第37話 セシルの日記:7 ああ! 腋に! 腋に! コハクをくすぐらないでよ!!

――や、やば……アズのこんな声、初めて……声が出ない。


 ノバは耳をペタンとたたみ尻尾を体に巻き付け小さく震えている。あたしも迫力に呑まれて体が固まった。一瞬にも一時間にも一億年にも感じる静寂。その直後、あたしのすぐ脇を恐ろしいスピードでかすめたナニカが触手の次元生物ディメンショナ―に飛び掛った。


「絶対!! 殺す!!!! 『ショタニックブレイド』展開!!!!」


『出力不足です。使用可能まで残り――』


「ちっ! さっき無駄撃ちしなければ……くそっ!! まあいいそんなのなくたって!!!!」


「ちょっ……と…………」


 やっと声がでた。アズは次元生物の触手に掴みかかり思いっきり引っ張っている。自らの触手に血管が浮かび上がるほど力を込めて引きはがそうとするが、コハクにがっつり絡みついた触手は離れそうになかった。次元生物はコハクの両手を引っ張りがら空きになった腋を触手でまさぐっている。


「あはっ……だっっ……だめぇっ……ひっひひ……」


 コハクは甘い声を洩らして体をくねらせていた。


「な、ななななんてことをぉ……!! ああ! そんなとこっっ!!?」


 コハクは甘い息づかいを洩らし縛られた手足を懸命に動かして、無意味な抵抗を試みていた。その哀れな姿にアズは義憤の怒声を上げる。


「うらや……けしからーん!!!!」


「ええ、許せないわ……ん?」


――今うらやましいって言わなかった……?


「ワタシだって、まだ……まだ、だめかなって…………我慢してたのにぃぃっっ!!!!」


 アズはわけのわからないことを喚き散らし自分の触手を次元生物の触手に絡みつかせた。あたしも怒り狂いたい気分だけど、目の前で暴れている人を見ると妙に冷静になる。


――こっわ……と、とにかく止めないと! このままじゃコハクまで……。


「アズ! 落ち着いて!!」


「はぁあ? おちつく……? これがおちついてられるかぁああああぁああああああ!!!?????」


「やぁっ……もっ……う……やめっ……あっあはっ……あ、あずっ……しゃ……んんっっ……たしゅっ……けてっ……」


 コハクは頬を真っ赤に染めて涙を浮かべた目で必死にアズを見つめていた。その助けを求める姿がアズの中にあった何かを解き放ったのだろう。


「ふぬぅぉぉおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 アズは触手の怪物に覆いかぶさり全身をぎりぎりと震わせた。さすがに触手もコハクの拘束を緩めてアズに応戦し始める。


「まっへへっ!! いあ……たふけりゅからぁっ!!」


――すごい迫力……噛みついてるの?


「んぐっ!???」


 次元生物の触手がぶわっと急に広がって取り込むようにアズの体に巻き付いた。触手と触手が絡まりすごいことになっている。


「あっ! ま、まって……似たような次元生物がいないか探して……」


 取り出そうとして、気づいた。


「ない……?」


――ママの手帳が……どこにもない。どこかで落とした? 走って逃げたとき? 激流に飲まれたとき……? 


 いずれにしても関係ない。もう引き返すことはできないのだから。


「そ、そんな……ママとの……たったひとつの……」


 うつむき、足元の砂を呆然と見つめる。さあっとさざ波が足を撫でていった。


「コハくんから……は・な・れ・ろぉぉおおおお!!!!」


 アズの絶叫に顔が跳ね上げる。絡み合う触手同士の足元に倒れているコハクの表情が目に飛びこんできた。


「……はぁっ……はぁーっ…………」


 拘束から解放されたコハクはとろんとした顔で口から唾液を垂らしビクビクと痙攣している。


――そ、そうだ……落ち込むのはあと! 今はコハクを助けないと!


「で、どっちがアズなの!?」


「ワタシだよ!!」


――は?


 二本の触手が高く掲げられている。


「なっ!? こいつ、ワタシの真似をして!??」


 二つの触手の塊は同時に互いを指差した。


「あ、また……!? まさか状況を理解しているのか?」


 アズと触手の次元生物はまったく同じ動きをしている。鏡合わせのように触手と触手をぶつけ合い、しまいには激しい殴り合いを始めた。


「これじゃ分からない……コハク、教えて――」


「ふっふぅーっ……あっあ……」


 コハクは口から唾液を垂らしてぶるぶると震える手を動かそうとするが、すぐに力尽きてぽすっと砂に落としてしまう。


「あー! 無理しないで!! だいじょうぶ、休んでていいから!」


――だめだ、あたしだけで見破らないと……でも見れば見るほど違いがわからなく……。


「セシルくん頼む! この状況を切り抜けるにはキミの力が必要だ!!」


「そう言ったって……ああ、もうなんでこんなときには触手のままなのよ!!」


――仕方、ありませんね。今の私には危険ですが……。


「は? いっっつ!!??」


 激しい頭痛がして片方の触手が綺麗な女性の姿に変わった。何が何だかわからないが、とにかく今も触手に見えている方が……偽物!!


「ヴァジュラ!!!!」


 あたしは跳躍と同時に剣を引き抜き、触手に向かって一直線に突っ込んだ。脳天に剣を振り下ろすとぶちゅぶちゅと千切れるような軽い手ごたえで少し驚く。が、力は緩めない。


「はぁぁぁあああああああああ!!!!」


 そのまま切り抜け、両断する。真っ二つになった触手の怪物がぼとりと砂の上に落ちた。まだびちびちと動いていて気持ち悪い。だが、それよりも


「今、アタシの中で……」


 胸に手を当て謎の声について思いを巡らせる。なんだか寂しい気持ちになった。


「セシルくん!! よくやった!!!!」


 背後からぐちゃぐちゃの触手に抱きしめられて、ぼんやりと浮かんでいた輪郭が霧散する。


――このウザったい感じ……アズね。間違いない。


「はいはい、それよりコハクは……!?」


 コハクは全身砂まみれになってぐったり横たわっていた。あたしたちは慌てて駆け寄り手を握って顔を覗き込む。


「ふ……ふたりとも……ありが……と…………う」


 コハクはあたしたちに気付くと力なく笑った。そして、ゆっくりと瞼が下りていく。


「う、うそ……コハク? コハクーーーーー!!!!」


 静かに目を閉じたコハクの顔には小さな赤い斑点がいくつも浮かび上がっていた。

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