第三章 週刊誌と手つなぎ 5
さて、出番を間近に控えたジャニ西の楽屋はいつものごとく賑やかだった。
「屋台でいろいろ買ってきたんだけど、食べる?いいよね、フェスって。お祭りみたいで綺麗なお姉ちゃんはいっぱいいるし、食べ物もいっぱいあるしさ」
汗だくの八戒が両手に大量の食べ物も持ち込んできた。楽屋の中は急に雑然とした匂いが充満していく。
「まったく緊張感がねえのなあ、この豚は」
悟空が玄奘の顔にドーランを塗ってやりながら呆れたように言う。
「食べ終わったら歌う前に歯磨きをせねばならんぞ、八戒」
「まさかナンパなどしてはいまいな。今騒ぎを起こすのは厳禁ぞ」
悟浄と磁路からの忠告を「わかってるって」と聞き流した八戒は、むしゃむしゃと焼きそばとケバブを両手に持ってがっついた。
磁路は悟空を呼び、ひそひそと囁いた。
「関係各者には私の方から事前に連絡をして対応を根回ししてあり、温かい反応をするサクラも仕込んではおる。しかし、多くのファンの反応までは統制しきれぬ。ステージに上がってしまえば、玄奘を守れるのは大聖殿だけである。頼んだぞ」
「わかってる、磁路もありがとな」
鏡の前に座った玄奘は口を固く引き結んでおり、緊張しているのがわかる。
「玄奘、大丈夫ですよ」
悟空は玄奘の後ろに回って肩を揉んでやりながら、鏡の中の玄奘に微笑んだ。
「みんな玄奘の歌を待っています。それに……おれはいつでもあなたの傍にいますから」
「そうだな……」
「おつかれさまでーす!」と明るい声が響いて、楽屋に入って来たのは玉竜だった。週刊誌騒ぎでホテルや会社にそれぞれ籠っていたせいで、玉竜に会うのは数日ぶりである。
「玄奘!僕の歌、カッコよく歌ってきてね。ボイトレはちゃんと続けてたんだよね?声が出ないとか言って、僕の歌をめちゃくちゃにしたら許さないよ」
「ふふ、わかっている」
大学時代から気心の知れた友人である玉竜は、さすがに落ち込んだ玄奘の扱いが上手い。いつの間にか玄奘の表情は和らいでおり、悟空はなんとなく胸がちりつく。
「八戒、今から歌うのに何食べてんの?共鳴が悪くなるじゃん。信じらんない。今すぐ食べるのやめて」
「うるせえなあ、お坊ちゃんがよぉ。俺はいつもライブ前に食べてるけどちゃんと歌えてるって」
いつも通りの騒々しさでとうとうライブが始まった。
群青色の宵闇が広がり始めた空と対照的に人工的な明かりに照らされたステージに、ジャニ西が登壇した。
ステージの前には黒い海のように見えるほどの人が集まっている。週刊誌騒ぎのせいで良くも悪くも注目されているのだろう。
そのわりに拍手はまばらで、遠慮がちにだがブーイングも聞こえてくる。どこか値踏みするような多くの視線がメンバーに突き刺さった。
まずはジャニ西のテーマソングというべき「Beyond the Road」からだ。八戒ならぬchan-Butaのカウントから始まる。同様に悟空はGo-ku、玄奘はGenjyo、悟浄はGojoeであり、各人が普段の人格とは違うオーラをまとってそこにいた。それがプロなのだ。
Gojoeの低音が深く深く地面を掘り起こして栄養と空気を与えて地ならしをしていく。そこにGo-kuの旺盛なボイスパーカッションが重なる。Go-kuのリズムによって生み出される雨と風が地に潜っているミュージックの種に刺激を与えていく。
Genjyoのメロディーが芽吹きだした。chan-Butaがハモることでより根が深く地に潜り込んで安定を増していく。
風にうなりがでてくる。Go-kuの本領発揮である。舌と唇が三個ずつあるのではというような超絶技巧のボイパが炸裂していく。
さあ、ここから伸びやかなGenjyoの主旋律がどんどんと幹を伸ばしていく……かと思いきや、その声は伸びなかった。
Genjyoの顔には焦りが表れ、眉間には苦しそうなしわが入った。声を振り絞るようにしている。いつもののびやかなGenjyoの声ではなかった。
他三人はアイコンタクトを交わし、非常事態であることを確認する。chan-Butaが一時的に主旋律を取り、Gojoeのベースはいつもより多めにリズムを取って華やかさでカバーした。
Go-kuはGenjyoの様子を伺った。
Genjyoはもはや目の前の客を見ていなかった。
「Genjyoが勝手な事するから、ジャニ西のハーモニーが壊滅してんじゃん」
「紅害嗣といちゃつくのに忙しくて練習できてないんじゃないの」
その場にいるはずもないファンの非難に満ちた声がGenjyoの頭の中で響いていた。
Genjyoはもう息が吸えなかった。口を開けているのに空気が入ってこないのだ。見えない悪意で溺れそうになっているGenjyoの手を、Go-kuは握った。
Go-kuは一瞬だけボイパを中断して、Genjyoの耳元で囁いた。
「人生は一切皆苦です。受け入れるしかない。おれが隣にいることだけ思い出して」
悟空の声は低く、穏やかだった。
Genjyoはその言葉を聞いて息を吹き返した。胸いっぱいに新鮮な空気が入り込んでくる。その爽快感に背筋が伸び、声に張りも出てくる。
Go-kuと手をつないだまま、のびやかに歌いだしたGenjyoを、観客は大歓声で受け入れた。
三人の弟子たちが紡いだ歌をGenjyoがさらに枝葉をつけて高く高く伸ばしていく。
はるかな旅路を一歩一歩確実に歩む旅人のように、玄奘の歌声は真摯で誠実だった。空にまたたく星の一つ一つを数えるような途方もない旅をこの四人ならきっと越えていける。
いつのまにかchan-ButaとGojoeもそばにきていて、ジャニ西全員で手をつないでいた。誰もが温かい気持ちになり、涙を流している者もいた。
その勢いのまま数曲披露し、ライブの最期に「来月に新曲が出ます。ただいま鋭意制作中ですので、皆さん聞いていただけると嬉しいです」 とGenjyoが宣言したとき、もはや拍手喝采で迎えない観客はいなかった。
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