第三章 週刊誌と手つなぎ 3

 事務所の地下駐車場で用意された車に乗り込む。スモークガラスになって中が見えにくくなっている。


 玄奘を先に乗り込ませてから悟空がその隣に座ると、なんと運転席にいたのは社長の環野であった。悟空も玄奘も社長に会ったのは、デビュー決定時の顔合わせ以来である。


「社長じゃねえか、なんだよ暇なのか?」


「相変わらず口の悪い猿め。窮地を救いに来てやったのだからもっと感謝するが良い」


 環野の声は冷静だ。辛辣というほどでもないが、その声音に同情の気配はなかった。


 玄奘はおどおどと腰を浮かせ、

「あの、……お叱りのためですか?」と尋ねたが


「私が一番運転がうまいからだけのこと」と環野はそっけなく言って、車を出した。


 裏口の門から出たものの、そこにもたくさんのマスコミが押しかけていて、わざわざ車の正面に回って写真を撮ってくる者もいた。


「轢かれたいらしいな。しかし轢いてはやらん」


 環野が車を大きく旋回させて記者を避け、一気にスピードを上げた。回転と急発進の勢いで、玄奘と悟空は座席に押し付けられる。瞬く間に記者を撒いてしまった環野は「あっけないのう」と本気で残念そうだ。


 この社長はただ危ない運転がしたいだけなのかもしれない、と悟空が思いはじめたところ、環野が口を開いた。


「玄奘。人生は一切皆苦、何一つ思い通りになることはない。それがこの世のことわりだ。みな一人で生きているのではなく、ただ森羅万象すべてと寄り添い『生かされている』ことを受け入れるのだ」


 玄奘は「わかりました」と合掌して車を降りた。








 整然と片付いたホテルの部屋はしんとしていた。厚い窓とドアは外の雑音を完全に断ち、ふかふかした絨毯は二人の足音でさえも吸い込むようだ。


「少し落ち着かないですね」


 テレビを点ければ余計なものを見てしまう。悟空はスマホにお気に入り登録している森林の音を流した。玄奘がいつも瞑想のお供にしている音源だ。


 川の流れる音、風が葉を揺らす音がする。鳥が遠くで鳴いている。鬱蒼とした森林の中のように部屋の空気も少し潤った気さえする。


「ほら、貸してください」


 玄奘が握りしめていたコーヒー牛乳を受け取り、少し温くなったそれにストローを挿してから手渡す。


「ありがとう」


 玄奘は三角パックを両手で持って一口飲んだ。二人が出会うきっかけになったのがこの三角パックのコーヒー牛乳だ。このパックを持つ手の形が釈迦如来の転法輪印の形に似ている、と仏教オタクの玄奘がいつか力説していたなと悟空は懐かしく思い出す。 


「久しぶりに飲んだ。やっぱりおいしいな」


「三角パックを持つ時には仏の手の形に似てて綺麗ですしね」


「ふふ、よく覚えているな」 


「玄奘が言ってたこと、おれが忘れるわけないですよ」


「そうか……」


 悟空は玄奘の隣に腰を下ろす。ソファの背もたれに腕を置くようにして、自然と玄奘の肩を抱いた。玄奘も小首をかしげるようにして、悟空の肩に頭をこてんと載せた。悟空はその重みを愛おしく思いながら尋ねた。


「社長の言っていたこと、意味わかりました?おれには全然何のことかわからなかったですけど」 


「……そうだな。たぶん……、今回の記事のこと然り、一つ一つの苦難に悔やんでも仕方がないのだ。われわれはか弱いただの人間だ。われわれにできることはただ受け入れること、それだけなのだ、ということを社長は仰りたかったのだと思う」


「でも、あんな記事を受け入れることないですよ。捏造なんだし。おれは記事を書いた奴を殴りにいきてえくらいです」


「……うん、悟空はそう言うだろうね」


 玄奘はくすっと笑った。その頬に少し赤みがさしていて、悟空はほっと胸をなでおろした。











 玄奘が寝付いたのを見計らって、悟空は磁路に連絡を取り今後のことを相談した。


 事務所が出した声明で騒ぎは収束方向ではあるが、ファンはやはり怒り心頭のようだ。


 中でも異様なくらい荒れているのがGokujyoファンで、GenjyoがGo-kuを裏切ったと糾弾する者がいるかと思えば、Go-kuが煮えきらない態度をとるからだと憶測する者、そもそもGokujyoは紅害嗣と玄奘の交際を隠すためのビジネスカップルでファンはそれに踊らされていただけなのだという説を唱える者もおり、悟浄に言わせれば「阿鼻叫喚のタイムラインが濁流のように流れていく」状態らしい。


 一方、牛家族のファンは元々素行の良くない印象であった紅害嗣が、清廉な玄奘と交際疑惑が出たことでイメージが違うと拍子抜けしており、ファンのタイムラインは荒れていないにはしてもがっかりした者が多かったようだ。


「できれば新曲を発表するまでに騒動が収まればいいがの。やはり紅害嗣と玄奘が同じステージに上がれば双方のファンが対立することにもなりかねまい。何か他の起爆剤が必要だと思うが」


「起爆剤……ねぇ?」


「あれだぞ、大聖殿と玄奘が交際しているふりで宣言をするのはいかんぞ。ファンに与える影響を考えてもだな、紅害嗣相手に恋人ごっこするのとは規模が違ってくる」


「……わかってるよ」 


 ため息を含んだ悟空の返事に、磁路は不安になったようだった。


「もしや、大聖殿?本当に、本当に二人は本気でつきあいはじめた、ということ……ではなかろうな?」


「違ぇよ」


 それが本当ならどんなにいいか、と思いながら悟空は言った。


 磁路の提案は曖昧であった。


「とにかく、ジャニ西はメンバー皆が結束して玄奘を守る姿勢を積極的に出していくことが何よりの対策となろうな」


「それいつもやってることと同じじゃねえか。今までだっておれ達は推しの玄奘最優先でやってきてるんだぜ」 


「ではわれわれの進んできた道には間違いはなかったというわけだ。今は苦難にぶちあたってはいるけれども、これからも玄奘を信じて支えていけば、いつから天竺にたどり着くということだろう」


「天竺だと?」


 前世の悟空のことも知っている磁路は時々おかしなことを言い出す。


「ミュージックを極めし者たちが目指すべき、はるか高みを表す比喩だ、比喩」


 なんとなく煙に巻かれたような気がしながらも悟空は頷いた。とにかく自分にできることは玄奘を守ることである。

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