第55話 家族
「理市、よくわからんので、教えてくれんか?」
振り返ると、いつのまにかヒカルが立っていた。
「指輪というものは、そんなに必死に探し回るほど大事なものなのか?」
理市は手を止めて、
「人間には思い出ってヤツが必要なんだよ。1000年以上生きていても、ヒカルさんにはわからないかな」
「おっ、今、私をバカにしたな、サーヴァントの分際で」
「え、まさか、畏れ多くてバカになんか、とてもとても」
「理市、思い出の重要性なら私にも理解できる。でも、おまえが探しているのは指輪だろ。おまえの思い出なんかじゃない」
確かに、ヒカルの言う通りだった。指輪をなくしたからといって、思い出まで消えてなくなるものではない。江美と美結の大事な思い出は、今も理市の心の中にある。
「ちょっとこっちに来いよ」そう言って、ヒカルは森の中に入っていく。
理市が清流から上がり、ヒカルの後に続くと、空き地のようなスペースがあった。ヒカルはしゃがみ込み、お香を焚きはじめた。
「これはアベくんからもらったお香だ。一つしかない貴重品なんだが、特別に焚いてやるよ」
「アベくんって誰だよ」
「アベくんといえば一人しかいないだろ。それより、ハンゴンコウってわかるか? 確か、落語にもなっているはずだが」
ヒカルが何を言っているのか、理市にはチンプンカンプンである。アベくんというのが元総理だとも思えない。
「ハンゴウコウが効いてきたぞ。ほら、後ろを向いてみろ」
ヒカルに言われて振り向いた時、理市の表情が凍りついた。
「……江美、美結」
かつて失ったはずの二人が、そこにいた。なぜか、二人とも半透明だった。理市を見ながら、ただ笑顔を浮かべている。
「おい理市、しっかり見えているか。おまえが亡くした家族の姿が」
「ああ、ヒカルさん、江美と美結だ。俺の家族が、すぐそこにいる」
だが、むせび泣いてしまったため、ほとんど言葉にならなかった。
ハンゴンコウとは、漢字にすると〈反魂香〉。伝説では、それを焚くと、煙の中に亡くなった者が現れるという。ちなみに、ヒカルの言った「アベくん」とは、最も有名な陰陽師,安倍晴明のことである。
しばらくすると、江美と美結の輪郭が薄れてきた。次第に、透明の度合いを高めていく。
「待て、まだ消えないでくれっ」
理市に願いもむなしく、〈反魂香〉の煙がなくなる頃には、江美と美結の姿は消えていた。二人とも最後まで笑顔だったことが救いだ。
「どうだ、理市。私にも思い出の大事さぐらいわかる。物に執着する気持ちもわかるが、そんなものがなくても思い出は永久不変だ。1000年以上生きてきた私が言うのだから間違いはない」
「ああ、その通りだな。心から礼を言う。おかげで、江美と美結に別れを告げることができた」
そう言うと、理市はヒカルを引き寄せて、あろうことか抱きしめた。予想外の展開だったのか、ヒカルはひどく驚いた顔つきである。理市はぶん殴られなかったので、とりあえず、怒ったり嫌がったりしているわけではなさそうだ。
「理市よ、どうしてもというなら、私が新しい家族になってやってもいいぞ」
理市はヒカルから身体を離し、
「あ、ごめん。今のはそういうそれじゃないから」
「そういうそれ? どういう意味だ?」
「いや、わからなければいいんだ。せっかく感動の再会シーンがあったのに、すぐに新しい家族云々は流れ的によくない」
ヒカルは小首をかしげて、
「理市は時折、わかりにくいことを言うな。人間ってやつは弱いくせに、複雑すぎて矛盾だらけだ」
「そうだね。そうかもしれない」理市は苦笑するしかなかった。
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