◆4◆ 俺が出会った優しい女性と不思議な猫
チチチ――
爽やかな朝を報せるような小鳥の囀りが俺の頭を刺激する。その小鳥の声を振り払うように起き上がり、頭を振って目を開くと黒いローブを羽織った女性が鍋をゆっくり混ぜる姿があった。
誰だ、と思いつつ俺は意識を失う前のことを思い出す。本来あるはずのダンジョンコアであるクリスタルが全部なく、そのせいでダンジョンが崩壊した。俺は落ちそうになった倉本を助けようとしたんだけど、そのまま一緒に落ちたんだ。
確か一緒に森居も落ちたはずなんだが、あいつのことはどうでもいいか。それよりも倉本はどこだ? というかここはダンジョンなのか?
「うぅ~、頭が痛いぃぃ」
隣から聞き慣れた声が耳に入ってきた。振り返ると後頭部を押さえ、悶えている倉本の姿がある。見た限り身体は無事のようで、元気そうだ。
あれなら少し放っておいても大丈夫かな。俺はそう考え、鍋をかき混ぜている女性に目を向けた。
ローブのフードを被っているためか起き上がった位置からは顔がよく見えない。だが胸までかかる長いブロンド色の髪は綺麗で、よく手入れされている。
そういえばここはどこだ? 見た感じテントのように思えるが、それにしてもボロいな。よく見ると天井に穴が空いてるし、太陽の光が差し込んでるし。
「太陽の光……?」
ここって地下だよな? 俺は確か、ダンジョンの崩壊で最下層より下に落ちたはずだ。それに今は時間的に夜のはずだから太陽の光なんてあるはずがない。
なのにどうしてそれがあるんだ?
「ビィー」
「うおっ」
テントの中を見渡していると唐突に何かが俺の視界に入り込んできた。それは猫のような顔をしており、身体はモコモコした毛で覆われている。思わず驚き、顔を離すと猫っぽい何かは楽しげにケラケラと笑い、宙を舞っていた。
その額には翡翠色に輝く宝石がある。人懐っこく笑う猫っぽい何かは俺にまた近づき、モコモコした毛で覆われた頬を俺の顔に擦りつけてきた。それはなかなかの触り心地で、ついついハグしたくなってしまうほどのものだ。
「いや、いかんいかん!」
あまりのかわいさと触り心地のよさに正気を失うところだった。もし理性が飛んだらメロメロになって人に見せられないことをしていたかもしれない。
そんなのがこのテントの中にたくさんいる。どれもこれもがフワフワと浮いており、戯れたり寝てたり遊んでいたりと様々だ。
というかこいつら、モンスターだよな? 猫がこんな風に宙に浮いている訳ないし。にしても妙に人懐っこいなこいつ。なら猫でいいのか?
「あら、起きたのね」
俺が猫っぽい何かの正体について考えていると黒いローブを羽織った女性が声をかけてくる。美人と言える整った顔立ちで、見た限り外国人だと思えた。
そんな彼女が優しく微笑み、俺の近くに移動して腰を下ろす。何をする気だ、と思っていると彼女は唐突に俺の頭を押さえ、目を広げて覗き込むと「問題なし」と告げた。
「元気になってくれて何よりね。身体は痛くない?」
「ちょっと気だるいけど大丈夫、かな」
「ならよかった。あなた達を見つけた時、とても大変だったんだから」
「そうなんですか。ところで、ここは?」
「ダンジョンの墓場。それとも、私達の集落のことを聞いてるのかな?」
「えっと、なんだって?」
すごく気になる言葉を言われたぞ。ダンジョンの墓場? 集落? なんだそりゃ?
「悪い、聞いておいて何だが頭の整理ができないんだが」
「そうね、いきなりこんな話を聞いてもわからないわよね。わかるわ、私もここに落ちてきた時、すっごく混乱したもの」
「いやまあ、それもそうなんだけどいろいろわかんないことだらけで理解が――」
「そうよね、わからないことだらけよね。あ、そうだ。お腹が空いてるわよね? 今お椀にスープをよすってあげるわ」
「え、あ、ありがとうございます」
俺は戸惑いつつスープが入ったお椀を受け取った。その香ばしく美味しそうな匂いを嗅ぎ、理性の歯止めが利かなくなる。
だからつい、思いっきりがっついた。
「あらあら、よっぽどお腹を空かせてたのね」
彼女は嬉しそうに笑っていた。
なんて美味いんだろうかこのスープは。ああ、生き返る。
そう思ってスープを飲み込んでいると彼女はまだ呻いている倉本へお椀を手渡した。倉本は倉本でお腹を空かせていたのか、すごい勢いでスープを飲んだ。
「美味しー! 美味しすぎるー!」
「ふふ、ありがとう。まだたくさんあるからゆっくり食べてね」
「ありがとうございます。あ、そうだ。僕達と一緒に翡翠色のクリスタルも落ちてきませんでしたか? あれがないとすっごく困るんですよ」
「見てないわね。もしかしたら見落としたかもしれないけど、そんなものはなかったわ」
「そうですか……界人さん、どうしよう」
「どうしようもないだろ。ダンジョンは崩壊しちゃったし、今さらってところだろうしな」
「そんなぁー……戻ったら責任を取らされるじゃないですか」
「その時は一緒に謝ってやるよ。ほら、とにかくスープを飲め」
倉本は落ち込んだ様子で美味しいスープを口の中へ掻き込んでいく。よくヤケドをしないものだ。
そんなことを思いつつ、俺もスープを飲む。すると俺達を見ていた女性がとても優しく微笑みながら声をかけてきた。
「仲がいいですね。羨ましいですわ」
「ビィー」
なんか勘違いされた気がするが、まあ訂正は後でやろう。
それよりも聞かなきゃならないことがある。
「すみません、名前をお伺いしてよろしいでしょうか?」
「自己紹介がまだだったわね。私はリリエルっていうわ。この子は星猫って言って、名前はナビィっていうの」
「ビィー」
「それで、あなた達は?」
「俺は甲斐界人って言います。こっちは倉本亜季。そういえばさっき、ここはダンジョンの墓場って言ってましたが、それってどういうことですか?」
「文字通りの意味かな。ダンジョンが崩壊するとここへ様々な瓦礫が落ちてくるの。だいたいが使えないものばかりなんだけど、中には人やモンスター、アイテムも落ちてくるのよ」
「じゃあつまり、ダンジョンが崩壊したら全部ここに集められるってことですか?」
「どういう仕組みなのかはわからないけどね。そのせいで外に出る方法もわからないんだけど」
なんつー絶望だ。せっかく人に出会えたのに、こうもあっさり方法がないと言われるとは。でもまあ、生き残る手立てができただけでもよしとしようか。
「えっと、リリエルさんでしたね。他にも人はいるんですよね?」
「ええ、いるわ。私と一緒にここに落ちた人やそれよりも早くにいた人、後からやってきた人だっているわね」
「じゃあ、思った以上に人がいるってことなんですか。でもそれなら帰る手立てが見つかってもいいんじゃ――」
「確かに人はいるわ。でも、私達はここを維持するだけで精一杯なの」
「それはどうしてですか?」
俺がリリエルさんに理由を訊ねたその時、外からたくさんの悲鳴が聞こえた。思わず「なんだ?」と言葉をこぼすとおもむろにリリエルさんが立ち上がる。
「ここに隠れていて。どうにかしてくるから」
そういって彼女は立てかけていた杖を手に取り、テントを出た。俺は心配になり、テントから頭を出す。すると彼女は思いもしない物体と対峙していた。
年代を感じさせるブラウン管テレビの頭。
扉が外れた最新型の冷蔵庫が胴体にあり、その下にはタイヤがパンクした自転車が二つついている。
そんな下半身に対し、鉄パイプとバケツが適当にくっつけられた腕が存在した。
見た感じ、人の姿をした何か。だが人にしてはあまりにも不格好なガラクタの集まりだ。
そんな奇妙な存在とリリエルさんは向き合っていた。
『ザアアアアアアアッッッッッ――』
「また変なものが落ちてきたみたいね。ナビィ、手伝ってくれる?」
「ビィー!」
いつの間にかナビィがリリエルさんの隣にいる。俺と倉本はそんな一人と一匹が何をするのか心配しながら見守ることになった。
「たくさん食べたからお腹いっぱいで元気よね、ナビィ! じゃあ、今日も張り切ってお掃除するわよ!」
「ビィー!」
リリエルさんが杖をかざすと、ナビィの額にあった翡翠色の宝石が光を解き放つ。途端にただの棒切れに近かった杖は、猫の頭を象った翡翠色に輝くスタッフへ変貌を遂げる。
見たこともない武器。その武器を生み出したナビィに俺は驚くばかりだった。
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