「紹介するね。あたしの弟」

 地元の観光学部に入ってから少し経ったあとの休みの日、優子がデートに連れてきたのはどこかあどけない顔をする五歳の男の子だった。昨晩電話で女将である母親から世話を頼まれたとは聞いていたが、顔を合わせるのははじめてだった。

「ほら、ケン君。挨拶」

「ケン、です」

 頭を下げた男の子は、顔を上げるや否や馬鹿にするような目を雄太郎に向けてから、手に持っていたシガレットチョコを咥えた。あまり、好かれていないのかもしれないと思いつつ、自らも名乗り笑顔を作る。

 しかし、ケンはすぐさま雄太郎からそっぽを向くと、姉ちゃん行こう、と優子の手を引いた。

「ちょっと、ケン君」

 嗜めてこそいるものの、彼女の表情からは、仕方がないなぁというような調子が窺える。一人っ子である雄太郎は姉弟ってこういうものなのかぁ、と素直な感想を抱いたあと、随分と年が離れてるなぁと思った。


 昼に合流してから三時間ほど。連れてきた子供用アスレチック内を縦横無尽に暴れ回ったケンは、電池の切れたおもちゃのように優子の背中で眠っていた。最初は雄太郎が背負おうとしたが、ケンが頑なに、お姉ちゃんがいい! と最後の力を振り絞って主張したのもあって、この位置におさまった。

 「何ていうか、子供ってすごいな」

「あはは……そうだね」 

 苦笑いを交わし合いつつ帰路につく。夕日の下に漂う、和やかな空気をかけがえなく感じた。

「あたしも、いい気分転換になったよ」

「だったら、良かった」

 優子の顔にある陰り。理由は明白だった。

 近頃、女将の娘に対する当たりが強かった。

 こんなこともできないの?

 何年、この仕事やってるの?

 中途半端な気持ちでやるんだったら、辞めたら?

 こんな具合の叱責を、女将はどことかまわず口にする。百歩譲って教育の一環だとしても客の前だろうとお構いなしな辺りは商売としてどうなんだろうと感じ、雄太郎側からも直訴したが、

 あなたのような旅館のことなどなにもわからない凡夫は黙ってなさい。娘の恋人だからといって調子に乗ってるんじゃない。

 にべもなく一刀両断され、黙るしかなかった。

 その後も女将の叱責の厳しさや細かさはよりエスカレートしていく一方で、留まるところを知らない。

 優子は、女将は正しい、と口にこそしているものの目に見えて元気がなくなっていた。このままでは潰れてしまうのではないのかと思い、休みの日が重なったのに合わせて連れ出したが、恋人の気がかりを拭うにはいたっていない。

 どう言葉をかけたものかと悩んでいると、

「雄太郎」

 どことなく重々しく振り向いた優子。吹いた風で癖っ毛の先っぽが揺れている。

「あたし、頑張るから」

 決意の表明はより強い心配を膨らませる。

「だから、隣で見守っててね」

 そう告げると同時に唇を突き出してきた。雄太郎も黙って受け止める。触れた部分は不安に震えている気がした。

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