に、とても可愛らしい風貌の少女だった。
「ああ……ドニ、良かったわねぇ。よく頑張ったわ。こんなに辛いこと、頑張って偉かったわねぇ」
「ドニ、よく頑張ったな。お前は我が家の誇りだ。ああ……こんなにも嬉しい日はないな。神様……ありがとう、ありがとう……っ」
村長夫妻がドニを抱きしめながら脇目も振らず号泣している。一方でドニは、何が起きたのか分からない様子でぽかんとしている。
セルミヤは、先ほど花バサミを拝借した棚の下の段に伏せたまま置かれた鏡を取った。それを手でかざしてドニの顔を写してやる。
「え、うそ……。顔が、元に……?」
傷が跡形もなく消えた顔を見て、ドニは驚愕した。数多の医者たちが匙を投げてきた傷が、アドルフの薬によってすっかり元に戻ったのだ。
茫然と鏡を眺めた後で、現実を少しずつ理解していき、茶色い瞳からぼろぼろと涙を流し声を漏らした。
「う……わぁぁん……」
それは、さっき見せた悲嘆の涙ではない。嬉しくて泣いているのだ。両親にすがり付きながら、少女らしく涙を流すドニを見て、セルミヤも目の奥が熱くなった。
(良かった、本当に良かった)
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