第25話 この気持ち
「おい……なにしてんだ?」
「!」
その声を聞いた瞬間……愛は、反射的に反応した。そして、ゆっくりと目を開ける。
ナンパに対しての恐怖から、閉じてしまった目を……どうしてか、さっきまでは怖くて仕方がなかったのに、心が軽い。
開けた視界の先には……頼もしい、背中があった。
「あぁ、なんだてめえ」
「……」
愛よりも背の高い彼の背中は、いつもよりも大きく見えて。
助けてほしいと願っていた尊が、そこにいた。
その姿に、思わず愛は泣きそうになってしまう。
「どけよ。男に用は……」
「こいつになにしてんだ、って聞いてんだ」
「! いででで!」
掴まれた手を、煩わしそうに払おうとするナンパ男だが……尊の手は、離れない。
次の瞬間、苦痛に表情を歪めた。
愛の位置からは、尊の表情は見えない。しかし、正面のナンパ男の表情は、みるみる恐怖に染まっていく。
「いでで、わ、わかった。わかったよ! もうその女には近づかねえよ!」
その言葉を聞いてか、尊は握り締めていたナンパ男の手から、手を離した。
ようやく解放されたナンパ男は、掴まれていた手を押さえ、ふーふーと息を吹きかけている。
「く、くそっ。彼氏持ちなら、はじめからそう言いやがれ!」
「かっ……」
「行こうぜ!」
ナンパ男は、それぞれ捨て台詞を吐きながら、走り去っていく。
慌てていたせいか、滑って顔から転んでいた。
それを確かめてから、尊はふぅ、と息を吐いた。
「た、たけ……」
「愛お前、なんだってこんなところにいるんだ。それに、あんな連中にナンパされそうになりやがって」
呆れたようなその声に、愛はしゅんとしてしまう。
尊にとっては、更衣室を出たら合流できるはずの愛がこんなところにいたのだから、驚きだろう。
心配をかけてしまった。怒っているかもしれない。
そう思って、しゅんとうつむく愛に……
「……無事でよかった」
そう、優しい言葉とともに、頭の上に大きなあたたかさが置かれた。
いつもの、戯れとは違う……優しい、手つきだ。尊の手が、愛の頭を撫でている。
顔を上げると、そこには……眉を下げ、心配の表情を浮かべた尊の姿が、あった。
「……ごめん。心配かけて」
「まったくだ」
てっきり、頭ごなしに怒られると思っていた……心配させ、あんな顔をさせてしまった。
申し訳なさと……嬉しさが、愛の胸中にあった。
このドキドキは……助けてくれたことによるものか。それとも、ナンパ男に彼氏と勘違いされたことか。
尊は、彼氏だと言われて、いったいどう思っているのだろう。
それから尊は、愛の手を取る。
「ぁ」
「そら、行くぞ。山口も竹原も、心配してたからな」
「う、うん」
触れ合う、手……何度も、握ったことのある手なのに。
こうも安心してしまうのは、どうしてだろう。
尊は、愛より先を歩くように、前を行く。
置いていかれているわけではないが、隣り合って歩けないことに、愛は不満を募らせる。
そういえば、さっきからまともに顔をあわせてくれていないような気がする。ナンパから助けてもらった時は仕方ないにしても、頭を撫でた時も、今引っ張っている時も。
(尊……やっぱり、怒ってるのかな)
そんな不安が、再び広がっていく。
この水着だって、今日のために……尊に喜んでもらいたくて、新調したのだ。
あんなナンパ男を、喜ばせるためではない。
『うーん……やっぱり、あいちゃんにはこれが似合うかな!
上はビスチェで、下はショート丈のボトム! 活発なあいちゃんに会う色は……オレンジ! で、ボトムのほうは……水玉があしらわれてるのが、おしゃれでかわいいかな!』
『お、おー……』
『あいあいってばわかってる? なんか圧されてない?』
『これならビキニほど露出が多いわけでもないし、ちらちら見えるおへそがセクシー
! 最近育ってきてるおっぱいも、ほどよく強調できるし!』
『渚ちゃん!?』
……渚が選んでくれた、水着。愛の好み、愛のスタイル、そして尊が喜びそうな要素を備えた、この水着。
一番に尊に見てもらって、感想を問い詰めてやろうと思っていたのに。
こんな状況では、どうやら失敗みたいだ。
(はぁ……渚ちゃん、ごめ……)
「あー……愛」
愛が、心の中で渚に謝罪する……そのタイミングで。
前を歩く尊が、声をかけてきた。
なんだろう、やっぱり怒られるのだろうか。
しかし、それも仕方のないこと。理由があったとはいえ、あんなところにいて、ナンパに引っかかってしまった自分が、悪いのだ。
そう戒め、尊の背中を見つめ。どんな言葉を言われても、ちゃんと受け止めようと覚悟して。
「……その水着、似合ってる」
「…………へ?」
言われたその言葉の内容に、きょとんとして……ちゃんと内容を加味するまでに、しばらくの時間を要した。
間の抜けた声が漏れてしまったのは、仕方ないだろう。
それから、尊が言った言葉の意味を、ようやく理解し……
「……!」
愛は、その顔を真っ赤にして。
さっきは、隣り合って歩いていないことを不満に感じたが……愛が後ろを歩いていて、よかった。こんな顔、見せられない。
だが、尊の顔が見られないのは、ちょっと残念だ。
いったい、どんな顔をしているのか。あの朴念仁のことだから、さらっと言い退けているのか……
「……」
「ぁ……」
ふと、視線を向けた先……尊の、後ろ姿。
彼の、耳は……赤くなっていた。
だから愛は、恥ずかしさと嬉しさと、それからいたずら心でいっぱいになって。
「ね、ねーねー、今なんて言ったの?」
「……言わん」
「ねーねー、なんて言ったの?」
「知らん!」
そんなやり取りを繰り返しながら……恵と山口を待たせていた場所へと、移動していくのだった。
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