第42話 異能大乱戦①
幸運と不運が同時に、理市の身に降りかかってきた。
まず幸運は、打ち下ろされた巨大な触手ハンマーによって、ゾンビ黒井が叩き潰されて木っ端みじんになったこと。赤黒いペンキをぶちまけたような有様なので、今度こそ間違いなく絶命しただろう。
不運の方は、どうにも逃げることが叶わず、理市が巨大な化け物と戦わねばならなくなったこと。触手の山の頂から、最上の燃える殺意がビンビンと伝わってくる。最上は理市を叩き潰したがっていることは容易に想像がつく。
さらに厄介なのは、時間切れが迫ってきたことだ。全身から力が抜けてきたのは、〈響き眼〉の残滓が尽きようとしているからだろう。これでは巨大な化物への反撃など到底無理である。
理市は死に物狂いで、とにかく逃げた。逃げて、逃げて、逃げまくった。化け物の図体が小山のように大きいのだから、それに比例して死角は多いのではないか? そんな淡い期待を理市は抱いていたのだ。
だが、その期待は見事に裏切られた。いくら物陰に隠れても、触手は理市の居場所を探し当ててしまう。異形ならではの特殊な感覚で、体温か物音か気配か、何らかのファクターを察知しているのだろう。
巨大な触手ハンマーは何度も、理市の身体をかすめている。もし、一発でもまともに喰らえば、動くことすらできなくなるだろう。反撃の機会はおろか、その手立てすら思いつかないのが現状である。
「最上の野郎、巨大化はルール違反だろうが」そんな文句もつけたくなるほどだ。
理市は何度も死を覚悟した。もうダメだ、いくら何でもこれで最後だ、と何度も諦めかけた。だが、次の瞬間には触手の攻撃から素早く身をかわし、物陰に飛び込んではわずかな休憩を手に入れる。
最上は化け物になっても、理市の大事な家族を奪った仇敵である。敵を討つまでは絶対に死ねない。
理市は強く願った。天使でも悪魔でも構わない。頼む、俺を助けてくれ。〈ささやかな幸せ〉を奪った奴に復讐を果たせるなら、魂だって何だってくれてやる。
3年前にも、同じことを口にした。言うまでもなく、最上一派に殺され、山奥に捨てられた時のことである。その時、理市に救いの手を差し伸べたのは、異形の美少女ヒカルだった。
「ヒカル、俺を助けてくれ。頼む。もう一度、俺にチャンスをくれ」
心の底からの切実な願い。それは幸運にも、ヒカルの元に届いたらしい。〈響き眼〉の残滓が本体と宿主の速やかな意志伝達を可能にしたのだろうか。まるで、すぐ近くで聞いていたように、理市の頭の中に響いてきたのだ。
『オッケー。犬飼理市、もう一度だけチャンスをやろう』
「ええっ、ヒカルさん? マジ、ヒカルさんなの?」
『その代わり、今度こそ、3年前の約束を果たしてもらうからな』
「あのさ、その約束って本当にしたのかな。まるで覚えがないんだけどな」
理市が不満げに呟くと、即座に怒りの気配が返ってきた。
『おい、私の話を遮るな。ゴチャゴチャ言ってると、チャンスの件はなしだぞ』
「ああ、ごめんごめん。そうそう、約束ね。はっきり思い出すために、今一度いってもらえると助かるな」
『耳をかっぽじって、よぉく聞け。そして、二度と忘れるなよ』
「はい、忘れません。しっかり覚えておきます。はい、どうぞ」
『異国からやってきた旧支配者を始末しろ。ただ、それだけだ』
理市にとっては、やはり、初めて聞く話だった。
「あの、ヒカルさん、一つ質問をしてもいいですか?」
『特別に許してやろう。何だ?』
「キューシハイシャって何ですか? 仕事を休止中の歯医者じゃないですよね?」
『おいおい、犬飼理市、おまえはクトゥルーを知らないのか?』
「クトゥ?」
『ネクロノミコンにルルイエ、インスマスにダゴン,ナイアルラトホテップというのもいたな。ほら、H・P・ラヴクラフトのコズミック・ホラーじゃないか。まさかとは思うが、もしかして、クトゥルー神話すら知らないのか?』
「すいません、まるでチンプンカンプンです。もっと具体的に言ってもらえませんか?」
『そうだな、代表的なクトゥルーというやつは、外宇宙からやってきたタコの化け物だ。長くて巨大な触手をもっている』
この時、理市は脳内会話に意識を集中しすぎて、周囲への警戒を怠っていた。
「ああ、そいつなら、よく知っていますよ」言い終わらないうちに、理市の右脚は触手にからめとられていた。「今、そいつと戦っているところですから」
『何だ、おまえ、約束を果たしていたのか、そうかそうか』能天気な声を聞きながら、理市はズルズルと床を引きずられていく。『えらいぞ、見直したぞ、犬飼理市』
「俺の今の状況は、相当にやばいです。このままだと、タコの化け物に食われます。たぶん、踊り食いですね」
『ははは、踊り食いはよかったな。理市の肉は硬いから、たぶん食あたりするぞ』
「なら、胃薬でも用意しておくかな」
脳内会話に割り込んできたのは、〈触手の王〉と化して、小山の頂で腕組みをしているスカーフェイス最上だった。もちろん、理市の右脚を掴んで引きずっている張本人である。
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