第2話 新技術の暴走

 時は二一〇〇年。仮想空間を体験できるVR技術が登場してから八十年。

 世間ではモノ体験ができるようになっていた。職業体験は自らの体で動いてその職業を学ぶことを指すが、モノ体験はテレビや冷蔵庫、エアコンといった目的別に作られたモノの目線で見たときに何を感じることができるのかを学べる。時代ごとに登場する人物が異なるので歴史の勉強にも使われる。

 VRゴーグルをつけて映像として楽しむ簡易的なタイプや、ベッドに横たわり全身で楽しむ本格的なタイプも存在している。


 俺はたくみ。現在は大学二年生である。彼女であるトキエと一緒に歴史ゼミに所属している。

 先月、大学の敷地内に立っている大きな桜の木の下で告白された。相当目立っていたようで、この日を境に友人からイジられるようになった。年齢は俺の二つ上らしい。何事に対しても真剣なところに惚れたようだ。自分で言っていて恥ずかしい。

 とある日の放課後に大学近くのカフェで就職活動について話す機会があった。

 「トキエは将来何するか決まっているの?」

 「私は子供の時から小学校の先生に憧れているから小学校教諭だよ」

 既に教員免許を持っているトキエは自慢げに答えた。同時にトキエの夢を知れたと内心嬉しくなった。

 「俺はまだ具体的に決まってないけど、トキエのサポートができる仕事がいいなあ」

 「自分の未来だからしっかり決めなよ。巧は時計が好きだから時計関係の仕事が向いていると思うよ」

 トキエが言う通り俺は時計が好きだ。好きなことを仕事にすると、何か嫌なことがあったときに逃げ道が無くなると聞いたためできれば避けたいと考えている。しかし彼女におススメされると悪い気がしない。的確なことをズバッと言ってくれるところが嬉しい。

 「こないだテレビの広告で創造未来研究所が取り上げられていたんだけど日曜日に行かない?」

 「いいね~。私もそこ行ってみたいと思っていたんだ」

 とんとん拍子で話が進み、モノ体験ができる施設で有名な『創造未来研究所』に行く約束をした。

 来年からは就職活動が始まる。今のうちに学生らしいことをした方がいいと担当教授にアドバイスをもらったこともあり、今回の創造未来研究所訪問はいい勉強になりそうだ。

 早く寝るために少しだけお酒を飲もうと思い、お気に入りのお猪口に日本酒を注いでくいっと飲み干した。キリッとしたのど越しを感じつつも華やかな香りが鼻を通った。

 そして翌日、よく眠れたと背伸びをしてカーテンを開けた。いつもより日差しが強い。もう季節は秋だというのに暖かい。寝ぼけながらリビングの時計を見た。やってしまった。なんと寝坊をしたのだ。身なりを整えてから急いで家を出た。朝十時に最寄り駅である研究所前駅に集合と約束をしたにも関わらずお気に入りの腕時計は既に十時半を指していた。

 「大人気スポットだから早く行こうって言ったのは巧の方だからね」

 やっと集合場所に到着し、ぜえぜえする呼吸を整えて視線を上げると、そこには仁王立ちで腕を組んだトキエが立っていた。

 「オシャレなランチ奢るから許して」と胸の前で拝むポーズをしたところ何とか許してもらえた。

 研究所前駅から自動運転の電気自動車で十五分、海沿いに面した創造未来研究所に到着した。潮風が心地よい場所だ。

 建物は三階建てで窓には鉄格子が張り巡らされ、建物の周りには電気柵があった。やはり研究している内容が外部に漏れたらマズいのか非常に硬固だ。入場ゲートにはしっかりと警備員もいる。研究所前はモノ体験を楽しみにしている人たちで溢れていた。

 研究所入口には食品工場にあるようなエアシャワーがあり、一人ずつ通過するシステムだ。衣類に付着したほこりを飛ばすのと同時にアロマの香りが漂ってきた。俺が先頭でトキエが後から続いた。

 内部は一階が受付で、二階が倉庫、そして三階には目的であるモノ体験ができるフロアがあると壁に掲示されたフロアマップに書かれていた。外観は図形の〇と同じ形をしており、中央のスペースには大きな木が立っている。

 「左の正面にあるエレベーターで三階に上がり、体験室Aと書かれた部屋の中に入ってください」

 受付にいたロボットに時計体験をしに来たことを告げると、人間とさほど変わらない屈託の笑顔でそう案内された。

 「彼女がいるのに他人に見とれるなんて」

 隣にいたトキエは不貞腐れた表情で言った。

 「ロボットと不自由なく会話ができるような時代になってもう五十年経つんだね」

 エレベーターに向かって歩きながらトキエに話しかけた。

 「巧の腕時計にもAI機能があれば大事な日に寝坊することないのにね」

 呆れたようにトキエが答えた。

 俺がしている腕時計はコレクターの間では珍しくAI機能がついていないシンプルなタイプの時計である。何事もAIに委ねていると自分の考えが無くなってしまうのではないかと思い、あえてこのシンプルなタイプを選んでいる。

 エレベーターを使って三階に到着し、スライド式の扉が開くとそこはフカフカの絨毯が敷き詰められている研究所とは思えない光景が広がっていた。エレベーターの正面に掲げられていたフロアマップを確認すると、目的である体験室は乗ってきたエレベーターのちょうど正反対の位置に存在していた。

 「見てみて~綺麗な桜の木だよ。私が巧に告白したときの木よりは低いな」

 トキエがいる方に視線を向けると、三階の高さまである桜の木を窓から眺めることができた。一階で見た大きな木は桜であった。桜でなくてもここまで大きい木は見たことが無いと感じる程だ。わざわざこの桜の木を囲うように建てた研究所の意図が気になったが、今は時計体験ができるワクワク感の方が勝っていた。

 フロアをぐるっと回ると、体験室Aと書かれた重厚な両開きの扉があった。両開きの扉を開けると酸素カプセルのような機械と一緒に案内役のロボットが立っていた。部屋は薄暗く多少の恐怖を覚えた。カプセルには立って入る方式らしい。

 「このカプセルに入るとモノ体験ができます」

 恐がりながらも部屋の中央に立っていた案内役ロボットに促され、俺は期待に胸を膨らませた。

 「まずはこちらの誓約書にサインとチェックをお願いします」

 なぜ体験をするだけなのに誓約書にサインが必要なのか不思議だった。ちなみに誓約書には『体験をした内容が日常生活で覚醒する可能性がある』と書かれていた。俺は洗脳されない自信があったので疑うこともなくチェックをした。

 「先にやっていいよ。楽しんできてね」

 トキエに肩を叩かれたのでお言葉に甘えて先に入ることにした。怪しい笑みを浮かべていたのは気のせいだろうか。

 「モノ体験はそのモノが見た過去の光景を学べるプログラムとなっています。過去に遡りますが、未来に飛ぶことはありません。このプログラムで感じたものをぜひ未来に生かしてください」

 案内役ロボットからモノ体験について簡単に説明があった。説明を聞いているだけでワクワクした。

 「どのモノがお望みですか」

 俺は迷うことなく自分が大好きな『時計』と答えた。

 「プシュー」

 機械音と共にカプセルの入口が自動で閉まり、ついに体験プログラムが始まった。


 「よくやった、さすがわが娘だ」

 体験室の奥からロボットである私の父が拍手をしながら出てきた。

 「あの時間帯にテレビで『創造未来研究所』の広告が流れるように仕組んでおいて正解だった」

 そう、巧が偶然観たかのように言っていた広告は、必ず観るように仕向けられていた。

 AI特有の機能で生活パターンデータが自動発信されるため、そのデータを前々から受信していたのだ。AIの血を引いている子であれば必ず備わっている機能だ。もともとはセキュリティを万全にするために導入されたプログラムだが、いつの日にか悪用されてしまっていた。

 私はロボット同士から生まれた子供である。

 三十年前、巧の父である楓がロボット同士から生まれた子の知能レベルを超えテストで勝ってから世界の考え方が大きく変わった。二〇七〇年、六年生最後のテストのとき、一点差で負けたのが私の父だった。

 ロボット同士から生まれた子の知能レベルは誰にも負けないと叩き込まれてきた父にとって、人間とロボットの間に生まれた子供に負けたことがどれだけ悔しかったかは想像できない。父はテストで負けた当事者でもあり、大人になっても当時のバッシングを受けている現状をとても憎んでいる。

 そこから父は時代を牽引するのはロボット同士から生まれた子供で、それを補助するのが人間とロボットから生まれた子供と決めつけてきた。

 父は楓の子供である巧を何としても洗脳して自分の配下につけると豪語していた。私も幼いころから聞かされてきたためずっと協力してきた。

 「クラスの他の女性陣を出し抜いて巧と付き合えたのは私の実力だからね」

 父を見下すように言った。

 「ふんっ、肝心なのはここからだ」

 父が言うには、体験カプセルに入ってもらうまでは比較的簡単らしい。体験が進んでいくにあたり自身の考え方と少しでも感覚が異なるようであればカプセルを自力で開閉することも可能のため、いかにカプセルを開かせないかが問題とのことである。

 「いまは二〇七〇年頃を体験している、このタイミングでこの少年がどう感じるかで私の夢が叶うのかが決まる」

 カプセルの外から巧がどのような表情、感情を抱いているのかを確認できた。

 巧は今にも泣きだしそうな顔をしていた。映像に感極まっているようだ。

 「俺もこんな風に何かに一所懸命になってみたい……」

 「いまだ!」

 巧の気持ちが傾きかけた瞬間、父がカプセルについていた赤色のボタンを押した。

 「プシュー」

 轟音と共にカプセル内が煙に包まれた。

 「これで時計の記憶をこの少年に封じ込めた」

 父が歓喜した。


 強い日差しで目が覚めた。ここはどこだろう。懐かしい匂いがする。周りを見渡すと子供たちが座るような背が低い席がいくつも並んでいる。確かこの光景は過去に見たことがある。ここは教室だ。しかしなぜ教室にいるのだろう。これも時計体験の延長上なのだろうか。今までは過去の記憶を辿っていくだけであったが、今は触れたものの固さを知ることができ、空気の匂いも感じられる。

 「えっ……」

 窓ガラスに映った自分の姿を見て絶句した。俺の体がロボットになっている。これは二〇七〇年頃に見た光景と同じだ。まさか映像で見ていた時計の記憶が俺の中に流れ込んできたのだろうか。三十年前にタイプスリップできるなんて最新の技術に感心する。過去の記憶とは異なり、口元にある電光掲示板ではなく会話ができるようになっていた。トキエにもぜひこの光景を見せてあげたい。

 「ガラガラガラ」

 教室前方の扉が開き、ヒゲを生やした年配の先生と若い女性が入ってきた。

 「今日からこのクラスの担当になったトキエ先生だ、まずは君に紹介しようと思って子供たちが登校する前に紹介をしに来た」

 「巧くん、やっと会えたね。これからよろしくお願いします」

 雰囲気は変わっていたが、そこには彼女であるトキエが立っていた。

 「トキエは何の体験をしているの?」

 「何の体験もしていないよ。私は夢だった小学校教諭になったのよ」

 俺は黙り込んだ。小学校教諭になりたいとは以前に聞いたが、就職するまでにはあと二年あるはずだ。

 「カフェで話をしたとき、トキエのサポートができる仕事がいいなあって言っていたでしょ。それが叶ったのよ」

 トキエが言っていることがよく理解できなかった。まるで俺が人間でなくなったかのような話しぶりだ。

 「バサバサバサ」

 窓から入ってきた強風が壁に掲示してあったカレンダーを揺らした。揺れを抑えるためにカレンダーが掲示されている壁に向かった。

 「えっ……」

 カレンダーに記載してある日付を見て言葉が詰まった。そこには二一〇五年と表記されていた。今朝家を出るときに見たカレンダーには二一〇〇年と書かれていた。てっきり過去にタイムスリップしていたと思っていたが、いつの間にか未来にワープしていた。モノ体験は過去に遡るとは聞いたが、未来にワープするとは聞いていない。

 「何の体験もしていないよ。私は夢だった小学校教諭になったのよ」

 先程トキエに言われたフレーズが頭の中でフラッシュバックした。そうか。カフェで話した内容が現実になったのか。トキエは夢が現実になって嬉しそうだが、俺は体がロボットの時計になってしまった。時計は好きだが時計になりたいとは思っていない。まんまと洗脳されてしまった。悔しい。まだやりたいことは山ほどあった。

 強い想いを抱いた瞬間、目の前が真っ暗になった。

 「巧、大丈夫?」

 遠くでトキエの声が聞こえるが段々と聞こえなくなっていった。


 「おーい、おーい」

 「大丈夫か」

 野太い声と若い声が鮮明に聞こえてきた。俺のことを呼んでいるのだろうか。返事をしようとするがうまく言葉にならない。

 「叩き割るぞ、せーの!」

 「バリン!」

 衝撃と共に突然目の前が明るくなった。

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