第二章 秘薬安駝駝 2

 単独でのラジオのゲスト出演を終えた悟空に飛びついてきたのは八戒だった。


「兄貴ぃ!大変だ!玄奘が紅害嗣と二人で練習するってスタジオにこもってる」


「おいどういうことだ?おれが仕事の間、玄奘のそばを離れんじゃないぞってお前と磁路に言っといたよな⁉︎」 


 八戒が言った放送局内のスタジオに駆け足で向かいながら八戒を問い詰める。胸倉を掴めない分、怒鳴り声で威圧するだけになるのがもどかしい。八戒を殴りつけたいが今は玄奘を助けに行くのが先決だ。


 エレベーターを待っていられず階段を駆け上がる。鈍足の八戒は泣き言を言いながら、えっちらおっちらついてくる。


「この前、兄貴たちのキスを見てあいつも諦めたようだったしよぉ。ちょっとだけだから大丈夫って言われてさ」


「殴ってでも止めるか、一緒についていくかぐらいの気概を見せろ。ボディーガードとして何の役にも立たねえな、アホの鈍重豚めが」


「代わりにすぐ兄貴を呼びにきたじゃないかぁ。許してくれよ」


 悟空は煮えくりかえるはらわたを抱えながら、たどりついたスタジオのドアを蹴り開けると、そこはもぬけの空だった。


 ピアノの鍵盤蓋も閉まったまま、ドラムセットにもカバーがかかったままである。物音ひとつしない。


 玄奘はどこだ。


 悟空の臓腑は仁王に握りつぶされたように、ぎゅっと縮んだ。遅れてきた八戒の胸倉を掴んで揺さぶる。


「おい、どういうことだ。誰もいねえぞ」


 久しぶりに走ったせいで赤く蒸気していた八戒の顔は急に青ざめた。


「あれ……ここにいろって言っといたんだけど、どういうことだ⁉︎あの卑怯者、さては約束破ったな」


「何の約束だよ、オイ」


「へへへ、なぁんだったかなあ?」


 悟空に詰め寄られ、へらへらと笑った八戒の目は泳ぎに泳いでいた。


「オイ、それで磁路はどこだ?」


「磁路と納多は会議。最初は磁路も会議はキャンセルして玄奘の傍にいるって言ってたんだけど、紅害嗣も今となっては滅多な事しないだろうから、会議に行ってこいよって俺が言ったんだ」


「マネージャーが二人とも不在の時に、奴が玄奘と二人きりでの練習だと?……八戒?お前が仕組みやがったな?」 


 悟空が額に青筋を立てているのを見て、八戒は正直に告白した。


「ごめん兄貴」


「なんてことしてんだよ、玄奘がまた攫われちまったじゃねえか!」


「兄貴と玄奘の仲をより深めようと思って一計を案じてみたんだよぉ。あいつに攫われて絶体絶命のピンチを兄貴がカッコ良く助けにくれば、玄奘だって感激するだろう?そしたら二人は本当につきあっちゃうかなってさ。だから玄奘と二人きりになって本気で口説いてみたらどうだって、意外と心変わりするかもよって、紅害嗣をけしかけてみたんだ」 


 本当に前世も今世もこの豚は余計なことしかしない。


「ったく、オメーの計画は穴だらけなんだよ、この大まぬけが!あいつが玄奘をどこに連れてったかは知らねえんだな?」


「知ってたらちゃんと言うさ。俺、そこまで薄情者じゃないよ」 


 役立たずとの会話を打ちきるために、悟空は八戒の頭をためらいなく殴った。 


「痛えなぁ」


「これぐらいで済んだことに感謝するんだな」


 悟空はスマホで悟浄に連絡した。相変わらず悟浄はすぐに応答する。


「玄奘が攫われた。今どこにいるかわかるか?」


「今PCを立ち上げるゆえ、しばし待て。玉竜、練習は中断しよう、緊急事態だ」


 打てば響くように対応を始める悟浄は、玉竜とボイストレーニング中だったようだ。犯罪すれすれのネットハッカーでもある悟浄はすぐに玄奘の居場所を特定した。


「玄奘の場所は今から送る。店内の監視カメラを確認したんだが映っていない。どうやらカメラのないVIPルームにいるようだな」


「またVIPルームかよっ、あいつも好きだなぁ」


 スピーカーモードで悟浄の話を聞いていた八戒が、背後でぼやいているが黙殺する。


「カメラがないのをいい事にまたおぞましいエロ同人誌のようなことを玄奘に致しておるやもしれぬ。悟空、急いだ方がいい」 


「言われるまでもねえよ、すぐに乗り込んでいって殴り殺してやる」


 通話を切ろうとした直前に、電話の向こうの玉竜に呼び止められた。悟浄もスピーカーモードにしており、隣にいた玉竜も通話内容を聞いていたらしい。


「悟空?」


「なんだよ」


「僕さ、初めは紅害嗣のこと嫌いだったんだけど牛家族とも一緒に練習したりしてわかったんだ。紅害嗣ってそんなに悪い奴でもない気がするんだよね。ただ常識を知らなすぎるだけでさ」


「だからなんだよ、玄奘を攫っといて許せるわけねえだろ」


「まあそれはそうだけど」


 悟空はスマホをしまい、「行くぞ、豚」と声をかけた。 


 放送局の出口を出たところ、おりしもひどい雨風で押し戻されそうな勢いだった。エントランスのひさしの部分にも雨が打楽器のように容赦なく叩きつけてくる。夏の夕方のゲリラ豪雨だ。庇の内側にいても霧雨のようになった雨が腕を湿らせ、肌寒ささえ感じるほどだ。


「なあ、マネージャーに言って、車借りてこようぜ」


 二の腕をさすりながら八戒が言ったが、悟空は靴紐を硬く結び直して走り出す構えだ。のろまな豚はかえって足手まといになる。


「ここからなら走った方が速い。お前はマネージャー連れて後から車で来い」


 降りつける風雨をものともせず、悟空は駆けだした。


 

 

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