第4話

 

 その後、初対面の定番の会話を終えると、沈黙が続いた。セルミヤは気まずくなり、なんとかその沈黙を破ろうと試みる。


「えっと……今日は、良い天気ですね……」

「そうだな」

「風が心地よくて、その……過ごしやすいですよね!」

「そうだな」

「や、山ってもっと寒いイメージがあったんですけど、ここは寒くないですね。もっと標高が高くなると変わってくるんでしょうか」

「そうだな」

「…………」


 会話のテッパン、天気や季節の話で繋いでみたものの、特に会話に盛り上がりはない。


(気まずい……)


 これといって話題もなく向かい合い続けるのは気まずい。どうしたものかと気をもんでいたとき――。


 ぐぅ。


 下方から――具体的に言えばセルミヤの腹部から音が漏れ聞こえた。


(わ、私ったら恥ずかしい……!)


 咄嗟にお腹を両手で抑え、ちらりとアドルフの顔色を伺うと、彼は愉快そうに口の端を上げていた。


「お前は腹の虫まで賑やかのようだな」

「う……ごめんなさい。今朝から何も食べていなくて」


 謝罪している間も、きゅるきゅると絶え間なく腹が空腹を訴えている。アドルフは、壁の近くに置かれた木製のアンティーク調のチェストに目線をやり、置時計で時刻を確認した。


夕餉ゆうげの支度をしてこよう。お嬢さんはここで待ってるといい」

「わ、私も何か手伝います……!」

「お前が? なら、一緒に厨房に来な」


 アドルフに続いて立ち上がり、たった今まで会話していたダイニングルームの右隣に隣接した部屋に入る。そこは、広々とした厨房で、調理に必要な備品が充実している。

 アドルフは、手馴れた様子で棚から包丁や鍋を取り出していく。更に、背の低い立方体の木箱に手をかけた。


 箱を開くと、冷気が充満しており、箱から鮮度が保たれたままの野菜が次々と取り出されていく。恐らく、箱に何らかの魔法を付与して、冷蔵機能を付けているのだろう。


「!?」


 セルミヤは、最後にアドルフが箱から出したおぞましい物体を見て、びくっと肩を跳ねさせた。不思議な物体。青みがかった光沢のある――生き物の死骸だ。縦線の入ったヒレが付いていて、まん丸で覇気がない虚ろな目が一層不気味だ。


(何……このグロテスクな生き物……。なんだか少し生臭いし……。ま、まさかこれも食べるの!?)


「ア、アドルフ、それは一体…………?」

「魚だが」

「さ、魚……!? 嘘です、だって魚って言ったら、白かったり、赤かったり、もっとこういう形の……」


 かつて実家の屋敷で、食事として出されていた魚料理を思い出しながら、両手の指で楕円を作った。


 アドルフはしばし目を瞬いて、ぶっ、と吹き出した。


「ははっ、お前まさか魚が切り身のまま泳いでると思ってるのか?」

「え……?」

「調理されて出される魚は、元はこの姿をしてる」

「そ、そうなんですか!? 知らなかったです。いかんせん、調理された後のものしか見たことがなかったものですから」

「これは驚いた。さてはお前、相当馬鹿だな? ふっ……」


 アドルフは、今日見た中で一番屈託ない表情で笑っていた。無知を馬鹿にされて不本意ではあったが、彼の笑顔が見れて、これはこれで悪くはないと思った。


「俺は魚の処理をする。お嬢さんはそこの野菜を洗ってくれ」

「分かりました」

「一応聞くがお前、包丁は使えるのか?」

「生憎ですが、料理は未経験でして。何しろ私、世間知らずで生活力皆無の箱入り娘でしたから」

「そんな自信満々に言うようなことではないがな。まぁいい。俺の作業を見ていろ」

「はい。応援なら得意ですからお任せください! 私の熱いエールをアドルフに送りますよ!」

「鬱陶しいから結構だ」


 ふん、と気合を入れて拳を握るが、軽くあしらわれてしまい、しおらしげに肩を落とす。

 セルミヤの仕事は、にんじんとキャベツを洗って終了した。まじまじと熱い視線を送り観察する横で、アドルフは慣れた手つきで手際よく魚を捌き、野菜を切っていく。


 次に、油を敷いた鍋で切った野菜を炒め、小麦粉をまぶした魚を加えて加熱する。最後に、鍋の中に水と調味料をいくつか加え、スープが出来上がった。


「わあ……美味しそうな匂い。とても器用なんですね」

「別に、このくらい普通だ」


 完成したスープを陶器の皿によそって、ダイニングルームへ運んだ。


「美味しいです……! 自分で作ったから余計にそう感じますね……!」

「お前、洗う以外何もしてないだろ」


 野菜も魚も柔らかく煮えており、噛むほどに素材本来の味わいが口いっぱいに広がる。素朴な味付けで、心まで温まる家庭的なスープだ。


 更に、バスケットの中に切り分けられたライ麦パンと、ブロック型のチーズが入っている。アドルフは鉄製の串にチーズを刺して、暖炉の火でそれを炙った。次第に熱でチーズが柔らかく溶けていき、ちょうどいいところでそれをライ麦パンに乗せた。


 チーズが乗ったパンを差し出され、一口食べた。とろとろに溶けたチーズが伸びる。チーズが落ちないように口でチーズを辿っていく。魚と野菜が入った具沢山のスープとの相性も抜群だった。


 セルミヤは、グラスに注いだ白ワインを飲んでいるアドルフを見ながら思った。


(なんだか物凄く優雅な食事……。とても山にいるとは思えないけど、この食材どこで調達しているのかしら?)


「厨房も、このダイニングルームも内装がしっかりしていて驚きました。こんな山奥に、どうやってこんな立派なお家を建てたんですか?」

「この家は元々、遠方の街で民家として使われていた。空き家になっていたのを家ごとここに転移させた」

「い、家ごと……!?」


 思わず、目を丸くした。しかし、アドルフはさも当たり前のように淡々と言った。


「流石に、家丸ごととなるとそれなりに時間がかかったがな」

「そ、そうなんですね……」


 一般的な魔術士であれば、せいぜい人間一人二人を転移させるのが関の山だ。やはり、天才と賞賛される人は術のスケールが違う。


「――それで」


 アドルフがおもむろに切り出した。


「お嬢さんはこれからどうするんだ? 国外に頼れる人間がいるなら、転移魔法で送り届けてやろう」


 スープを口に運んでいたスプーンを持つ手をぴたりと止めた。美味しい食事に夢中になって、すっかり忘れかけていたが――自分は国外追放された身。一時的に彼が保護してくれたものの、これからはここを出て自分で生活をしていかなければならない。


「……あてはありません。ですが、適当な街に行って、仕事を探そうと思います」

「今世間はどこもかしこも戦争ばかりで治安が良くない。お前みたいな世間知らずなお嬢さんに、働き先が見つかるとは思えんがな。あるのはせいぜい――女性にとって屈辱的な男を悦ばす仕事だけさ。需要があるだろう。お前みたいな見目の良い娘なんかは特に」

「それって……」


 アドルフの意地の悪い笑みに、固唾を飲んだ。


「それって例えば……かの東の島国で有名な、お腹に珍妙な絵を描いて踊る宴会芸――腹踊りのようなことでしょうか!?」

「……は?」

「それとも、安来節やすぎぶしの歌を歌いながらドジョウをすくう、どじょう踊りの方でしょうか!? 確かに……女性にとってはとても屈辱的な仕事です。私のようになんの取り柄もなくても、踊るくらいはできますから」

「それは違うだろう」


 アドルフは呆れ混じりの半眼をこちらに向けた。


(私は世間知らずのお嬢様だけど、でも……)


 しゅんと肩を落として呟く。


「それでも、生きていくためならどんな仕事でも一生懸命頑張るつもりです。私には、頼りになる人なんて……誰もいないので」


 アドルフは無表情で、ふん、と小さく鼻を鳴らして言った。


「なら、ここにいたらいい」

「え……」

「こんな山奥では、何もなくて不便かもしれないが、最低限生きていくことはできる。もう少しお前が大人になって、外でも働けるだけの能力が身につくまで、好きなだけ住んでいてくれて構わない」


 セルミヤは面食らって、目をぱちぱちとしばたかせた。アドルフはほんの少し、口角を上げて続けた。


「お前がいたら、俺も退屈しなそうだからな」


 ――どうしてだろう。

 彼の言葉に、鼻の奥がつんと痛くなる。堪えようと唇を引き結んでみても、瞳からとめどなく涙が零れた。


(この人が冷酷無慈悲? そんなことないじゃない。とても優しい人……)


 すすり泣きながら、必死に言葉を紡いだ。


「ありがとうございます。……はい、私、ここに暮らしたいです。なんの取り柄もありませんが、これから、どうぞよろしくお願いします……」

「ああ。ったく、そんなことで泣くなよな」

「だ、だって……アドルフがあんまり優しくて」


 セルミヤは家族とも疎遠で、婚約者も散々な人物だった。こんな風に誰かと楽しく話したことも、親切にしてもらったことも初めてだ。


 アドルフは椅子から立ち上がり、セルミヤの椅子のすぐ傍らまで歩いてきて――ぽん、とセルミヤの頭を撫でた。


「これからよろしく頼むよ、ミヤ」

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