第三章 週刊誌と手つなぎ 4

 今回の野外フェスはいくつかのライブハウスが共同で開催しているもので、牛家族もJourney to the Westもメインステージでのライブが予定されている。


 二つのグループにとって週刊誌騒ぎになってから初めてライブ開催でもあり、メンバー達は緊張感を高めていた。たくさんの人が音楽の誘う興奮と快感に身を委ねている。 


 日が暮れ始め、眩しい真紅の西日が差す中で牛家族のライブが始まった。


 曲に合わせて頭を揺らす者もいれば、赤いサイリウムを揺らす者、タオルを振る者もおり、客席の反応は悪くなかった。少なくとも牛家族に対しては週刊誌の記事の影響は少なそうだ、と納多は安堵する。


「じゃあ、次は話題のあの曲、凍る炎についてちょっとしゃべってやろう」


 わあああっと歓声が上がり、「あの曲さいこー!」、「アニメにも合ってる!」とファンが叫ぶ。


 紅害嗣がその一言に噛みついた。最近の紅害嗣は玄奘を手に入れられる見込みも薄くなり、週刊誌騒ぎで日々の行動を制限されたこともあり、基本的にイライラしているのだ。


「アニメの曲だから売れたって言いたいのか?」


 紅害嗣がぽきぽきと指を鳴らす。 


「違う……。俺の歌が良かったからだ……。アニメなんてオタクの見るもんだ。オタクなんてリアルで満たされない欲望を妄想にぶつける負け組だろ」


 ざわざわ、じわじわと客席の雰囲気が変わっていく。フェスであるため、元々牛家族のファンではない者も多くその場におり、皆一様に紅害嗣の言葉に戸惑っていた。


 ざわついた困惑が客席を渦巻いているうちに徐々に明確な反感と敵意に変化しブーイングとして成形されていく。


 客席全体から渦を巻くように立ちのぼってくる敵意が紅害嗣を貫こうとしているのが、舞台袖で見守る納多には見えた。敵意の矢に対抗するように、紅害嗣もまた身体から熱を発し始めていた。しゅうしゅうと全身から薄い煙が立ち上っている。


「俺だけが……俺が一番なんだ……」


「まずい。あいつ、このままだと火を噴く……」


 舞台袖で見守る納多は焦って額の汗を拭った。まだ前世の力をうまくコントロールできない紅害嗣は追いつめられると火を噴くのだ。


 ライブで火を噴いてしまえば、文字通り炎上する。こんな大勢の人がいる中で神通力を使ってしまえば、消火活動、スプリンクラーの再調整、火災を見た者の記憶の 改竄かいざん、写真・動画など記録類の破壊などの後始末に途方もない労力がかかる。


 紅害嗣の目が赤く光り出した。もう一刻の猶予もない。


 納多は袖から飛び出して、紅害嗣の頬を殴った。


「バカかっ、お前はっ。お前のやることはここで最高の歌を聞かせることだろうがっ。客席にケンカ売ってどうするっ」


 まさか殴られると思っていなかった紅害嗣はまともに納多の拳を食らい、頬を抑えた。驚いた拍子に目は元の色に戻っていた。


「おい、マネージャーの分際でアーティストを殴ってんじゃねえぞ」


 一方の客席は拍手喝采だった。突然現れたスーツ姿の美少年が紅害嗣を殴ったかと思えばそれがマネージャーらしいということがわかり、もっとやれやれ~と声をかける者までいた。自分たちがやりたかったことをやってくれたとせいせいしたのだろう、納多が確認すれば客席で渦巻いていた敵意の矢もほとんど消えかけている。納多はほっと息をついた。


「おい、なんとか言えよ」


 紅害嗣はもう客席を見ていなかった。完全に怒りの矛先を納多に変更したようだった。


 このままライブが混沌と動揺のまま終わるのかと思った時だった。凛とした声がフロア全体に響きわたった。


「和男っ。がたがた抜かしてんじゃないよ、だらしがないね」


 口を開いたのはベースを持つ羅刹女だった。


 和男?


 聞き慣れないその名前に多くのファン達が首を傾げている。実は「紅害嗣」というのはヤクザ時代から使用していた通り名を芸名にしたもので、彼の本名は牛田和男なのである。


 これまで牛魔王と羅刹女がライブや番組で喋らなかったのは、紅害嗣の本名をうっかり喋ってしまうのを避けるためであった。これまでは紅害嗣のサポート役に徹して無言を貫いていたのだが、息子の暴走を見てさすがに黙っていられなくなったらしい。羅刹女は深紅のリップを塗った唇を大きく開いて堂々と声を張り上げた。


「いいか、お前らよく聞けよ。このガキはカッコつけているが、家には漫画ばかりあるし、壁は推しのポスターで埋まっているし、つい最近まで推しのVtuberに課金しまくっていた。リアルでは満たされない欲望を抱えた寂しいガキンチョってのはつまり自分のことなんだよ」


「なっ、なんで言っちまうんだよ、母ちゃん」


 羅刹女の思いがけない暴露に、紅害嗣は自分たちオタクの仲間だったのだと理解した観客たちは最高潮に沸き立った。それにたじろぐ紅害嗣のガキくさい反応がさらに真実味を与えている。


「体面ばかり気にする男はだらしないね。ま、うちの父ちゃんも似たようなもんだけど」


 羅刹女のちくりとした言葉に、牛魔王は小山のように泰然としながら黙って空を睨んでいる。


「さ、歌ってやんな。ロックってのは満たされない者の音楽なんだよ。そういう意味で言えば、アタシもそう、あんたたちもそう、ここにいるのは満たされない者ばかりだろ?さあ、あんたたち、ついて来なっ」


 羅刹女の煽りに大歓声が巻き起こった。にやりと笑った羅刹女はこれ以上ないほど妖艶だった。もう大丈夫だ、と納多は紅害嗣の背中を叩いてステージを降りた。


「仕方ねえなあ。俺の歌声に酔いしれなっ」


 ジャジャジャジャーン、と勢いの良い前奏が始まった。勢いの良い観客の声に背中を押されるように、紅害嗣の疾走するボーカルが響いた。

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