第10話 リベンジロード①
陽が高くなっても、相変わらず暗闇に包まれた森だった。人非ざるものにまとわりつく瘴気のせいだろうか。暗黒の森の中では、時さえ凍りついているようだ。
ただ、時の刻みは間違いなく、万物の上に降り注いでいる。江美と美結の遺体は少しずつ腐敗していく。獣や虫に食われ、微生物によって分解され、大地の一部と化していく。幼い美結は頭骨や大腿骨をわずかに残しただけで、ほとんど大地に吸収されてしまった。
唯一、変化が見られないのは、理市の肉体だった。なぜか獣や虫をよせつけず、土に埋もれて、ただ眠っているように見える。1ヵ月が経過しても、何一つ変わらない。この暗黒の森の中では、物理法則を無視した現象さえ起こるのかもしれない。
驚いたことに、理市の心臓は動いていたのだ。この世によほど未練があるのか、二度の心臓停止から見事に復活を果たしている。どうやら、それは心臓に癒着した〈響き眼〉のせいらしい。
〈響き眼〉は理市の肉体を媒介にして、大地から生命エネルギーを貪欲に吸いあげていた。獣や虫が近寄らないのは生命の危機を察したためだろう。ただ、移動ができない草木に関しては、半径1キロメートルのエリア内が朽ち果ててしまった。
結局、犬飼理市が意識を取り戻すまでに、三年の月日を要した。指先を動かすまで半日かかり、起き上がるまでに二日かかった。
理市を支えているのは、家族への想いだった。生前の記憶を失われてはいない。とりわけ、家族を失った悲しみは魂に焼きついている。永遠に消えることはないだろう。
理市はうつ伏せになり、全身を使って地面を這い進んだ。1メートル進むのに数時間を費やした。右手を必死に伸ばす。その先にあるのは、美結の頭骨だった。少し先には、江美の頭骨もある。
理市の眼から涙があふれ出した。二つの頭骨を胸に抱きしめることができた時、喉の奥から得体のしれないものが這いあがってきた。それは悲しみであり、怒りであり、絶望の色に染まっていた。
暗黒の森に、喉が裂けそうな絶叫が響き渡る。
それは生を受けたばかりの赤ん坊に似ていた。
この時、犬飼理市という異形が誕生したのだ。
理市は自分のアパートには帰らなかった。
3年も経てば家族の持ち物や思い出の品は処分されているだろうし、江美と美結の思い出は記憶の中だけで充分だからだ。元勤務先の配送会社にも立ち寄らなかった。これから行うことを考えれば、迷惑がかかるかもしれないからである。
理市の意志は決まっていた。最も大切な家族,江美と美結の命を奪った連中に、自分たちの犯した罪を償ってもらう。
もちろん、並みの償いでは気が済まない。理市は3年前、身体じゅうの骨を折られたのだから、連中には同じ目に合わせてやろう。いや、その程度では償いにはならない。掛け値なしに、連中の命で償ってもらおう。
それも想像しうる限り、最も残酷な方法で……。
一番の標的はリーダー格の最上である。最上の居場所をつかむために、まず、理市はチーマー時代の仲間を捕まえた。山野という二つ上の男である。幸い、彼は3年前と同じアパートに住んでいた。
3年前よりも肥え太り、さらに細くなった目で、理市をマジマジと見ながら、
「おいおい、本当に理市か。トラブルに巻き込まれて、ヤクザに殺されたって聞いたぞ。おまえ、マジ生きていたのかよ」
山野は満面の笑みを浮かべていたが、彼は理市にブラック企業を紹介し、特殊詐欺の片棒を担がせたゴミ野郎である。
「随分と痩せたな。頬がそげ落ちて死神みたいだぜ。ちゃんとメシ食ってんのかよ」
食べかけのスナックの袋を差し出されたが、理市は首を横に振る。
体重は10kg以上減ったが、Tシャツとデニムといったカジュアルな服装の下には、生気に満ち溢れた肉体があった。あふれ出ようとする力を抑えることに苦労するほどである。
「山野さん、最上さんを知っていますよね。例の特殊詐欺と関わっていた男です。事情があって今、捜しまわっているんだ。最上さんの居場所を教えてくださいよ」
「ああん、最上? 知らないなぁ。なぁ誰だよ、そいつ。どんなヤツ?」
とぼけようとしたので、理市は山野の腕を掴み、渾身の力を込めた。万力で腕が締め付けられたように感じたことだろう。すぐに泣きが入った。
山野によると、最上は
どこに行けば、最上と会えるのか? 3年前の部下は今もいるのか?
理市は情報を根こそぎ引き出すために、とことん山野を締め上げた。成果は上々だったが、聞き出せなかったことが一つある。最上たちが探していた2000万円に関しては、山野は全然知らなかったのだ。
もし2000万円がブラック企業から盗まれていなければ、理市がとばっちりを受けることなどなかった。江美と美結は死なずに済んだはずである。
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