第2話

 

 セルミヤはもともと、家族仲が希薄だった。両親は、娘が無実の罪で国外追放を言い渡されたというのに、冤罪を訴えず娘の方を切り捨てた。――まるで、重い荷物をひょいと降ろすように、いとも容易く。


「罪人。用意はいいですね」

「待ってほしいとお願いしたところで、待ってはくださらないのでしょう?」


 ルボワ王国において罪人は、馬車に乗ることはおろか、公道を歩くことさえ許されない。罪のない一般人の目に触れることも、同じ道を踏み歩くこともあってはならないのだ。


 罪人収容所の地下の片隅で、転移魔法で国外へ飛ばされることになった。転移魔法といっても、お粗末な仕様で、転移先は未確定。運が悪ければ野盗の集団の中に飛ばされるかもしれないし、海に、ぽちゃん――という前例もあるらしい。


「では、そこの魔法陣の上にお立ちください」

「……分かりました」


 術士に促されるまま床に描かれた陣の上に立った。


 キャリーバッグを近くに引き寄せる。栗色が基調で、サテンリボンがサイドに飾られたシンプルなバッグの中には、わずかな財産と着替え、日用品を詰めてある。


 黒い外套を身にまとった魔術士が、詠唱を唱え始める。セルミヤはそっと目を閉じた。



 ◇◇◇



「…………っ」


 体にかかっていた負荷と違和感が消え、周囲の気配が変わった。先程までは湿度が高く冷えた空気の地下室にいたはず。爽やかな空気を肌で感じ、恐る恐る目を開けた。


(ここは……森?)


 辺りを見渡すと、一面に緑が広がっている。高い木の間に隙間なく低木が立ち並び、セルミヤの腰ほどの高さの植物が鬱蒼と生い茂っている。そして、よく分からない見た目の虫が次々に視界を横切っていく。


(ハズレだ……完全に、大ハズレだわ…………)


 片手で額を抑えた。

 せめて、人の気配のある集落に転移することを望んでいたが、ここは見渡す限り緑しかない。人っ子一人いる気配がしない。足場も悪く、道らしい道もない。


(まずは人里まで降りるしかないわ。……へこたれてる場合じゃない)


 何とか自分を奮い立たせて、茂みを掻き分け歩き始めた。


 長らく都市で、人工物に囲まれた中で暮らしていたセルミヤは、森についての知識は皆無だった。知っていることといえば、シシや鹿、熊なんかが住んでいて、茂みに潜み沈黙している彼らがいつ、その牙を向き、鋭い爪で襲ってくるか分からないということだ。――特に、魔物と遭遇してしまえば、剣や魔法といった何の対抗手段もない素人では、まず命はないという。


 細く白い手で茂みを掻き分け、道を踏み分けて進んだ。そしてその先に――木が生えていない開けた空間を見つけた。


「……立派なお屋敷」


 視線の先。こんな山奥にポツンと一軒の家が佇んでいる。木造の二階建てで、小屋と呼ぶには大きすぎる豪勢な家だ。庭には、畑、養鶏小屋、水汲み場が備わっており、いかにも生活感満載である。


(こんなへんぴな場所に、人が住んでいるとでもいうの?)


 とりあえず、他にあてもないので、家を訪ねてみることにした。しかし。家の敷地に足を踏み入れようとした――そのとき。


 ――ゴツンッ。


「痛っ」


 見えない壁のようなものに額を思い切りぶつけ、侵入を阻まれてしまった。ずきずきと痛む額を手で擦りながらうずくまる。


 これは――結界だ。恐らく、魔物や動物たちから家を守るために、家の所有者が張ったのだろう。広い敷地全体を囲い、それを維持し続けられるのはそれなりに実力がある魔術士だけだ。この家には優秀な魔術の使い手か住んでいるののかもしれない。


(家の人が出てくるまで……待ってみるしかないか)


 セルミヤは非魔力者なので、この結界を破る術はない。土の上に腰を下ろし、両膝を手で抱えた。


 一時間。

 二時間。

 三時間……。


 待てど暮らせど住人は外に出てこない。煙突から煙が立ち込めているので、誰もいないということはないはずだ。


 朝方に刑が執行され、もうすっかり日が高くなっていた。葉の間から差し込む木漏れ日が心地よく、土や木々などの植物の自然の匂いが鼻腔をくすぐる。

 清々しい空間に眠気が誘われ、いつの間にかまどろみに沈んでいた――。


「おい」

「…………?」

(あれ……私、寝てた……?)


 怒気を含んだ男性の低い声音に意識が現実へと戻され、顔を上げる。目の前には――不気味な風貌の男性が立っていた。


 長い銀髪が顔を覆い隠し、黒のローブに身を包んだ人が、こちらを見下ろしている。髪の隙間からかすかに、青みがかった緑――深藍色ふかきあいいろの瞳が覗いている様も恐ろしさを際立たせる。


「き、きゃあっ……!」


 彼の姿はまさに、ルボワ王国よりはるか東方のかの島国で有名な、『うらめしやぁ』と囁きながら白装束で井戸から現れるという幽霊のようだった。


「ったく。人のことを見て叫ぶとは失礼な奴め」


 男性はセルミヤの目線に合わせるようにしゃがみ、長い前髪を後ろにかき上げた。避けられた髪の間から現れたのは、これまで見たことがないほど――端正な顔立ちをした男性だった。年齢は二十代半ばほどか。


 彫りが深く、切れ長の深藍色の瞳に、高く筋の通った鼻梁。薄く形の整った唇。


 平均的な男性よりずっと背が高く、袖から覗く長い腕は筋肉質で筋張っている。彼の女性的な美しい顔立ちと、がっしりした体格にはギャップがある。


 セルミヤは、彼が決して東方の国の幽霊ではなく、れっきとした生身の人間ということを理解し、あわてて謝罪を口にした。


「ご、ごめんなさい。髪でお顔が隠れていて、人ならざるものかと思ってしまったんです」


 男性から謝罪に対しての返答はない。代わりに、まじまじとセルミヤの顔を覗き込んで尋ねた。


「お前、どうしてこんな場所にいる? ここはウルナー山脈の中央部に位置する山、アルフ山の奥地だ。とてもお前みたいなお嬢さんが一人で来れるような場所じゃない」

「……!? ウ、ウルナー山脈ですって……!?」


 セルミヤは驚愕した。

 ウルナー山脈といえば、王国ルボワと隣国の帝国エルシアの国境に指定されている山だ。そして――魔物の群生地帯として有名である。ルボワの子どもたちは皆、『悪い子はウルナー山脈に連れていきますよ』と両親からしつけられているほど。


「転移魔法で飛ばされて来たんです。私は、ルボワ王国ラインレッツ侯爵家が娘……あ、今はもう勘当されてるんですけど、セルミヤ・ラインレッツといいます」

「転移魔法?」

「はい。実は先日、婚約破棄された挙句国外追放を言い渡されまして」

「へえ。国外追放とは……品行方正そうなお嬢さんが一体何をしでかしたんだか」


 そのとき――男性の口角が愉快げにかすかに上がったように見えた。


「……私は別に、何もしていません。……咎められるようなことは何も」


 男性は、胸まで伸びた長い銀髪をふぁさと後ろに手で払い、立ち上がった。そして、こちらに手を差し伸べ、不敵に微笑んだ。


「俺はアドルフ・シュグレイズ。気の毒なお嬢さんを我が家に招待してやろう。さぁ――立ちな」


 差し出されるアドルフの手に、自分の手を重ねた。これが、かの伝説の英雄と追放令嬢の出会いである。

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