第29話 羞恥でどうにかなってしまう



「のぼるくーん♪」


「め、恵さん」


「…………」


 果たして愛は今、目の前でなにを見せられているのか。

 先ほどまでの、暗い空気。その影はもはやどこにもなく、ただふわふわとした空気が漂っていた。


 隣同士に座り、互いの名前を呼びあう恵と山口。

 山口が恵を気になっているという話を受けて、恵もまた、山口が気になっているという話になった。


 そこから、なんやかんやとまずはお友達から、という話になったのだが……

 友達のやり取りか? これが。


(というか山口くん、下の名前のぼるって言うんだ)


 今更ながら知った山口の下の名前。

 二人のふわふわ空気に耐え切れず、先ほど食べ終えたソフトクリームを吐き出してしまいそうだ。


「いやぁ、なんか知らんがうまくいってよかったな。それにしても、竹原まで山口のことを気にしていたなんて」


「も、もーたけたけったら。あんまりそういう恥ずかしいこと言わないで」


「えぇ、ボクが気になってるって話、恥ずかしいの?」


「もー、そんないじわるしないでよー、の、ぼ、るぅ」


(ちぃ!!)


 ふわふわどころかイチャイチャ空間が発生し、愛はこの場から離れてしまいたい気持ちに駆られる。

 あぁ、怪人現れないかな。


 尊は尊で素直に受け入れているし。受け入れられない愛が変なのだろうか。


「ま、なんにせよ友達に恋人ができたってのはいいことだな」


「や、やだたけたけったら。恋人だなんて……

 ま、まだ友達だってば。……きゃっ」


(私こんなに恵のことひっぱたきたくなったの初めてかもしれない)


 きゃっ、とかわいらしく笑う恵に、愛の黒い衝動が抑えられない。

 ヒーローものには、黒い衝動に呑まれる闇落ちなるものが存在するが、愛は今病み落ちしてしまいそうだ。


 ぶりっこをしているわけではない。そもそも、恵はそういうタイプではない。というかぶりっこは嫌いなタイプだ。

 そんな恵がこれなのだから、恋とはすさまじい。


(私も、尊と付き合ったら……いやいや)


 仮に、自分が尊と付き合うことになった場合……ああなった姿を想像し、愛は寒気がした。

 自分のあんな姿、見たくはない。


「いやー、今日はいいこと尽くしだな」


「! へ、へぇ。なにかいいことあったんだ」


 ふと、尊が漏らした言葉に、愛は食いつく。これ以上、友人のこんな姿を見たくはない。

 それは、条件反射によるもの……だからだろう。考えが、足りなかったのは。


 少し考えれば、わかったことなのだ。


「あぁ。いいことがあったんだぁ。実はぁ……」


 尊が嬉しいと、愛も嬉しい。

 しかし、しかしだ。尊の言う「いいこと」というのは、その内容が限られてくる。

 しかも、「今日は」と言った。


 ……「今日」、「いいこと」……この二つの単語から推測できる、尊が胸を躍らせる出来事は、ただ一つだ。


「俺、ついに生レッドに会っちまったよ!」


 ……やっぱりだ。


「……ふーん……」


 判断が、遅れた。そして、プールの楽しさや、目の前のイチャイチャのせいで、頭から吹っ飛んでいた。

 また、油断していた。今の今まで、その話題を出してこなかったから。


 愛は今日……というかさっき、レッドの姿で、尊に会っているのだ。


「え、神成くんレッドって……あの?」


「おう! ヒーローのレッドにな!」


 そして、当然話はそこで終わらない。

 尊ほどのレッド好きは珍しいだろうが、このご時世にヒーローを知らない者はまずいない。


 その中でも、怪人を倒し一番目立っているリーダーレッド。

 誰でも、その存在を知っている。


「こないだは遠目だけどブルーも見れたしよ。あんときも感動したが……その比じゃないぜ!

 なんてったって、手を伸ばせば触れられる距離に、レッドがいたんだからよ!」


「!」


 手を伸ばせば触れられる距離……実際にはもう少し離れていたが、そんなことはどうでもいい。

 それを聞いて、愛の肩が跳ねる。


 ふいに、想像してしまう。尊のあの、たくましい腕……手に触れられたら。たけきんに、抱きしめられたりなんかしたら。

 それを想像してしまっただけで、もう……


「レッドがいなかったら、俺は今ここにいないかもしれないしな。最後まで活躍を見られなかったのは残念だけど、かっこよかったなぁ。

 しかも、ちょっとしゃべっちゃったぜ俺!」


「すごいじゃないか」


 尊による、レッドのここがすごいトークが止まらない。

 しかも、今回は生レッドを見ているのだ。その興奮は、いつもの比ではない。


 先ほどの出来事を、事細かに説明していく尊。

 レッドの話が出る度に、愛は恥ずかしさからどうにかなってしまいそうだ。


 先ほどとはまた、別の意味でここから離れたい。


「とんでもねえ男気だったぜ、レッド。まさに男の中の男!」


「……」


 ただ、やはりレッドは男だと思われている。

 それでいいのだが。正体がバレてはいけないから、それでいいのだが。


 なんとも、複雑な気持ちである。


「よ、よぉし! 私、もっかい潜ってくる!」


 ついにいたたまれなくなった愛は、その場から勢いよく立ち上がる。そして誰の返事を聞くこともなく、プールに向かって走り出した。

 恵と山口のイチャイチャ、尊によるレッド自慢。あの場に居続けたら、いろんな意味で死んでしまう。


 きっと今の愛は三人にとって、プールではしゃいでいるように見えるだろう。

 年甲斐もなく。だが、そう思われていた方が、マシだ。


 愛は、真っ赤になってしまった顔を隠すように、プールへと飛び込んだ。


『飛び込みは危険ですので、おやめくださーい』


 ……怒られた。

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