第13話 後悔するには遅すぎる②


 心の底から後悔している者は、もう一人いた。

 彼は荒稼ぎをもくろむ野心的な男であり、名前を浜野といった。


 浜野は元ラグビー部の巨漢だが、スポーツ一筋だった頃から一転して、その性根は腐りきっていた。借金を重ねては踏み倒し、追い込まれれば窃盗や暴行で急場をしのぐ、そんな日常を続けてきた。


 目下の収入源はヤクザの裏カジノである。特に、バカラとポーカーが稼ぎやすい。


 裏カジノでは元々、カジノ側が損失を出さないように、人知れずイカサマが行われている。ならば、客側がイカサマを行っても文句を言われる筋合いはない。それが浜野の理屈だった。初対面の客に扮した友人と組んで、毎回、数十万から百万ほどの荒稼ぎをしていた。


 浜野は昔から腕っぷしに自信がある。もし、イカサマがバレたとしても、部屋に詰めているスタッフは小人数にすぎない。腕力にものを言わせれば、どさくさまぎれに逃げ切れる。ヤクザといっても、強面だけが取り柄の不摂生な連中ばかり。そんな風にあなどっていたのだ。


 だが、その裏カジノは明らかに違っていた。あっさりイカサマを見抜かれて、チンピラどもに囲まれて袋叩きにあってしまう。気がつくと、相棒の友人は耳の穴から血を流し、壊れた人形のようになっていた。もしかしたら、死んでしまったのかもしれない。


 このままでは同じ運命を辿ることになる。浜野はチンピラどもの一瞬のスキを逃さず、痛む身体に鞭打って、ドア口に向かって走った。


 そこに突然姿を現したのは、青白い肌をもつ男だった。左頬に大きな傷があった。確か、『スカーフェイス』という昔の映画の主人公にも同じような傷があったはずだ。


 次の瞬間、あっという間に天地が入れ替わり、浜野は背中から壁に叩きつけられた。


 スカーフェイスは桁外けたはずれの強さだった。蹴りの重さが半端でなく、人間離れしていた。体重が浜野の半分もないのに、丸太でぶん殴られたように感じた。たった一発くらっただけなのに、浜野の戦意は喪失して、埃っぽいの床に沈められたのだ。


 まさに化け物だ。浜野は自分が〈井の中のかわず〉だったことを思い知らされた。


 意識を取り戻すと、浜野は薄暗い部屋の真ん中で横たわっていた。この裏カジノでイカサマをした人間は、一人残らず姿を消すという噂である。嘘か真か、一片の骨、一滴の血痕すら残さず、彼らは消滅するらしい。


 おそらく、死体処理のエキスパートがいるのだろう。ならば、遺体は永久に見つからない。


 浜野は焦りまくった。こんなところで、のんびりとしてはいられない。始末される前に、一刻も早く逃げ出さねばならなかった。


 だが、妙案が思い浮かぶ前に、浜野の命運は断たれてしまう。いきなりドアが開いて、最も会いたくない男が姿を現したからだ。


 言うまでもなく、スカーフェイスである。圧倒的な存在感を目の当たりにして、身震いをせずにはいられない。裏カジノは最上という成り上がりが仕切っている、という噂である。どうやら、目の前のスカーフェイスこそが、その最上であるらしい。


 最上の両目が突然、まばゆい光を放った。その金色に光る目を見ただけで、浜野の全身は凍りついてしまう。もはや、指一本動かすことも、悲鳴を上げることも叶わない。


 浜野は最初から気づくべきだった。最上は人間離れをしているのではない。最初から人間ではなかったのだ。


 最上が無造作に浜野に近づいてくる。

 薄暗い部屋の真ん中で、二人のシルエットがぴたりと重なる。

 最上のシルエットは浜野のそれより小さい。しかし、風船のように大きくふくらむと、一瞬で浜野の全身に覆いかぶさってしまった。


 浜野は確信した。死体処理のエキスパートとは、最上本人を指すのだ。肉が切り裂かれ、骨が噛み砕かれる。耐え難い痛みに襲われた。浜野は薄れゆく意識の中で、不気味な咀嚼音そしゃくおんを聞いた。あとには一片の骨、一滴の血痕すら残っていないのだろう。


 薄暗い部屋が静寂に包まれる前に、浜野の人生は終焉しゅうえんを迎えた。










  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る