第11話 リベンジロード②


 なぜ、〈ささやかな幸せ〉を失ってしまったのだろう。


 理市は決して高望みをしたわけではない。それだけは自信を持って言える。ただ、江美と美結と一緒に過ごしたかっただけである。家族三人で何事もなく平穏に暮らしたかっただけだ。


 なぜ? なぜ? なぜ?

 答えのない問いかけが、のべつまくなし理市の魂を苦しめる。

 耐え難い苦痛が、異形と化した理市の暴走を加速させる。


 第一の犠牲者は、3年前に理市を木刀で打ちのめした男だった。吉田と言う名前であり、噂によると剣道の有段者らしい。おそらく、仲間内では最も腕の立つ男なのだろう。


 理市は夜更けの新宿で、吉田の姿を見つけた。

「おい、2000万円は見つかったか?」

 裏路地で無造作に声をかけると、吉田は振り向いた。相変わらず、鋭い目つきである。怪訝けげんな表情をしていたが、相手が理市だと知るや、顔色を変えた。


 ヤクザに身を落としても、日々研鑽ひびけんさんを重ねているのだろう。吉田のスピードとパワーは、暴力装置のみならず、現役のアスリートとしても充分通用するものだった。その吉田をもってしても、理市の前では瞬殺に終わった。


 理市の人間離れをしたスピードとパワーが、吉田のそれを軽く上回っているせいだ。カウンターで放った右ストレートを受けて、吉田の身体は高々と宙を舞い、5メートルほど先に落下した。


 あっさり意識を喪失した相手を見下ろしながら、理市は苦笑を浮かべる。命をとるかどうかはさておき、次からは相手から情報を引き出せるよう、手加減をした方がよさそうだ。


 吉田の両腕をつかんで物陰に引きずり込み、両手首両足首を結束バンドで縛り上げてから、頬を張って叩き起こした。寝ぼけ眼の相手にデコペンをくれてやり、

「最上について知っていることを全て吐け」と、伝える。


「ざけんな、死にぞこない。うすらボケっ」と、返された。

 なるほど、なかなか根性がある。顔を倍ぐらいの大きさにしても吉田の心は折れなかったが、右手の人差し指と中指をへし折り、「次は目玉を抉り出してやる」と脅すことで、ようやく情報を引き出すことができた。


 吉田の言葉を信じるなら、最上は違う世界の住人になったらしい。


 3年前、2000万円紛失の責任をとらされた最上だったが、一般市民を巻き込んだ違法カジノの利益で損失の穴埋めをして、すみやかに汚名を返上した。しかも、なぜか赤蜂会の若頭に気に入られて大出世を果たし、もはや吉田たちとは無縁の存在だという。


 吉田の言葉を信じるなら、最上は違う世界の住人になったらしい。


 一旦話し始めると、吉田の口は滑らかだった。赤蜂会の事務所や違法カジノの場所についても白状した。最上の居場所は、どちらかである可能性が高いらしい。吉田が簡単に吐いた裏には、どうやら、出世した最上を妬む気持ちがあるようだった。


 元々、江美と美結を殺したのは、最上である。理市は標的を最上一人に絞ることにした。


 吉田以外の部下は雑魚だし、弱い連中をいたぶったところで空しくなるだけだ。理市は昔から、弱い者イジメは大嫌いだった。もっとも、弱い連中が襲いかかってきた場合は、この限りではないが。


 拘束した吉田を地面に転がしたまま、理市は裏路地から立ち去ることにした。


 しかし、裏路地から表通りに出る前に、吉田のスマホを奪っておかなかったことを後悔した。救急車を呼ぶのに必要だろう、と情けをかけてやったのに、理市を襲うために仲間を呼びつけたのだ。


 迷路のような裏路地は、彼らにとっては庭のようなものなのだろう。理市はたちまち、柄の悪い男に挟み撃ちにされてしまった。


 前に三人、後ろに二人。全員、木刀やらナイフやらを手にしている。血走った眼とだらしない口元は、サディスティックな暴力志向を思わせた。


 以前の理市なら、たちまち怖気づいてしまい、戦う前から勝負はついていたことだろう。だが、今の理市は違う。脈拍と血圧、呼吸数は平常時と同じ、少しも慌てずに冷静さを保っている。


 まず、前方の坊主頭の男と後方の小柄な男が、ほぼ同時に襲いかかってきた。理市は振り向きざまに裏拳で小柄男の側頭部を砕き、跳ね上げた左脚で坊主男の股間を強打した。その間、彼らの手にした木刀とナイフは、理市に身体にかすりもしていない。


 一瞬で二人を戦闘不能にすると、理市は予備動作もなしに左に跳んだ。コンマ数秒前まで彼のいた空間に、日本刀の切っ先が走り抜けていく。前方にいた長身の男の攻撃だ。理市は、この長身男が唯一の強者つわものと判断した。 


 殺気を含んだ風が理市の髪をなびかせる。さぞ、身体を切り刻みたいのだろうが、理市のスピードは人外のそれである。日本刀の届かぬ位置まで下がると、一瞬で距離を詰め、右の拳で長身男の顔面を撃ち抜いた。


 一部始終を見ていた残りの二人は、はっきりいって雑魚ざこだった。そろって及び腰なのは、チーマー上がりの予備軍だからだろう。

「おい、そいつらを連れていけ。すぐに警察が駆けつけるぞ」

 理市は彼らに言い捨てると、背中を向けて軽やかに駆け出した。


 身体の奥が燃えている。今の理市なら、夜通し走ることだって不可能ではない。

 最上への復讐を果たすため、江美と美結の敵を討つためなら、何だってできる。

 復讐という言葉は甘い響きを帯びている。自分がロマンチストだとは思っていないが、犬飼理市の心の大半を占めているのは、間違いなく復讐だ。


 もし、最上をぶち殺すことができるのなら、その場で死んだって構わない。


 そのためには、何だってやってやる。とりあえず、今なすべきことは、ひたすら調べることだ。最上に関するすべてを調べ尽くし、万が一にも失敗をしないように、念には念を入れて彼を丸裸にする。


 理市は颯爽さっそうと裏路地を駆け抜けて、闇の中に吸い込まれていった。








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