第21話 真っ暗な世界でボクたちはふたりぼっちになりました。

「縺ッ?樞?ヲ窶ヲ縺?i繧?∪縺励>繧」


 真っ黒な影はボクの問いかけには反応しなかった。じっとテーブルの上を見つめている……ように見える。黒すぎて、表情どころか顔のパーツひとつ分からなかった。辛うじて人型には見えるが、全身をどす黒いオーラみたいなもので包まれている。明らかに人間ではなかった。


「そのわけのわからない言葉! 夢で見た触手と関係があるのか!?」


 もう一度声をかけるが、影は相変わらず椅子に座ったまま身動き一つしない。ボクの声が届いていないのか? とにかく異常事態だということだけは本能的に分かった。


「お母さん、お姉ちゃん! 逃げ……っ!?」


 後ろを振り返り、ボクは絶句した。廊下に続く扉の前には、黒く大きな靄が漂っているだけで人の姿は見当たらない。さっきまで2人が立っていた場所はただ真っ暗な空間になっていた。


「そんな、どこに……いったの?」


「縺昴≧縺?≧縺ィ縺薙m繧医?ゅ※繧??縺九?√♀縺ュ縺医■繧?s縺」縺ヲ繧医?縺ェ縺輔>縺」縺ヲ縺?▽繧りィ?縺」縺ヲ繧九〒縺励g?√??!!」


「ひっ!」


 突然の叫び声にビクっと振り向くと、真っ黒な指が突きつけられていた。靄は影から伸びるように滲み出て部屋を徐々に暗く染めていく。怖くて、何もできない。何も言えない。


「縺オ繧薙?√o縺九l縺ー縺?>縺ョ繧」


 影はゆっくりと腕をひっこめて腕を組んだように見えた。なにがどうなっているのかまるでわからない。台所は暗い闇に覆いつくされてしまった。


「縺ッ縺??縺??√o縺九▲縺ヲ繧」


 影は一方的に話し続けている。影から溢れる闇は不思議と心地よいものに感じた。気づけば、闇はボクを優しく包み込んでいる。もう、何も見えない……何も感じない。


『コハくん……? 眠ってるだけ、だよね……?』


『コハク……謝るから……お願いだからっ!!』


 目を閉じようとしたとき、誰かの声が聞こえてきた。ひどく悲しそうで、なつかしい声。これは、この声は……


『『目を覚まして!!』』


 その祈りがボクに勇気をくれた。閉じかけた瞳を強く開いて目の前の闇に目を凝らす。ほんの少し靄が晴れてシルエットだけだった影の姿がぼんやりと見え始めた。


「そうだ! ボクは、アズさんとセシルとダンジョンにいるはず……これはボクの記憶をなぞった幻。こっちが夢なんだ!」


 まとわりつく闇を右手で大きく振り払う。その手は、小学五年生の、今のボクの手になっていた。


「楽しかったけど、これは思い出だ。ボクは最深部にたどり着いて帰るんだ! 本当の家族がいる世界に!!」


 もう、怖くない。ボクは目の前の影を指さして宣言した。


「ボクの思い出に入りこんだお前は一体、なにものなんだ……!」


 影は徐に立ち上がりボクに顔を向けた。薄くなった靄がゆらりと大きく揺れる。


「は……?」


 靄の奥で一瞬見えたのは笑う子どもの顔だった。と、いうよりも――


「……ボク?」


 影に覆われていたのは、誰でもない。ボク自身だった。でも、ボクは今こうして……じゃあ、ボクは誰なんだ?


「……ッタ……キヅ…テ…レタ」


「え?」


 再び影が喋り始めたが、さっきまでとは様子が違う。影の言葉が少し聞き取れるようになった。途切れ途切れだが、しっかり言葉として理解できる。


「ズ……ア…タカ…タ」


「あい……たかった? な、なにを言って……、君は誰なの!?」


 影は両手をゆらりとボクに伸ばしてきた。


「……タス……ケテ」


 黒い靄に包まれた手のひらがボクの頬を優しく撫でた。





「はっ!!」


 次に目を開いて最初に飛び込んできたのはセシルの泣き顔だった。息がかかるぐらいの至近距離で潤んだ瞳がボクを見ている。


「コハ……? コハク!? 目を……目が……コハクーーー!!!!」


「うぐっ!?」


 セシルはすっかり動転した様子で力いっぱいボクに抱き着いてきた。涙でぐじょぐじょになった顔をこすりつけて布団に次々と染みをつくっている。


「ごめんなさいごめんなさい! ボロボロだったのに投げ飛ばしたりして……あたし、このまま目を覚まさなかったらって……」


「だ、だいじょう……いや、くるし……」


 起きて早々、締め殺されるなんて……まだ悪夢は覚めていないのだろうか。


「あー!! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!! コハク死なないで~!!」


 セシルは慌てて手を離したが、今度は縋りつくように胸に飛び込んできた。


「全く、だから疲れて眠ってるだけって言ったじゃないか……大げさだなあ」


 妙に落ち着いた声がして左を向くと、そっぽを向いたアズさんが枕元で片膝を立てて座っていた。何かの小瓶を握りしめた手は僅かに震えて、目元の化粧も滲んでいる気がする。


「なによ! あんただって、コハクがうなされてるのを見ておろおろしてたじゃない!」


 セシルはボクに覆いかぶさった四つん這いの姿勢でアズさんをにらむ。まるで威嚇する猫みたいだ。そういえば、シノバンジュウの子どもはどこにいるんだろう? 目が覚めてから見てないけど……


「な、なにを言ってくれちゃってるのかな??」


 振り返ったアズさんの顔は怒った表情だったが、それが照れ隠しであることは一目瞭然だった。瞼が腫れているのがはっきりとわかる。


「ふふーん、コハクの前でかっこつけようとしたって、そうはいかないんだから!」

 

 セシルは涙でぬれた顔のまま、なぜか得意げに腕を組んだ。一方のアズさんはわなわなと肩を震わせている。


「いやいや、キミだって傷だらけのコハくんを見て泣き喚いてたじゃないか! つきっきりで手当てまでしてさ……この塗り薬だってキミのでしょ!?」


 アズさんは手に持った小瓶を見せつけるように何度も指差した。両者とも、顔が真っ赤っかになっている。多分、恥ずかしさで……なんだかボクも顔が熱くなってきた。


「はあ!?? そんなの、いつも助けてもらってるから当たり前よ!! それにあたしには投げ飛ばした責任があるじゃない!!!」


「そうだね?! でもそれはトリガーでしかない。コハくんが倒れた原因は疲労だよ! つまり、気づかずへとへとになるまで疲れさせてしまったワタシにも責任があるってことさ!!」


 ボクを挟んだ2人の口論はどんどんヒートアップしていく。こんなときでも顔を合わせると悪口の応酬に……あれ? これ、悪口じゃないよね?


「あ、あの……」


「「だーかーらー!!」」


 2人は同時にボクの手を握り……


「コハクはあたしが」

「コハくんはワタシが」


 胸の前でぎゅっと抱きしめた。


「「お世話するの!!」」


 論点がすり替わってるーーー!!?? びっくりした……いつの間にかボクのお世話を巡る戦いになってるじゃん。それにしても2人ともすごく満足気な表情……。とにかく、この不毛な争いを終わらせなくちゃ。


「えっと……2人一緒っていうのは、だめなの?」


 きょとんとした顔でボクを見るセシル。真剣に何かを考えているアズさん。2人を交互に見るボク。しばしの沈黙の後でアズさんが切り出した。


「じゃあ、どっちがお姉ちゃんにふさわしいか勝負といこうか!」


「いいわ、受けて立つ!」


「ええー……」


 また、変な戦いが始まった。2人とも不敵な笑みを浮かべて既に火花を散らしている。


「コハクのお姉ちゃんはあたしに決まってるわ」


 セシルは右手を胸に当てて、自信満々に鼻を鳴らした。


「ふふ、男の子はね、大人のお姉さんの方が好きなんだよ。ね、コハくん?」


 アズさんは妖しげな微笑みを浮かべてボクの顔を覗き込む。


「え、ええっと……」

 

 ボクは曖昧に笑うしかなかった。優しいおねえちゃん(仮)がボクを取り合うなんて愉快なイベントを目の前にしながら正体不明の不安に苛まれている。通常運転に戻りつつある余裕からか、つい悪夢のことを考えてしまっていた。


『……タス……ケテ』


 夢で見た、もうひとりのボクの言葉が耳から離れない。寂しそうな笑顔が瞼の裏に焼き付いていた。

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