第一章 恋人のふり 6
練習を重ねるうちに曲の細部も決まっていき、本日からは紅害嗣も練習に参加することになった。波乱が予想されたが、意外にも紅害嗣はおとなしく練習に参加している。玄奘に好いてもらうため、真面目に口説こうとし始めたのは本当のようだ。
練習の合間に紅害嗣は軽い調子で玄奘に声をかけた。きちんと距離はとっている。
「なあ玄奘、これが終わったら一緒に飯に行こうぜ」
「いいですね。これを機に親睦を深めましょう。ぜひここにいる全員で」
「邪魔者はいらねー。玄奘と二人きりで行くんだ」
「それはだめです」
「なんでだよ」
そのとき、玄奘の肩に腕をまわし、紅害嗣の視線から守るようにして言ったのは悟空だった。
「あいにく、お前の出る幕はねえんだな。おれと玄奘は、……そ、その……つ、つきあってるんだからな」
口ごもってしまったせいか、悟空の告白は思ったほどの効果は上げられなかった。
「はぁ?そんな話、初耳だぞオイ。玄奘は誰ともつきあったことないって、配信で言ってたじゃねえか」
悟浄と八戒は仲間を庇った。
「それは玄奘がVtuberだった時の過去の配信のことであろう?最近はそんな話はどこの媒体でもしておらぬこと、拙者はしっかり把握しておる。玄奘オタクはお主だけではないのだぞ」
「そうだそうだ、兄貴と玄奘がつきあいはじめたのはつい最近なんだ。俺らしか知らねえ秘密なんだよ」
「ふぅん……?」
片唇を上げて紅害嗣は頷いた。これは全く信じていない顔である。
「つい最近ってことはまだお試し期間みたいなもんだろ?返品される可能性もあるよな?」
「そ、そんなことはねえ。つきあいたてのラブラブ期間真っ最中なんだよ、残念だったな」
悟空が玄奘の肩を強く抱き寄せると、玄奘も頬を赤らめながらもうんうんと頷いた。
「そっか、じゃあ今ここでキスしてみろよ」
紅害嗣の挑発に、八戒と悟浄は慌てた。玄奘はきっと恥ずかしがってもじもじするだろうし、悟空は真っ赤になって「人前でキスなんかできるか」などと文句をつけるに違いない。
紅害嗣に恋人のふりをしているだけだと看過されてしまってはこれからまだまだ長く続く新曲プロジェクトの間玄奘を危険にさらすことになってしまう。
「ちょっと、それは……無理じゃねえかな、俺らの玄奘は慎み深えんだよ」
「人前でキスなどと破廉恥な行為は玄奘には不向きなのだ」
八戒と悟浄はさらに言い募ろうとしたが、悟空の顔を見てすぐに口をつぐんだ。その決意に満ちた表情は何者にも邪魔できない。
「よく見とけよ」
悟空が紅害嗣を睨んだ後、うって変わって優しい瞳に変わると玄奘の顎に手をかけた。そして優しく俯かせながら自分も顎を傾け、しっとりと唇を合わせた。
「……んっ」
唇が離れた時に思わず漏れでたような玄奘の息が生々しい。ふれるだけのキスだったが、すでに玄奘の目は蕩けている。
八戒と悟浄は混乱と戸惑いで目と目を見交わせた。
(一体、どうなってんだよ?兄貴がこんなにスマートにキスできるなんて聞いてねえんだけど)
(拙者にもわからぬ。本当に交際を始めたのだろうか?)
二人のキスを見せつけられた紅害嗣は怒りに震えていた。
「くっそ。覚えてろよ。今日はここで帰るが、別に俺は諦めたわけじゃねえからな」
壊しそうな勢いでドアを叩きつけて紅害嗣は帰っていった。
響き渡る足音が聞こえなくなってしばらくしてから八戒は頭をぽりぽりかきながら言った。
「兄貴達……、えっと、ほんとにつきあってんの?」
「そんなわけねーだろ、演技だ演技」
「恋人ごっこです」
「しかし、だいぶキスに慣れているように見受けられたが……」
「それは練習の成果です。悟空が、おはようからおやすみまで何度も……」
説明しようとした玄奘の口を悟空が抑えた。
「余計なことは言わなくていいです」
背後に回った悟空から抱きしめられるように口元を抑えられた玄奘は、ちらっと悟空を見るとすぐに目を逸らした。
(これは……もしかするともしかするかもしれないな、俺が一肌脱いでやるか)と、八戒は鼻息を荒くした。
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