第20話 目が覚めると、そこは知らな……知ってる天井でした。

「んん……?」


 遠くから誰かがボクを呼んでいる気がする。まどろみの中でそれだけが分かった。いや、目を閉じていてもわかるぐらい朝日がさんさんと照らしているのも分かる。というか眩しい、眩しすぎる。まるで起きろと言っているみたいだ。


「もう、分かったよう……」


 ボクは耐えきれず、ゆっくりとまぶたを開いた。


「知らな……知ってる天井だ」


 開眼一番、真っ赤なボディのヒーローと目があった。左手をあげる決めポーズでボクを見ている。特撮番組のポスターが天井に貼ってあるなんて、ボクの部屋で決まりだ。


「ん……おはよう。いつも見守ってくれてありがとう」


――気にするな。とヒーローが笑った気がした。ボクは自分でした妄想に照れくさくなって横を向く。寝転がると勉強机の上にはポスターと同じヒーローのソフビ人形が置いてあるのが目に入った。隣には敵の怪獣もいる。


「あれって……お父さんからもらった人形だ」


『これは父さんが子どものときにやってたヒーローなんだ!』と、おまちゃ屋さんでソフビを指差したお父さんの笑顔を思い出す。最近、アニメとして復活したことでブームになっているのだ。


「今週も楽しみだなあ……次はどんな怪獣がでてくるんだろう」


 親子そろってはまり、今では録画したものを日曜に一緒に見るのが毎週の楽しみになっていた。ポスターも一人部屋がさみしいとこぼしたら『これなら、琥珀が寝てる間も見守ってくれるぞ!』とお父さんが貼ってくれたんだっけ。


「う~ん、怪獣もいいけど……やっぱりヒーローはかっこいいなあ~」


 人形の隣にはいろんなヒーローの変身アイテムが並べられている。すべて見覚えのある景色だ。


「やっぱり、ここはボクの部屋だ」


 当たり前のことを呟く。いや、違う。ボクは誰かと戦って……あれは、夢だったのか? 全部?


「コハー? そろそろおきなさーい……よ!」

 

 勢いよく扉が開いて、中学生ぐらいの女の子が入ってきた。どかどかと歩いて来て、次の瞬間にはボクの布団は引きはがされてしまう。


「今日は卒園式でしょ! もうみんな起きてるわよ!」


 女の子は腰に手を当てて、ふんすと鼻を鳴らした。


「そつえんしき?」


 ボクはのそっと体を起こして重いまぶたをこすった。


「もう、寝ぼけちゃって……やっぱり、お姉ちゃんがいないと駄目ね」


「おねーちゃん……? あ、ミツおねーちゃんだ!」


 ボクはお姉ちゃんの顔を見るとパーっと顔をほころばせた。


「そうそう、私は早乙女さおとめみつ。きみのお姉ちゃんですよって、本当にだいじょうぶ?」


 お姉ちゃんはボクの顔をじーと見ている。と思ったらおでこに手をあてた。


「熱は……ないか」


「だいじょーぶだよう。ちょっと変な夢を見てたの」


 おでこから離した手を今度は自分の頭に置いてお姉ちゃんは深く息を吐いた。


「夢ねえ……。まったく、ぼーっとしてたら友達に笑われちゃうわよ。せっかくカッコいい顔なんだから、しゃきっとしなさい」


「はーーい」


「よろしい! はいこれ、幼稚園の制服」


 お姉ちゃんは左手で抱きしめるように持っていた制服をボクの横に置いた。


「一人で着替えられる?」


「きがえられるー」


 ボクは返事をしながらパジャマを脱いだ。


「あ、こら。脱いだの投げないの!」


「ごめんなさーい」


 もぞもぞズボンを履きながら謝ると、おねえちゃんはため息をついて足元に落ちたパジャマを拾った。それがちょっぴり怖くて、ボクは急いで制服に袖を通してボタンを留める。


「あーもう、掛け違えてる……」


 綺麗に畳んだパジャマを枕元に置いたお姉ちゃんは、ベッドに片膝をついてグイっとボクに顔を近づけた。さらさらの髪が目の前で揺れてふわっと石鹸のようないい匂いがする。


「よし、これでおっけ」


 ボタンを留めなおしておねーちゃんはニコッと笑った。


「うん、我ながら完璧ね」


 ベッドから降りるとおねーちゃんは満足げな表情で腕を組んで、ボクの全身に目を上下させている。


「ありがとー、おねーちゃん!」


「どういたしまして。それじゃ、朝ごはん食べよ! お母さん、張り切ってカレー作ってたよ?」


「カレー!? やったー!!」 


 ボクはぴょんと元気いっぱいにベッドの上で立ち上がった。


「ふふ、コハの大好物だもんね。私は『朝からカレーってメジャーリーガーか!』ってツッコんじゃったけど」


 お姉ちゃんはバッターの真似をしてから右手で空中を叩く。ボクは意味が分からなくてきょとんとした。


「メジャーリーガー?」


「あはは、やっぱ通じないよねー。ま、そんなのいいから……」


 お姉ちゃんは照れくさそうに笑うとボクの手を取った。


「早く、台所に行こ」


「うん!」


 ベッドから降りて、手を引かれるままドアをくぐり廊下に出た。そんなに長い廊下じゃないから出てすぐに台所のドアが見える。


「かれえ♪ かれえ♪」


 ボクたちは繋いだ腕を振って歩いた。


「すっかりご機嫌じゃん?」


 横を歩くお姉ちゃんがボクを見てにやりと笑う。


「だってカレーだよ? おかあさんのカレー!」


「まあね~、うちのお母さんは料理ガチ勢だから……」


 そんな風に話しているうちに台所は目の前まで来ていた。


「お母さーん! コハ起きたよー!」


 お姉ちゃんが台所のドアを開くと、テーブルを挟んでお母さんの背中が見えた。


「ありがとね蜜、お母さん手が離せなくて」


 振り返ったお母さんの顔はいつもの優しい笑顔だった。よそったカレーをテーブルに置くとボクたちに歩み寄ってくる。


「うわあ、本当にカレーだ! 早く食べたい!」


「あらぁ? お寝坊さんの正体は食いしん坊さんだったのね? うりうり~」 


 お母さんはボクのほっぺを軽く引っ張ってクスクス笑っている。


「ひゃあ~、やめふぇ~」


「もうちょ~っと、待ってね。今、お父さんがお着換えしてるから。そ・れ・と……まずは『おはよう』、でしょ♡」


 お母さんは笑っている。笑ってはいるが得体のしれない迫力があった。


「ふぁ、ふぁい! おふぁようごじゃいましゅ!!」


「うふ、よくできました」


 頬からぱっと手を離したお母さんは、よしよしとボクの頭を撫でる。隣のお姉ちゃんは青ざめた顔で一部始終を見ていた。


「うわー、さっすがお母さん」


 お母さんはぴくっと肩を震わせ、徐に立ち上がる。変わらず迫力のある笑顔のままだ。


「あらあら、蜜ちゃん? それってどういう意味?」


「イヤ、ナンデモナイヨ?」


「そう? あ、蜜もしてほしいのかしら? そうね、久しぶりにやってあげましょう。うふふふ……」


 両手をワキワキと動かしてお母さんはお姉ちゃんに詰め寄る。さながら獲物に飛び掛かる寸前のライオンだ。


「そ、それは……遠慮しとく」


 お姉ちゃんは慌てて目をそらした。


「あらら~? この子ったら照れてるのかしら? もう、かわいいんだから~!」


「ひい~! コハ、助けて!!」


 お姉ちゃんはすがるような目でボクを見ている。しかし、ボクは絡みつく視線を振り切って自分の席に着いた。


「わー、カレー、おいしそうダナー」


「そ、そんな……。コハクの白状者~!!」


 ごめん、お姉ちゃん! ボクにはどうすることもできないよ……。


「ほ~ら、うりうり~♡ ああ、なんて綺麗な肌! 我が娘ながらうらやましいわ~!」


「ぎゃあああ!! たすけてええええ!!??」


 ああ、かわいそうなお姉ちゃん。あなたのことは忘れないよ、カレーを食べるまで。


「縺セ縺」縺溘¥縲√&繧上′縺励>螳カ譌上?」


――は?


 すぐ隣から、ノイズ混じりの気味の悪い声がした。


「縺セ縺ゅ?√″繧峨>縺倥c縺ェ縺?¢縺ゥ」


 この感じ、知ってる。声ははっきり聞こえるのに内容はわからない気持ち悪い感覚。壊れたスピーカーみたいなザラザラした音。でも、どうして? あれは夢だったんじゃ……。


「っ!!?」


 恐る恐る右に顔を向けて、ボクは飛びのくように立ち上がった。イスが後ろに倒れて大きな音を立てたが、もうそれどころではない。


「なんだ、なんなんだ、お前……!!」


 そこには、ぐちゃぐちゃに全身を塗りつぶされたような真っ黒いナニカがいた。







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