第5話
アドルフは、セルミヤに二階の空き部屋を与えた。彼女が眠りに行った後、自室へと戻った。いつ見ても簡素で飾り気のない部屋である。
机の前に置いた椅子を引いて座る。それから、机の上の蝋燭に魔法で火を灯した。
左耳に着けていたピアスを外した。ピアスの装飾として埋め込まれている青い石は魔石が使われており、装飾品としてではなく、魔道具としての永続的な機能が備わっている。
ピアスの金属部分の突起を押して、魔道具を作動させた。
ピアスを机の上に置いてまもなく。空中に青みがかった白い光が扇状に広がり、男性の姿が映し出される。
「やあ、アドルフ。君から連絡してくるなんて珍しいね。明日は雨が降るのかな?」
彼もどこかに座っているらしく、頬杖を着いて首を傾げている。
自然体なその佇まいには妖艶さが漂っており、数々の女性を泣かせ艷聞を流してきたことにも納得できる。
愛想良く微笑む金髪の男の名は――オティリオ・エルキエイス。彼は、エルシア帝国の皇太子だ。
現皇帝カリストは、非常に好戦的で次々に他国の領土に侵攻し、領土拡大に躍起になっているが、オティリオは違った。平和主義者で、国民の安全と利益を一番に考えている。
知力に優れ、軍事的センスも秀でていたためカリストから重用され、第二王子でありながら皇位継承権一位の皇太子となった。皇帝に重用される一方で、父に反発心を抱き、虎視眈々と彼を皇座から引きずり下ろすことを画策している。
「お前に報告がある」
「報告かい?」
「ああ。少女を拾った」
「ひ、拾ったって……一体どこで?」
「家の近くだ」
「君さ、なんでもない感じで話しているけど、女の子なんてそうそう落ちてないからね、ウルナー山脈地帯に」
驚きを表情に滲ませるオティリオ。
「――それで、彼女を引き取ることにしたから、その報告だ」
彼はぶっと吹き出し、目を大きく見開いた。
「どういう風の吹き回しだい? 君が女の子を引き取るだって? 君はそういうのを一番面倒がるタイプだと思っていたよ」
「まぁ、話の流れでな」
「そう。別に構わないけどね。……それで、どんな子なんだい?」
「名を、セルミヤ・ラインレッツというらしい。無実の罪を問われ、転移魔法でこんなところに飛ばされたそうだ」
セルミヤは、年の割に大人びた憂いを帯びた少女だった。何を経験してきたのかは知らないが、妙に達観しており、理不尽な目に合ったというのに、どこか飄々としている。
また、感受性が豊かなところがあり、ころころと表情を変える。大人びた憂いの中に――子どもらしさも内在させた風変わりな少女だった。
オティリオは興味深そうに、ふうん、と呟いた。
「セルミヤ・ラインレッツ……ね。僕、彼女のことを知ってるよ。……有名人さ」
「有名人?」
「うん。ルボワ王国第二王子、アレックス・ファーガン殿下の婚約者であり――『傾国の美女』と言われている」
「傾国の美女? 彼女はまだ子どもだ」
「アレックス王子が得意気に言いふらしていたんだよ。宝石の原石を見つけた、とね。幼いラインレッツ嬢を見かけたとき、確信したそうだ。彼女は成長すれば必ず、誰もを魅了する美しき娘になると。彼は、ラインレッツ嬢を自分好みの女性に育てるつもりだったらしい。……だから、当時十歳にも満たない彼女と強引に婚約を結んだ。……王家の立場を使って」
「つくづく胸糞悪い話だな」
「はは、君はこういうの大嫌いだろうね。……初めはたいそう彼女を気に入っていたようだけど、彼女への関心はそう長く続かなかったのだろうね。移り気な青年だ。言いがかりをつけて婚約を破棄した挙句の果てに、国外へ少女を一人追放するとは。ルボワ王国のとんだ恥晒しだよ」
まだ幼かった彼女が、自分の意思に反して強引に婚約をさせられたことは、どんなにか屈辱的だっただろう。
面白そうに口の端を持ち上げて、オティリオが優美に微笑む。
「君は「まだ子どもだ」なんて言ってるけど、あと二、三年もしたらあっという間に成長するよ。……君、ラインレッツ嬢を気に入っているのかい?」
「別に、そういう目で見てはいない」
「はは、残念。君にはロッツェ嬢がいるしね。……彼女、ずっと君のことを待っているよ?」
「婚約の契約期限はじきに切れる。彼女とはそれまでだ」
「あはは、冷たい男だなぁ」
「お前だけには言われたくない」
カトリーナ・ロッツェ伯爵令嬢。彼女はアドルフの、名ばかりの婚約者である。帝国軍で副総長を務めていたころ。王家からの命令により、政略的な婚約を結んだ相手だ。田舎の狭い領地を治めるロッツェ家は、社交界での立場は弱かった。当時、王家にとって脅威となりうる程世間から支持を得ていたアドルフには、ぴったりの相手だった。
エルシア帝国の法では、規定の期間経過した契約は無効となるので、カトリーナには自分ではなく、彼女の好きな相手と添い遂げて欲しいと願うばかりだ。
「……オティリオ。
彼は眉をひそめて、首を横に振った。
「いいや、残念だけどまだだ。まだしばらくはそっちに身を隠していてくれ。……君が国に戻れば、世界がめちゃくちゃになってしまうからね」
「…………」
「皇帝陛下は血眼になって君を探しているよ。一番の忠臣であり、『美しき英雄』である、アドルフ・シュグレイズの帰還を願っている」
何が『美しき英雄』だ。
笑わせるな。そんな思いで、自嘲めいた笑いを浮かべる。
「カリストが求めているのは俺の力だけだ。……俺は英雄なんかじゃない。穢れた愚帝に飼い慣らされた駄犬ってところだ」
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