第47話 荒川河川敷決戦③


 理市にとって最も厄介なのは、のたうつ触手の先端で牙をむく獰猛な顎だった。

 腕や脚など身体じゅうに噛みつかれ、筋肉をえぐられている。普通の人間がトラやライオンに齧られているようなものだ。しかも、その際に毒液でも注入されているのか、噛まれた部分は酷く腫れて変色していた。


 両手の甲に出した小ぶりの〈鬼神刀〉で触手を血祭りにあげようとするが、それぞれの顎は巧みに連携をとり、断続的に攻撃を仕掛けてくる。一進一退を繰り返すばかりで、時間ばかり浪費してしまう。このままでは理市の体力がもたない。


「どうした、どうした、足元がふらついてるぞぉ」

「最上、てめぇ、ゴチャゴチャとうるせぇんだよ」


 頭に血が上ったせいで、理市の言葉は自然と悪くなってくる。しかし、怒りが心を奮い立たせ、血流を活性化するので、決して悪い事ばかりではない。


 理市は戦いながら、策を練っていた。やはり、〈触手の王〉の頭脳である最上を討つ必要がある。ただ、小山の天辺にいる最上は、複数の触手によって周囲をガードされており、容易には攻撃ができない。


 ならば、ここは〈鬼神刀〉を飛び道具として、最大限に活用する手だろう。

 理市は両手の〈鬼神刀〉を引っ込めると、身体を右にひねって、意識を右手だけに集中させる。次の瞬間、野球のピッチャーのように、右腕を思い切り振った。


「おら、いっけえっ」


 理市の右手の甲から、銀色のビーム状のものが走る。それは〈鬼神刀〉の変形したものだった。日本刀よりも細く伸びた〈鬼神刀〉は、5メートルもの長さに達した。ガードの触手を弾いたり貫いたりしながら、天辺の最上に迫ったが、ほんの数センチ足りなかった。とっさに理市の殺気に気づき、最上が身体を反らしたせいである。


「犬飼理市、残念賞っ」

 酔っ払いのからかい口調とともに、複数の触手の顎が一斉に理市に襲いかかってきた。

「賞品は地獄行き無料招待券の大盤振る舞いだっ」最上は腹を抱えて笑い転げている。


 だが、それこそが理市の思うつぼだった。右手から伸ばした〈鬼神刀〉は、実はフェイントだったのだ。素早く右手を引き戻すと、今度は左手から〈鬼神刀〉を突き出した。それを横に振るうことで、二つの巨大な顎を血祭りに上げる。三つ目の顎が理市の頭部を狙ってきたが、それは額から出した〈鬼神刀〉で迎え撃つ。


「今度こそ、地獄へいきやがれっ」

 額から出現した〈鬼神刀〉が触手の顎を貫き、あっという間に最上の頭部に迫る。

「ぎえっ」

 ガマガエルを踏みつぶしたような悲鳴だった。フェンシングの剣のような〈鬼神刀〉が最上の口内を貫き、脳髄をかき回しながら後頭部へと抜ける。


 とたんに、触手の動きが止まった。理市は絞めつけから逃れて、触手の山を駆けあがっていく。両腕をダラリとたらした最上は絶命したように見える。〈鬼神刀〉でチョンと胸を突いてやると、上半身がバタンと後ろに倒れた。


 その弾みで最上の腹が大きく裂けてしまった。だが、よく見ると、それは巨大な顎だった。マンションの一室でやりあった時に、理市の左手を喰いちぎった顎である。


「あ、この野郎、俺のリングをこんなところに」

 巨大な顎の牙の一本に、リングがはまっていたのだ。いうまでもなく、江美への愛情と思い出がつまったエンゲージリングである。


 理市は牙から指輪を引っこ抜き、すっかり再生した左手の薬指にはめようとする。だが、巨大な〈鬼〉と変わっているため、爪先にすら入らない。適当な仕舞い場所がなかったので、理市はそれを右の耳の穴に突っ込んだ。


『理市、そっちが片付いたのなら、こっちを手伝ってくれ』

 その声は耳ではなく、脳に直接響いてきた。もちろん、ヒカルからである。

「ヒカルさん、人使いが荒いですよ」

『はは、人ではなく、〈鬼〉だがな』


 理市はヒカルの元に向かおうとして、ふと思いとどまる。〈触手の王〉は不死身である。脳髄を破壊しても安心はできない。二度と復活できないように、心臓も〈鬼神刀〉で破壊しておくことにした。念には念を入れて、完全に息の根をとめたのだ。


 これでようやく、江美と美結の敵を討つことができた。ただ、期待していた爽快感は皆無だった。理市の心に去来するのは爽快感でも達成感でもなく、ただむなしいだけの疲労感だった。


 しかし、それは当然だったかもしれない。なぜなら、まだ戦いは終わっていなかったからである。

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