第38話 美少女 VS 美青年②

 ヒカルは溜め息を吐くと、

「まいったなぁ。こんな退屈なところ、10分もいたくないよ」

 クラウンアスリートは走り続けているが、真っ暗闇の中なので移動している感じはない。

『ヒカルぅ、だから言ったろ。もたもたしているからだキュー』

 やはり、求丸の姿は見せず、声だけである。


「ねぇ、求丸、ここがどこかわかる? 闇が深すぎて、何も見えないんだけど」

 そう言いながら、ヒカルは運転席に移って、ステアリングを握る。

『たぶん、奈落の底だ。アメリカの闇は日本のそれより、数十倍も深いらしい。水深8000メートルの深海と同様、光も届かないキュー』


「マジぃ? この車、潜水艦じゃないと思うけど」

『冗談を言っている暇はない。どうにかしろっ。時間が経てば経つほど、脱出が難しくなる。そのうち、闇に飲み込まれてしまうキュー』


「そう言われたって、どうすればいいのかなぁ」

 ヒカルは手当たり次第に、あたりのスイッチを入れてみるが、車に変化は見られない。すっかりお手上げ状態である。


 一方、神田のビジネス街には、うまそうに煙草をふかすビル・クライムの姿があった。

「可愛いお嬢さんを始末した後の一服は格別だね。クラウンアスリートを犠牲したのは残念だが、彼女への餞別だと思うことにしよう」


 上着の胸ポケットから無造作に拳銃を取り出すと、前を向いたまま上空へと発泡した。夜空に銃声が響きわたり、「キューキューキュー」という悲鳴とともに、鳥の羽根が二三枚舞い落ちてきた。

「雑魚はウロチョロしないでもらおうか。余韻を楽しんでいる時に興覚めだよ」不快そうに呟いたが、すぐ笑顔に戻る。


「明日、新車を手配しないとな」

 ビルが上機嫌で歩道を歩きだした時、いきなり、目の前に強烈な光が出現した。並みの攻撃なら難なく身をかわすビルだが、目がくらんだために棒立ちになっていた。


 そこへ、鉄の塊が猛スピードで突進してきたのだ。しかもそれは、瘴気しょうきをまとわりつかせた異形の車だった。ビルは全身の骨を砕かれて、高々と宙を舞った。血反吐をまき散らしながら。


「ああ、ビルさん、ごめんなさい。信じてくれないかもしれないけど、わざとじゃないんです。この眼球自動車がいけないんです。こらっ、謝りなさいっ」


 そう言って、運転席でステアリングを叩いているのは、奈落の底に放置したはずのヒカルだった。彼女が「眼球自動車」と呼んだのは、元はビルの愛車クラウンアスリートである。文字通り、車体にはおびただしい数の眼球が開いていた。


 今、この異形の車はヒカルの支配下にあるということだ。

 ヒカルは外に出ると、上空にいた求丸が舞い降りてきた。


「ヒカルぅ、よく戻ってこれたなキュー」

「私の眼球を埋め込めば、あっという間に超次元潜航艇ちょうじげんせんこうていに早変わり。奈落の底だって隣町みたいなものよ。宇宙の最果てに飛ばされても、無事帰ってこられると思うなぁ」


 ビルは運悪く、車道の真ん中に落下したため、通行車両に何度も跳ねられていた。壊れた人形のように四肢はねじ曲がり、普通の人間ならば間違いなく絶命しているところである。


 しかし、ビル・クライムは、旧支配者の能力を受け継ぐ不死身の男だった。やがて、周囲に待ち散らした血肉が帯状になって、ビデオ映像の巻き戻しのように、ビルの本体へと殺到しはじめた。


 まず、再生した下半身がスタスタと歩き出し、歩道に戻った時には上半身も元通りになっていた。最後に再生したのは、ゆるやかにウェーブした金髪である。

 ビル・クライムの表情は、美青年らしからぬ憤怒に染まっていた。


「ビルさん、鮮やかな復活ですね。大したもんだ」

 ヒカルは笑顔で両手を打つ。自分が跳ね飛ばしたことなど、すっかり忘れている様子である。


 ビルの憤怒は変わらない。不気味な眼球自動車を指さして、

「このバカヤロー、私の愛車に何をしたぁ」と、美青年の仮面をかなぐり捨てて、ヒカルを罵倒した。


「あれぇ、ビルさん、ひょっとして怒っている? 私、さっき謝ったじゃないですか。意外と器が小さいですね。そこそこイケメンのくせに、何だか私がっかりです」そう言って、ヒカルは溜め息を吐く。


 ビルにとっては最大の屈辱であり挑発なのだが、ヒカルにその自覚はない。素直に思ったことを口に出しただけである。だからこそ、始末が悪いと言えた。


「ところで、話はコロッと変わりますが、私がアイドルになるって話はどうなりますか?」

「……何だと?」

「やだなぁ。さっき、言ってたじゃないですか。『芸能界に興味はないか?』『百万人単位のファンの心を虜にする』って」

「このヤロー、ぶっ殺してやるっ」


 ビル・クライムは腰を低くすると、唾を吐き出すように、口からそれを発射した。ピンク色をした触手である。先端が鋭く尖っており、まるで槍のように、ヒカルめがけて襲いかかる。

 だが、ヒカルが素早く身を反らしたため、触手の先端は通過して、オフィスビルの壁面に命中した。


「今の攻撃、宣戦布告と受け取りまーす」

 そう叫んで、ヒカルは眼球自動車に飛び込んだ。ギアをバックに入れて急発進。再度、ビルを跳ね飛ばしたのは、コメディのお約束のようだった。


 もっとも、ビル・クライムの怒りはシリアスである。美少女と美青年は初対面であるが、洋の東西の違いはあれど、二人とも神々の末裔である。一目で互いの出自と正体を知り抜いていた。もはや、戦いは避けられなかったのだ。


 ヒカルが運転する眼球自動車は、相変わらずの無謀運転だった。何度も対向車線に入ったり一方通行を逆走したりしている。幸い無事故であるが、どれがいつまでも続くとは思えない。


「ヒカルぅ、スピードを落とせキュー」と、求丸が助手席に爪を立てて怒鳴る。

「ははっ、ビルさんに追いつかれるよ」と、ヒカルが笑いながら耳も貸さない。


 バックミラーには、両手を大きく振って疾走する美青年の姿が写り込んでおり、その姿は次第に大きくなってくる。高笑いが聞こえるほど、ビル・クライムの姿は間近に迫っていた。


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