第7話
アルフ山の家に身を置いて――数ヶ月が経った。
早朝。
寝台近くの小窓から眩しい朝の日差しが差し込み、目を覚ました。重い瞼を擦りながら、ベッドのシーツを手で整え、窓を外に押し開く。
「今日もいいお天気……!」
眩しい光に目を眇める。植物や自然のみずみずしい香りが鼻を掠め、遠くに小鳥のさえずりと羽ばたきの音が聞こえた。
桃色のナイトウェアを脱ぎ捨てて、外着に着替える。きしきしと木が軋む音を立てながら階段を降り、玄関を開いて庭へと出た。セルミヤの一日は、養鶏小屋の鶏たちに挨拶してから始まる。
「コッケコッコーー!」
「おはよう。みんな今日も元気が良いわね」
金網越しに軽く挨拶を交わし、扉を開けて小屋に入る。今日は週に三回の、掃除の日だ。三角巾を頭に着けて、清潔な布で口を多い、ほうきで糞を掃除する。鶏小屋の匂い対策として床に敷き詰めている落ち葉が、かさかさと音を立てた。腐葉土や落ち葉を混ぜたものを床に敷くことで、土の微生物が糞を分解して臭いを防いでくれるのだとアドルフが教えてくれた。
餌箱を綺麗に洗い、大麦と小麦などの穀物類を合わせた餌を補充する。栄養のために、たまに畑の野菜も与えている。手から直接野菜を食べてくれる姿は、なんともいじらしいものだった。
「新しいご飯ですよー! ルフたん一号に二号に三号に四号!」
「コケッ?」
小屋の中には、採卵用の鶏が四羽。アドルフへの敬意を示し、『ルフたん』の愛称で勝手に呼んでいる。
産みたての卵をワンピースのスカートの中に包むように乗せて、落とさないように家に戻る。こんな大自然の中では人の目もないので、スカートを捲り上げても問題ない。人の目がなくて、とても開放的だ。
続いて、厨房に行って朝食の準備をする。
採れたての卵を、油を敷いた黒いフライパンで焼く。厚手のパンの上に、輪切りのトマトとレタスを乗せて、トマトソースにマスタード、粗挽き胡椒で味付けをして挟む。それから、ブルーのモダンチックなサラダボウルにサラダを盛り付けて、オリーブオイルを上からかけた。
「完璧!」
朝食をダイニングルームへと運んだ。木がむき出しになっていたテーブルには、白いレースのクロスがかけられている。このテーブルクロスは、前の家の住人のものらしく、セルミヤが見つけて棚の奥から引っ張りだしてきたのだ。
「アドルフったら、まだ寝ているのね」
ダイニングに食事を運んだ後、再び厨房に戻り、片手にフライパン、片手におたまを持って、ダイニングの左側の部屋の扉に手をかけた。
カンカンカンカンカンッ!!
フライパンの裏をおたまで叩き、声を張った。
「アドルフ・シュグレイズさーん! 朝ですよーーっ! 起きてくださーい!」
「…………」
カンカンカンカンカンカンカンカンッ!
ベッドでぐっすりと気持ち良さそうに寝息を立てていたアドルフは、忌々しそうにこちらを見た。
「……朝っぱらから騒々しいぞ」
気だるげな様子で上半身を起こした彼。セルミヤはベッドのシーツに両手をつき、彼の顔をしげしげと覗き込んだ。
「アドルフは寝起きから綺麗なお顔をしていますね」
「近い。――離れろ」
「あいたっ」
片手で顔を押し離される。セルミヤはベッドから離れ、部屋の中を見渡した。机の上に、液体が注がれた小瓶が複数。そして、乳鉢と乳棒、フラスコにビーカー等の化学器具に、分厚い本の山が無造作に置かれている。
「また夜中までポーションを作っていたんですか?」
「そうだ」
「あまり無理はしないでくださいね」
「ああ」
アドルフは手製のポーションや、山で採取した薬草を人里に出て人々に安価で提供している。薬草も魔術士が調合したポーションも、貴重品でそう簡単に手に入るものではないので、重宝されているらしい。
「食事の用意ができてます。支度が終わったら来てください」
「分かった。ありがとう」
まだ眠そうにぼんやりとしているアドルフを置いて、部屋を出た。
この数ヶ月で家事をよく覚え、大抵のことはできるようになった。今では、アドルフに代わって家のことを任されている。閉鎖的な山奥での暮らしではあったが、貴族の令嬢としての窮屈な暮らしより、自然に包まれた原始的な今の暮らしの方が、なんだか性に合っている気がする。
アドルフも遅れてダイニングへやって来て、椅子を引いて腰を下ろした。長く伸びた銀色の髪を、後ろに適当に結んでいる。胸元まで伸びた銀髪は癖のない直毛で、伸ばしっぱなしでも不潔感は全くなく、むしろ彼の色艶のある魅力をいっそう引き立てている。
二人でいただきますと手を合わせて、サンドイッチを黙々と食べていると、彼が言った。
「今日は外出してくる。とある西の町だ」
「さっきのポーションを売りに?」
「ああ。先日同じ町を訪れたとき――酷い火傷の跡が顔に残った少女がいてな。あのポーションは、彼女の跡を消すために通常より強力な治癒効果を与えたものだ」
「顔に火傷を……。きっとさぞ辛い思いをされてきたのでしょうね。跡が消えるように願ってます。どうかお気をつけて行ってきてください」
セルミヤは、にこりと微笑んだ。
アドルフは度々遠い町や村を巡り、病や怪我で悩む人々を救う奉仕活動をしている。素晴らしいことだと感心してはいるが、気になる点があった。彼が、外出の際には必ず――変装をしていること。その徹底ぶりは驚くほどで、魔法で見た目を完全に別人に変えた上、認識阻害魔術を自らにかけ、必要以上に人目につかないよう念を入れてから家を出る。
(まるで見つからないように、何かから逃れているよう)
人が立ち寄れない危険な山に暮らし、徹底的な変装をして出かけているのには、よくよくの理由があるだろう。でも、踏み込んではいけない気がして、聞かないようにしている。
そして、アドルフはセルミヤを外出に連れて行ったことは一度もない。セルミヤ自身も、出先で自分が足でまといになるだろうということは承知しているので、連れて行って欲しいと頼むことはなかった。――つまり、セルミヤは数ヶ月の間、この家に引きこもっているということになる。
(正直、たまには気晴らしにお出かけもしたいって思うけどね)
小さく息を吐いた。ただでさえ世話になっている身で、わがままは言えない。
しかし、そんなセルミヤの心を見透かしたように、朝食を先に完食したアドルフが言った。
「お前も一緒に来るか?」
思わぬ提案に、セルミヤは瞳を輝かせたのだった。
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