第二章 クランチ&バン バイオーナー

第36話 セシルの日記:6 海ってなに?っていうか触手は一匹で十分だから!!!

 奔流があたしの体を弄ぶ。脚をさらわれた一瞬で上下が分からなくなるほど、もみくちゃになった。ゲートから勢いよく溢れ続ける水は上り坂だろうが関係なく押し流していく。なんとか体勢を立て直して顔を出すと目の前の水面が盛り上がった。しぶきを上げてコハクをぐるぐる巻きにした触手が現れる。


「アズ!! コハクは無事!!?」


「けほっけほっ……なんとか」


「水飲んじゃった? よしよし……」


 口から水を吐き出し顔を歪めるコハクの背中をアズがさすっている。二人とも大きな怪我もなさそうだ。


「よかった……あ、ノバ! ノバは!?」


『犬かき楽しいにゃん~』


――心配する必要なかったみたいね。ばちゃばちゃ楽しそうに泳いじゃって……。


「この激流でよく……」


「あ、あの……!! これ海水ですよね!?」


 詰め寄るような声がして振り返るとコハクがアズに顔を近付けていた。何かを訴えるように目をぱちぱちさせている。


「なんで――」

「コハくん、話は後にしよう」


 アズはコハクの口元にそっと触手の一本を当てた。耳を澄ますと水の弾ける音に紛れて足音が響いていることに気付きはっとする。


――どんどん、近づいてくる。


 振り向くと、坂の上――まだ水没していない通路の奥――からニクジキノタイリンが列をなして駆けてきていた。


「もう追いつかれた!?」


「流されてワタシ達から近づいちゃったんだろう。とにかく、さっさとゲートをくぐって先に進もう」


「この流れに逆らって!?……あたしたちはともかく、コハクには」


「そこはワタシに任せて☆ 確か、そのスーツには頭部防御シェルが…………えと、ここかな」


 アズの触手がコハクの首もとを撫でると襟から透明のバイザーがでてきてドーム状に頭を覆った。


「わ、すごい……! だ!!」


――コハク、あんなに目を輝かせて……こういうのが好きなんだ……てかパイスーってなに……? なんかえっちなこと……?


「実際パイロットスーツとしても機能するよ」


――あ、あー! パイロットスーツの略ね。いや、分かってたけどね? うん…………はっ! あたしは何考えてるのよ!!


「これで水中でも息ができるはず……ワタシが泳ぐから、またつかまっててね」


 コハクは何度も頷くとアズにしがみついた。あたしも今は生き延びるために頭を回さなければ。


「セシルくんは……」


 心配そうに振り向いたアズに笑顔で応えた。


「あたしは大丈夫! ノバを連れてついてくからアズは先に行って!!」


 あたしの目を見るとアズは決意するようなキリっと力強い顔で頷く。コハクの耳元で何かを囁くとすぐに潜った。


――足音、どんどん大きくなってる……あたしも早くいかなきゃ。


「ノバ!……は一人で泳げそうね」


『にゃにゃ~♪』


「よし、いくわよ!!」


 深く息を吸って飛び込む。うねりまくった水中は泡ぶくだらけで視界は最悪だった。ひたすら腕でかきわけ流れに逆らって泳ぐ。


――思った以上に勢いが……本気で泳がないと進まない!


 少し休むだけで押し戻されてしまう。息継ぎも忘れて無我夢中で泳いで泳いで泳ぎまくった。


――そろそろ、息が……今、どの辺…………あれ? なんか明るくなった?


 息継ぎのために上に向かって泳ぐ。いつの間にか流れも緩やかになり泡もなくなっていた。そして、ゆらめく水面が青く輝いている。


「ぷはぁ……え、なにこれ!?」


 頭上には真っ青な天井がどこまでも広がっていて、息を吸うために開いた口が閉まらなくなった。


「空だよ、見たことないのかい?」


 声のする方を見ると、アズが大の字で水面を漂っていた。そのお腹にコハクがしがみついている。バイザー越しでもはっきり分かるくらい顔が真っ赤だ。


「なに、してんの?」


「コハくんのために浮き輪になってるんだよ☆」


 アズはどことなく間抜けな格好で、これ以上ないドヤ顔を浮かべている。


「コハくん溺れちゃうよ。もっとガシッと……なんならお腹の上に乗ってもいいんだよ?」


「い、いや……ボク、泳げますから!」


「えー? 遠慮しないでいいのに……ワタシの新装備は水にも浮かぶからさ~」


 アズは残念そうに眉尻を下げた。


――絶対ロクでもないこと考えてたわね。


『ワンは疲れたから遠慮しないにゃん!』


 ノバが水面から飛び出しアズに飛び乗った。


「おやあ、キミは甘えん坊だねえ……コハくんもこうだったらなぁ」


 アズは唇を尖らせてじとーっとコハクを見つめている。


「そ、それより……やっぱりこれ海ですよね!?……ボクたち外に出ちゃったんですか!?」


――海……確かママの手帳にも書いてあったわね。大きい水たまりだったかしら。


「んー……いや、そうじゃないと思うよ」


 アズはおもむろに両腕を持ち上げた。ぐねぐねの触手の隙間から透明な水がキラキラこぼれていく。


「この水綺麗でしょ? ワタシ達の海はね、汚染されて真っ黒なんだよ」


「そんな……どうして」


「発展の代償さ。ワタシ達はなんでもできるようになった代わりに自然を失った……」


「確かにすごい街でしたけど、そこまで技術が進んでいるようには」


「言ったでしょ? 『あえてこの見た目にしてる』って……人間らしさを忘れないようにわざと昔の文化を模倣してるんだってさ」


「な……っ! それじゃまるでディストピアじゃないですか!!」


「そう……だから一般市民には知らされていない。政府の偉い人だけが握るトップシークレットさ。もっとも裏の人間には筒抜けだけどね」


「なんだよ、それ……」


 コハクは難しい顔でうつむいてしまった。


「ま、コハくんの世界で言う『サイバーパンク』ってとこさ」


――二人はなんの話をしているの? あたし、ダンジョンの外のこと何も知らないのね……。


「……はあ、今は考えても仕方ないですね。とにかく、陸地をさがしま――」


 突然コハクが沈んだ。


「コハク!!」

「コハくん!!」


 あたしたちはすぐに潜って探すが近くには見当たらない。


――どこ、どこどこどこ!!? なんで急にコハク!! あ!! あれ!? あれだわ!!


 数メートル下で苦しそうにもがいているコハクの姿を見つけた。防御シェルのおかげで息はできるはずだけど全身に何かがまとわりついている。


――あれ、アズの触手に似てる? まさか……?


 咄嗟にアズを探すが、あたしの隣でコハクに腕を伸ばしていた。


――アズの悪ふざけ……じゃないわよね……ってか何しようと――


『ショタニックカノン・ホーミングオクトパスモード』


 くぐもった声が水中に響いた。ぬるぬるのアズの腕からさらに何本もぐねぐねと触手が飛び出す。そのすべてがコハクの方を向き花のように円環に開いた。何本もの触手の先端がぼんやり光り始める。


――これって怪物を消し飛ばした……! あれをコハクに向かって撃つつもりなの!? だめ……!!


 手を伸ばしたときには、触手からビームが発射されてしまった。が、コハクに届くまでにどんどん細くなって消えてしまう。


――拡散……した……? 水の中だから? とにかくよかった……いやよくない!


 顔をしかめているアズに掴みかかり思いっきりにらみつけた。


「がぼぼ、がぼっぼぼぼ!!」


 思わず叫んでしまい口に水が流れこむ。しょっぱいのと苦しいのとで、たまらず水から顔をだしてしまった。


「げほっ……し、死ぬかと思った……へ?」


 足を引っ張られて再び潜ると、アズは焦った様子であたしの後ろを指差していた。


――ああ? なにが……あ! あいつ、コハクをどこに連れていく気よ!?


 コハクに絡みついた触手はわさわさと何本もの足を動かして、かなりのスピードで泳いでいる。


――しまった……ごめんコハク! すぐに助けるからね!


 顔を見合わせ頷くや否やあたしたちは全速力で泳ぎ始めた。触手は少しづつ浮上しながら一直線に泳ぎ続けている。


――どこかに向かってる? あ、水の底が見えるようになってきたわね。そろそろ陸が――


 そのとき、謎の触手はコハクを抱えて水面から勢いよく飛び跳ねた。慌てて顔を出して目で追うが5メートルくらい滑空している。


「どんな身体能力よ!?」


「島だ! 島があるよ!」


 触手はそのまま緩やかに高度を落として前方に見える砂場に着地した。あたしたちも足がつくところまで近づいたから、ここからは走れる。


「コハク!!……コハク!!!!」


 触手に縛られているコハクのもとに無我夢中で全速力で向かう。


「コハク!!!! コハ……ク…………?」


 仰向けで寝そべるコハクの上にアズそっくりの触手がのしかかっていた。砂まみれになり蹂躙されているコハク。


「ひゃあんっ……ひっひひっ……やめ……く……くすぐりゃない…………でっ……ひひ……」


 コハクは触手に絡みつかれて笑い転げていた。予想外の光景にあたしはぽかんと口を開けて見ていることしかできない。


「は、はあ? なにがしたいの……こいつ??」


――っていうか、コハクもちょっと……


『嬉しそうにゃん、ご主人……ぷるるぅ』


 しれっとついて来ていたノバが体を震わせて水を飛ばしている。触手に好き勝手弄ばれているコハクとノバの言葉で胸がもやもやしてきた。


――なんか……やだ。


「おいおいおいおい…………お、おまえ……おまえさあぁ??????」


 後ろから酷くどすの効いた声が響き、ちょっぴりかげっていた気持ちは極上の恐怖に上書きされた。その音はとてもこの世のものとは思えない。


「コハくんに……ナニ、してるのかなああ?????」

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