第32話 有象無象包囲網②


 レクサスのカーナビを調べてみると、目指すマンションの位置が登録されていた。かなり離れているが、車を飛ばせば、30分足らずで着くだろう。理市はサイドブレーキを解除し、車を出そうとバックする。


 いきなり、フロントガラス越しに強烈な光を照射され、直後に激しい衝撃を受けた。真正面から巨大な獣のようにSUVが激突してきたのだ。レクサスは勢いよく、後方に弾き飛ばされてしまう。ブレーキを解除していたことが幸いした。そうでなければ、理市の受ける衝撃は致命的なものになっていたにだろう。


 SUVの中から、いかつい男たちがわらわらと降りてくる。最上一派であることは言うまでもない。先を争うようにレクサスに殺到してくる。だが、理市はぼんやりと状況を眺めていたわけではない。レクサスのエンジンがかからないことを確認すると、素早く車外に飛び出していた。


 ふらつく身体に叱咤して、理市は懸命に走った。SUVの連中は、四人組の連絡を受けて駆けつけたのか? もしかすると、スマホのGPSによって居場所を掴まれたのか?


 いや、もっと簡単な方法がある。ついさっき電話を入れた山野が理市を裏切って、最上に情報を売り込んだのだ。理市のスマホは元々、山野から拝借したものだ。スマホを所持している以上、理市の居場所は筒抜けである。


 理市は車道にスマホを投げ捨てる。数分走っただけで息が上がってきた。衝突のダメージは意外と大きかったのだ。身体の節々が激しく痛む。走るスピードが上がらない。理市は即座に、最上一派を返り討ちにする決意を固める。


 幸い、格好の場所が目の前に迫っていた。ひと気のない工事現場である。高さ5メートルほどのフェンスで囲まれており、通りからは見えない。敷地内は暗闇に沈んでいるし、住宅地からも離れている。少々騒いでも110番に通報されることはなさそうだ。


 暗闇の中、理市は鉄骨の森に紛れ込むと、最上一派の到着を待ち受けた。〈響き眼〉の残りかすのせいか、依然として夜目が利いている。工事現場に入ってきたのは六人だ。自分を捕らえるにはあまりにも足りない、と理市は思った。


 暗闇にまぎれて、音もたてずに、一撃必殺の攻撃を仕掛ける。一人ひとり、確実に倒していく。下部組織の者なのか、高校生みたいな若造もまじっていた。間違って殺してしまうと寝覚めが悪い。若造相手には手加減を心がけた。


 一瞬で仕留める理市の手際のよさは、格闘技の選手を思わせた。六人中五人は3秒以内で倒した。全員、悲鳴も上げずに地面に沈んでいった。


 残る一人は、体重100キロ以上の肥満体である。ギョウザのような耳から見て、柔道部崩れだろう。シャツを掴まれて引きずり回されたり、倒されて寝技に持ち込まれたりしたら厄介だ。


 勝負は一瞬。背後から襲い、素早く落とす。それが、理市の目論見だった。


 理市は簡単に、肥満体の背後をとった。猫科の大型肉食獣のように素早く忍び寄り、一気に距離を詰めて飛びかかった。肥満体の猪首に右腕を巻きつけて渾身こんしんの力で引き絞る。


 だが、肥満体は重戦車並みの怪力だった。理市の身体は軽々と振り回されてしまう。巻きつけた腕に力を込めるが、相手の抵抗は止まらない。理市の脳裏に、黒井に倒された時の苦い想いがよみがえる。


 それでも30秒ほど経つと肥満体の動きが鈍くなり、やがて崩れ落ちるようにぶっ倒れた。理市が腕の力をゆるめたのは、肥満体が白目をむいて泡を吹いているのを確認してからだった。


 最上一派を片付けても、爽快感は皆無だった。ほんの少し動いただけで、身体が鉛のように重い。〈響き眼〉の効き目が薄まっているせいだろうか。理市は足を引きずりながら、フェンスの切れ目から通りに出た。


 その時、パンパンと間の抜けた音がした。とたんに背中と腰が熱くなる。理市が手でおさえてみると、粘り気のある液体が付着した。街路灯に手を向けると、手のひらが赤黒く染まっている。


 これは一体、何だ?


 振り向くと、若い男がガタガタと震えながら立っていた。どうやら、SUVの中に一人残っていたらしい。彼が両手で持っているのは、銃口から紫煙しえんを立ち上らせた拳銃である。


 ああ、撃たれたのか。理市は苦笑した。膝から崩れ落ち、アスファルトに両手をつく。


 急速に視界が暗くなっていく。このまま暗闇に飲み込まれたら、江美と美結の敵を討てなくなる。理市は身体を立て直そうとするが、果たせずに仰向けに転がってしまう。


 今際いまわきわに見るという人生の走馬燈は、なかなか始まらない。江美や美結の面影を思い浮かべることもないまま、理市の意識は暗闇に飲み込まれていく。

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