第40話 エンドレスマッチ②


 車中で仮眠をとったせいか、〈響き眼〉の残滓ざんしが活性化したのか、理市の体力は底知らずである。もっとも全身傷だらけ痣だらけではあったが。

 圧倒的に不利な状況であっても、理市は愚直にも相手のやり方に付き合っている。なぜなら、それが目的を果たすための最良な手段だからだった。


 理市は二十人目を倒した後、〈武闘派ゴリラ〉にさりげなく話しかける。

「黒井さん、あんたの上司,最上さんは高みの見物けんぶつか? だらしない部下たちに痺れを切らして、そのうち出てくる、と踏んでいたんだがな」

「その質問は俺を倒してから思い出せ」黒井は苛立たし気に応じる。「今度こそ、ぶっ殺してやるぜ、犬っころ」


 結局、二十五人の荒れくれどもを片付けるのに、1時間50分もかかってしまったのは、犬飼理市の限界だったのかもしれない。不死身とはいえ、ヒカルから宣告されたように、理市の命は限定的である。残り時間は、あとわずかだった。


 敗れた荒れくれどもがあちらこちらに転がり、広大なフロアは今や、野戦病院の様相を呈している。

 二十五人抜きを成し遂げた理市は、明らかに疲労困憊ひろうこんぱいの様子だったが、それでも笑顔を浮かべていた。


「黒井さん、あんたで最後だ。さっさとおっぱじめようぜ」

「まさか俺に勝てると思っているのか?」黒井は指を鳴らしながら、理市の前に進み出る。「犬っころ、正気とは思えんな」


 黒井の丸太のような右脚が、突然バネ仕掛けのように跳ね上がった。狙いは、理市の股間である。直撃すれば悶絶必至の一撃だ。


 しかし、それは完全な空振りに終わった。理市が驚異的なジャンプ力を発揮して、空中にいたからだ。二十五人の荒れくれどもには一度も見せなかった技である。


 しかも、それを攻撃に直結させる。3メートルの高さから理市の体重をのせた右の拳が、黒井の顔面に打ち下ろされた。黒井はとっさに両腕をクロスさせて攻撃を受け止めようとするが、それは理市のフェイントだった。


 右の手のひらで軽く打っただけで、左手で黒井の腕をつかむ。そのまま遠心力を使って、黒井のガラ空きの脇の下へと、足から飛び込んでいった。振り子と化した理市の身体はスルリと黒井の背後に回り込み、両脚を使って胴体を締めつけた。


 一般人の目には止まらない、コンマ数秒の早業だった。さらに、理市は右腕を太い首に巻きつけて、渾身の力で絞めつける。


 裏路地での戦いでも行った、チョークスリーパーである。前回との違いは、一気に思い切り絞め上げた点だ。厳密に言えば、スリーパーホールドである。気管ではなく、頸動脈の血流も止めているので、脳髄への酸素供給が停止する。


 普通の人間なら、ほどなく失神するはずだった。だが、人間離れをした黒井は、理市の腕をつかんで引きはがそうとする。


 次に待っているのは、裏路地でも見せたサンドイッチ攻撃だろう。巨体に似合わぬ身軽さでジャンプして、黒井の重い身体とコンクリートの床とで、理市を押しつぶそうとするはずだ。


 そう睨んだ理市は躊躇ちゅうちょせずに、黒井の首を思い切りひねった。ゴキッと不気味な音が上がり、ようやく動きが止まる。大木のような巨体が、ゆっくりと前のめりにぶっ倒れた。


 殺害は避けたかったのだが、それ以外に黒井を戦闘不能にする手段がなかった。もし殺しをためらっていれば、理市が致命的なダメージを受けていただろう。


 圧倒的に不利な対戦を全勝で終えたわけだが、まだ気をゆるめることはできない。黒木の部下どもが全員、戦闘不能に陥ったわけではない。まるごしの理市に向けって、いきなり銃弾の雨が降り注ぐ状況もありうるからだ。


「誰か、最上さんに連絡をしてもらえないかな。犬飼理市が訪ねて来て、ここで待ってるってさ」


 フロアに転がっている男どもを見回してみたが、理市に協力的な者はいないようだ。それどころか、ほとんどの連中が逃げ腰である。

 ただ、理市から逃げようとしたわけではない。荒れくれどもの背筋を凍らせた相手は、理市の背後にいた。


 黒木が首を傾げた形で、立ち上がろうしていた。白目をむいて、鼻の穴から流血し、両腕と両脚を痙攣けいれんさせている。まるで、ゾンビのような動きだ。理市が脛骨けいこつを折って、まちがいなく死んだはずなのに。


 しかも、だらしなく開いた口や袖口や腰のあたりから、ピンク色の長い蛇のようなものが無数に飛び出して、不気味にうごめいていた。

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