第37話 美少女 VS 美青年①

 理市が撃たれてSUVに運び込まれていた頃、ヒカルは神田のビジネス街にいた。北千住からタクシーに乗って、日光街道を南下。その後、昭和通りに入り、上野、秋葉原を過ぎて、神田までやってきたのだ。


 目的もなく、やってきたわけではない。ヒカルにはヒカルなりの目的があってのことである。この夜のビジネス街は、珍しく閑散としていた。いつもなら、車や通行人は行き交っている時間帯なのに。


 ヒカリは周囲の異変を察知していた。車や通行人が完全に姿を消したのは、決して夜が更けてきたせいではない。何者かが目的のために邪魔者を遠ざけたのだ。


「ねぇ、君、今ちょっと時間がない?」

 ヒカルに声をかけてきたのは、金髪に青い目の美青年だった。青白い肌をしているが、不健康と言うわけではない。朗らかな表情は充分魅力的だった。


 美青年は満面の笑顔を浮かべて、

「芸能界に興味はない? 君ならきっと、一般大衆の心を鷲掴みにすると思うな」

 今時、上京したての田舎娘でも引っかからない口説き文句だが、

「へへーっ、そうかなぁ」と、褒められたヒカルはまんざらでもない。

 もし誰かが見ていたとしても、ただのナンパだと思うことだろう。


 美青年がスッと右手を上げると、クラウンアスリートが彼の前に滑り込んできた。どうやら、近くで待機させていたらしい。美青年は後部座席にヒカルを導き、自分も後から乗り込んだ。


「事務所に行ってくれ」美青年は運転手に命じると、ヒカルの方に向き直る。「お嬢さん、お名前を訊いてもいいですか?」

「私はヒカル。カタカナで、ヒカルよ」

「いい名前だ。申し遅れました。私はビル・クライム。レッド・ビー・エージェンシーという事務所を経営しています」


 流暢りゅうちょうな日本語を操っている外国人は、最上の上役,ビル・クライムだった。ちなみに、〈レッド・ビー〉とは赤い蜂のこと。赤蜂会からの命名である。


「じゃ、社長さんなんだ。すごいねー」

 ヒカルは上機嫌で、夜のドライブを楽しんでいる。

「さて、いつまで、お芝居を続けるつもりかな?」と、ビルが言う。

「んー、何? お芝居って、どういうことかな?」


「ヒカルさんは、私の動きを止めるために、山奥から出てきたんだろ」

「それは誤解だよ。これは、ただの観光。久し振りの東京見物だって」

 その答えに、ビル・クライムは笑う。


「なるほど、監視者の務めというわけだ。さすが、〈大いなる監視者(グレート・ウォッチャーズ)〉の末裔」

「あ、ビルさんの国では、私って、そう呼ばれているんだ。そういうビルさんは、〈旧支配者(グレート・オールド・ワンズ)〉の末裔だっけ?」


〈旧支配者〉とは古き神々を指し、クトゥルー神話に登場する邪神たちである。〈大いなる監視者〉であるヒカルもそうだが、神というより妖怪や怪物に近い。


「増えすぎた人間が神々のことを忘れ去り、世界の支配者気取りでのさばっている。私たちが暮らしづらくなったのは、どこの国も同じだね。仕方ないから、私は、放し飼いの牧場、と考えるようにしているよ」


「ビルさん、前向きなんですね」と、ヒカルはクスクス笑う。「私にとっての人間は、どちらというと退屈しのぎかな」


「退屈しのぎ?」

「あ、娯楽対象かなぁ? どう思います?」


「さぁ、人間なんて下等生物には興味がないので、何とも言えませんね。あ、もしかすると、ヒカルさんが犬飼理市をサーヴァントにした理由もそれですか?」

「それって?」


「つまり、退屈しのぎ」

「ああ、それは少なからずありますね。大局的な〈監視〉より、個人の〈監視〉の方が、より一層楽しめます。どれだけ対象者に感情移入できるかどうかがポイントですね」


「とかいって、ヒカルさん、こちらの動きを牽制けんせいするためじゃないの?」

「ケンセーって、どういう意味? 私って、知っている言葉が少なくて」


 そういって、ヒカルは覚えたばかりの「てへぺろ」をする。しかし、それこそ、ビル・クライムには意味不明だ。視線をそらして溜め息をつく。


「ごめんなさい。はしゃぎすぎました。でも、ビルさん、私のことを買い被りすぎですよぉ」

「そうは思わないね。すでに私の配下の者たちが、犬飼理市によって迷惑をこうむっている」


「ええーっ、マジで?」と、屈託のない笑顔。「でも、理市は私の言いなりじゃないし、そもそも何も命じていない。理市を始末したいなら、お好きにどうぞ」

 ビルは大袈裟に肩をすくめる。

「……ヒカルさん、真面目に聞いてほしい。私は君とうまくやっていきたいと考えているんだ。古き神々の血脈は闇にまぎれて、人の眼に触れることなく、綿々と受け継がれてきた。その末裔にあたる者同士じゃないか。争い事は何も生まない」


「ビルさん、いいこと言いますね」ヒカルは腕組みをして何度も頷いている。「ほんと、いいこと言う」

「こう見えても、私は平和主義者でね。人間どもを巻き込んで騒ぎを起こすのは、お互い本意ではないはずだ」


「求丸にも同じことをよく言われます。『ヒカルはもっと周囲の迷惑に気を配れ』って。あ、求丸っていうのは、私のお目付け役ですけどね。でも、周囲の眼を気にしていたら、何もできませんよ。そんな人生、面白いですか。あ、私は人じゃないけれど」

「……」


「へへーっ、ビルさん、呆れ顔ですね。すいません。私ってこういう性格なんで」

『ヒカル、いつまで遊んでいるんだ。早くこっちに戻ってこい。もたもたしていると、厄介なことになりそうだキュー』

 その時、どこからか声だけを投げつけてきたのは、さっき話に出たお目付け役だった。


「おや、噂をすれば……。ビルさん、この口うるさいのが、求丸ですよ」

 求丸の姿を探すために、ヒカルはウィンドウから外を見やる。しかし、そこはなぜか、砂粒ほどの光も見えない漆黒の闇だった。

「ほぉ、私の〈眼〉を使っても、真っ暗で何も見えませんね。いつのまにか、妙な空間にまぎれこんだのかも。あれ、ビルさん、どうしました? 身体が半透明になっていますよ」


 ビル・クライムの身体を透かす形で、後部ドアやシートが見えていた。

「ヒカルさん、ここは時間が凍りついた空間でね。普段は牢獄がわりに使っている優れものだよ。どうぞ、バカンス気分でゆっくり過ごしてくれ。そうだな。ざっと2万年ぐらい」


「ええーっ、マジで?」

「ああ、大マジだ。私たちはここで失礼する。じゃあ、そういうことで」

 そう言い終わると、ビルは消え失せてしまった。影も形もない。運転手も一緒に消えており、残されたのはヒカルだけである。







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