第23話 怪物を追う女①


 久慈川ジーナという名前は本名ではないが、意外と気に入っている。


 アメリカで手に入れた名前であり、裏社会で活動するための源氏名のようなものだが、日系三世の彼女の外見にふさわしく、今では本名以上に似合っていると思う。


 彼女の本名を知る者は、この世に数人しかいない。その上、彼女のことを本名で呼ぶ者は一人もいない。だから、ここでは便宜上、ジーナとして扱うことにしよう。


 ジーナはアメリカ合衆国・テキサス州で生まれた。ジーナの両親は二人とも、大手製薬会社のエリート研究員だった。金髪碧眼の白人が聡明な日系人の女性に一目ぼれをして、熱烈な求愛の果てに結ばれて、この世に生を受けたのがジーナである。


 ジーナは子供の頃、天使のように愛らしかった。蝶よ花よ、と父親から溺愛されていた。誰もが幸せな人生を送るだろうと思ったはずだ。人殺しを生業なりわいにするようになるなんて、誰一人、想像しなかったことだろう。


 だが、人生には残酷な罠が潜んでいる。転換期は、いつだって突然やってくるのだ。

 不幸の発端は、母親の死だった。スーパーマーケットの駐車場で、薬物中毒の男が運転する暴走車に20メートル近くも跳ね飛ばされたのだ。


 母親は即死だった。壊れた人形のような姿になりはてた姿は、7歳のジーナの目にしっかり焼きついた。死ぬまで解放されることのない辛い記憶である。


 母親を失ってから、ジーナの性格は一変した。すべての表情を失って、不愛想な暗い少女になってしまう。そのせいで、近所の悪ガキに目をつけられて、毎日のようにイジメられた。美しい黒髪に何度、無神経なハサミを入れられたかわからない。


 ジーナが思春期を迎えると、イジメは熾烈しれつさを増した。体中の水分が失われるほど、毎日泣きぬれたものである。週に一度は死んだほうがましだ、と思うことすらあった。


 そんな時、ジーナを不器用に抱きしめてくれたのは、父親である。


 父親は野生動物のハンティングが趣味だった。登校を拒否するジーナを何度も馴染みの森に連れて行ったものである。ジーナは強面で無口な父親が苦手だったが、銃器の扱いを教えてくれたことには深く感謝している。


 その父親も、もういない。マフィアの抗争の巻き添えをくらい、理不尽にも蜂の巣にされてしまったからだ。父親が惨殺されたのは、ジーナが18歳の時だった。


 父親は製薬会社の上級研究員である。職場一の堅物で知られており、マフィアとの繋がりなど皆無であることは間違いない。薬物の横流しなどの犯罪とも当然無縁である。そもそも、父親には何の落ち度はなかった。


 ただの人違いによって惨殺されたのだから、これほどの不幸はないだろう。


 父親は自家用車で田舎の一本道を走っていた時、前後を乗用車ではさまれて逃げ場を失ったところで、マシンガンの一斉掃射を受けたのだ。もれたガソリンに引火して車ごと爆発したため、父親の遺体は黒焦げになり、見事なまでにバラバラだった。


 理不尽な運命によって、両親を奪われたのだ。ジーナの中で、


 天涯孤独の身の上になったジーナは、復讐の鬼になった。父親を惨殺したマフィアに落とし前をつけてやる。そう、心に固く誓ったのだ。


 幸い、父親の飲み仲間であるサムが、ジーナに手を貸してくれた。元陸軍兵士であるサムは退役後、ずっと国家のダークサイドに属していた。マフィア関連の情報に詳しかったし、銃器の手配、標的のリストアップまで任せることができた。


 どうやら、自分に万一のことがあればジーナのことを頼む、と彼女の父親から頼まれていたらしい。


 ジーナは素質に恵まれていた。両親を無残に殺された虚無感ゆえか、感情をゆらすことなく、人を殺すことができる。


 ボーン・トゥ・キル。まさに、天性のスナイパーだった。高性能のライフルと照準スコープさえあれば、誰にも気づかれることなく標的を葬ることができた。100ヤード先で談笑している標的の頭が面白いように弾けていった。


 半年後、マフィアは壊滅した。ジーナはたった一人で、父親の復讐を成し遂げたのだ。マフィアは最後まで、敵の正体を知ることがなかった。


 それ以来、ジーナはサムと組んで、ダークサイドを歩んできた。現在は姿なき殺し屋として仕事をこなし、業界では「コールド・ブラッド」の二つ名で知られている。


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