第3話


 家の中は、色んな木が家具に使われていて、自然の温もりを感じる雰囲気だった。玄関を上がってすぐのダイニングルームは、広々としていて、飾り気がなくすっきりしている。


「へえ。そいつは災難だったな」


 アドルフはテーブルに頬杖を着きながら、これまでの経緯について聞いてくれた。気だるげな雰囲気の人だが、疑いもせずに突飛な話を信じてくれている様子だ。


 片耳を飾る青い宝石の小ぶりのピアスも、顔にかかっている後れ毛の一束も、伏し目がちな瞳も、色香を漂わせている。彼の姿は、セルミヤの知らない大人の男性の姿だった。


「あの……私の話を信じてくださるんですか? もしかしたら私は、シュグレイズ様の想像を絶するような悪女で、あなたを騙しているかもしれませんよ」

「お前の本質が善であれ悪であれ、どうでもいいことだ。どうせお前は俺に頭が上がらないんだからな」

「…………」


 つまりは、セルミヤがここに至った経緯に対して、これっぽっちも興味がないということだろう。セルミヤを信じているわけではなく、無関心から来る適当な相槌と共感だったのだ。


 アドルフが出してくれたコップの水を一口飲んだ。


「あの、シュグレイズ様――」

「敬称はいい」

「え……では、なんとお呼びしたらよろしいですか?」

「好きにしろ。呼び捨てで構わない」


 セルミヤは小さく唸った。これまで誰かのことを敬称なしで呼んだことなんてないからだ。その上、アドルフは初対面の年上の男性。いきなり呼び捨てで構わないと言われても恐縮してしまう。


「……で、では、ルフたんとでも呼ばせていただきましょうか」

「ブッ」


 アドルフは口に含んでいた水を吹き出し、ぎょっとした顔をした。


「随分とまたファンシーな呼び名を付けてくれるんだな」

「好きにしていいんでしょう? 私なりに親しみを込めてみたんですが、お気に召しませんでしたか……? その、あの……年上の男性をいきなり呼び捨てするのは恥ずかしいじゃないですか」

「そっちのがよっぽど恥ずかしいだろ」


 照れた顔で目を伏せると、彼がいぶかしげに眉を寄せた。セルミヤは小さく息を吐き、けろっとした表情で顔を上げた。


「それでアドルフ。あなたに尋ねたいことがあるんですけど」

「……お前には少女らしい恥じらいがないということはよく分かったよ。ったく。何だ? 言ってみろ」


 茶番を終えたところで、セルミヤは真剣な面持ちで尋ねた。


「アドルフは、どうしてこんな場所に住んでいるんですか?」

「その問いには答えられないな」

「……そうですか。なら、あなた一体何者なんです?」


 彼は、長らくこのウルナー山脈の奥地で生活をしてきたという。魔物の巣窟である山で暮らすなど、常人では考えられない。


「アドルフ・シュグレイズだ。それはさっき答えた」


(名前じゃなくて、もっと人となりが分かるような具体的な話が聞きたいんだけど……)


 内心でそう思ったところで、背筋に嫌な汗が流れた。


 ――アドルフ・シュグレイズ?

 頭の中で何度もその名前を反芻し、はっとする。彼の素性に気づいたとき、全身から一気に血の気が引いていった。


「ひ、ひゃぁぁっ!」


 ガタンと音を立てて椅子から立ち上がった。淑女らしからぬ無作法だ。きっとラインレッツ侯爵家にいたころなら、家の者から苦言を呈されていたことだろう。しかし、今はそんなことは構わない。


 アドルフはセルミヤの悲鳴に、面倒臭そうに眉を寄せた。


「本当、やかましい奴だな」

「あ、ああな、あなた……まさか、帝国エルシアの英雄の……アドルフ・シュグレイズ様ですか……!?」

「英雄――か。確かに、そう呼ばれていたこともあったな」


 己が対峙している人物への畏怖の念で、へなへなと力なく椅子に腰を下ろし、テーブルに突っ伏して項垂れた。


 ――アドルフ・シュグレイズ。彼を知らない人はいない。ルボワ王国に隣接する軍事国家エルシア帝国で、軍の副総長を務めていた彼は、『美しき英雄』と名高い軍人だ。

 ルボワ王国ではたった三人、エルシアでは十人しかいないという、火・水・土・風・光の五魔属性を全て操り、常識外れの魔力量を有している。彼は戦場で数多の偉業を成し遂げ、生きる伝説とまで言われている。


 ルボワ王国でアドルフに関する有名な逸話の一つは、辺境の町に複数体の魔物が出没した際、彼は単騎でエルシアから派遣され――一瞬にして魔物を殲滅してしまったというものだ。


 しかし彼は――二年前突如として世間から姿を消し、失踪中だったはず。


「ごめんなさい。つい取り乱してしまいました。まさかあなたが、あの有名な副総長閣下ご本人とは思わず……」

「……今となっては全て過去の栄光だ。今は山中に独居している平凡な魔術士だよ」


 ……平凡な魔術士は、こんな危険な山に独りで住みはしない。


 自嘲気味に笑ったアドルフを、セルミヤはまじまじと観察した。『美しき英雄』の噂通り、絶世の美貌を持つ男性だ。


「お前。年はいくつだ? 随分若いように見えるが……婚約とは、最近の若い奴はませてるんだな」

「もう少しで十五になります。恋愛結婚じゃなくて、政治的な理由での結婚だったんです」


 ませているどころか、初恋さえまだだ。


「ふ。お子さまだな」

「む……私の母国では十四歳かられっきとした成人なんですよ」


 アドルフがからかうように言うので、むっと口を曲げた。


 それにしても、彼は世間での噂と随分印象が違う。偉大な魔術師、アドルフ・シュグレイズ。怜悧な美貌を持つ英雄は、帝国皇帝カリストの忠臣だった。なんでも、並外れた魔力を制御できなくなった少年期に保護してもらった恩があるとかで、皇帝の命令になら、どんな非道な命令でも従うといわれている。女、子どもに至るまで容赦なく斬り捨てると。

 そして、冷酷無慈悲で、誰にも笑いかけず決して心を許さない人物だと噂されている。


 しかし、目の前にいるアドルフは、山に迷い込んだセルミヤを家に招き、話を聞いて親切に飲み物まで出してくれている。時折かすかに笑顔を見せてくれるし、親しみやすささえ感じる。


「アドルフは……噂とは違うんですね。もっと冷たくて、怖い人なんだと思っていました」

「……ここでは――そう振る舞う必要がないからな」

「……?」


 そう呟いたアドルフの表情は、どこか憂いを帯びていた。

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