第20話 ケダモノ市街戦③


 黒塗りのワゴン車から、ゴリラ並みの巨体がノソリと姿を現した。切り出した岩のような風貌は昼間の下町に似つかわしくなかった。


〈武闘派ゴリラ〉の黒井は、首に巻いていたコルセットを外し、車内に思い切り叩きつけた。自ら陣頭指揮をとっていたのに、あっさり逃げられたのだ。メンツを丸つぶれにされた怒りで、その顔は真っ赤に染まっていた。


 一方、理市は笑いながら、町中を駆けて抜けていく。ゾクゾクするようなスリルを味わっていた。危険と背中合わせのそれは、確かに生きていることを実感させてくれる。


 いや、待てよ。このままでいいのか?


 理市は足を止めた。このまま最上一派から逃げ切っても、執拗に追ってくるに違いない。なら、逆襲に出るのもありか。ヤクザ相手に手加減は不要。攻撃は最大の防御だ。犬飼理市の恐ろしさを骨の髄まで思い知らせてやる。


 理市の逆襲が始まった。


 狭い裏路地を無造作に歩き回り、わざと見つかってはヤクザどもを挑発した。敵を分散する意味でも、この作戦は功を奏した。血気盛んに追ってきた連中を、一人また一人とコンスタンスに片付けていく。


 理市の動きは格闘家のように、スピーディーで力強かった。手加減は一切しない。逆手にとった腕をへし折り、前蹴りで臓器を破壊した。ホワイトシャツとデニムパンツに返り血を浴びないように、攻撃の方向を調整する余裕すらあった。


 リミッターを解除するのは初めてだ。八人目のボクサー崩れを右アッパーカットで沈めた今も、理市の呼吸は少しも乱れていない。三日月の形のように口角を上げた笑顔は、猫科の大型肉食獣を思わせた。


 だが、次の瞬間、理市はブルッと身震いをした。背後から殺気をはらんだ風が吹きつけてきたせいだ。理市は振り向きざまに、ムチのようにしなる右脚を一閃させた。黒井が猛牛のように突進してきたのだが、容赦のない蹴りはその頭部を打ち砕く、はずだった。


 しかし、黒井は倒れなかった。大地に根を張った大木のように、ほんの少しだけ上体を揺らしただけだ。それどころか丸太のような左腕で、理市の右脚を抱え込むと、右の拳を打ち込んできた。


 理市が瞬時に身体を沈めたため、ハンマーのような正拳突きは不発に終わった。前につんのめった黒井の勢いを借り、理市は拘束から抜け出そうと試みる。黒井の左脇腹を支点にして、クルリと素早く右に旋回したのだ。


 テコの原理を使って右脚のロックを外すと、そのまま黒井の背後から組みついた。分厚い腰を背後から両脚で締めると共に、両腕を大蛇のように、黒井の猪首に巻きつける。プロレスのチョークスリーパーである。だが、太く短い首は強靭で、気管を絞めるのに手間取ってしまう。


 黒井がその隙を見逃すわけがない。理市を背負ったままバックステップを踏んで、勢いよく背後の壁に激突した。黒井の分厚い肉と硬いコンクリートによるサンドイッチ攻撃である。一般人なら全身の骨が粉々に砕かれている激烈げきれつさだ。


 理市は埋め声を上げたが、それでも両脚のロックは外さない。再びサンドイッチにされる前に、素早く攻撃を仕掛ける。指先で黒井の眼球を狙ったのだ。だが、指先はわずかに届かなかった。黒井が予想外の動きを見せたからである。


 黒井は電信柱に手と足をかけると、身体をそらしながら、思い切りジャンプした。空中で身体を反転させて、背中からアスファルトに落下する。理市には、避けようのない攻撃だった。できることといえば、舌を噛まないように歯を食いしばることだけだ。


 二度目のサンドイッチは、激烈さが二倍増しだった。理市の身体は、120キロの体重とアスファルトの間に挟まれたのだ。まさに、地獄のサンドイッチである。


 理市の口から血がほとばしった。少なくとも十ヵ所以上の骨折に三ヵ所の臓器損壊。肺にも折れた肋骨が突き刺さっていた。激痛のあまり悶絶し、呼吸すらままならない。トカゲ並みの再生力をもつとはいえ、これほど甚大なダメージは初めてだ。


 完膚なきまでに敗北したのも、立ち上がれないほど打ちのめされたのも、初めての体験である。いくら待っても再生と回復の兆しはなく、理市は指一本すら動かせない。







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