第9話 アズさんとセシルさんはギスギスだし、ジャングルはムシムシするし、最悪です……。

「どうなってるんだ? 地下に、森が……?」


 アズさんは立ち上がりふらふらと一本の木に近づいていく。


「本物だ、本物の樹木が生えている」


「ちょっと勝手に……やばい次元生物がいるかもしれないから危ないわよー」


 セシルさんはへたり込んだボクに手を差し伸べながら言った。


「あ、ありがとう」


 セシルさんの手を掴み立ち上がると、アズさんは真剣な表情で木の幹をさすっているのが見えた。


「セシルくん、これは一体……?」


「この研究所の地下で何かの実験をしていたらしいんだけど、事故が起きてこんなことになった……んだと思う。あたしが拾った手帳からの推測だけど」


 セシルさんは手帳を取り出して後ろの方のページを開いた。そこにはちょっと神経質そうな整った文字で


『実験は失敗した。いや成功か? とにかく私にはヤツを止める義務がある。行かなくては』


 と書かれていた。


――『ヤツ』?


「どれどれ?」


 戻ってきたアズさんがセシルさんの手から手帳を摘まみ上げた。


「あ、返しなさいよ!」


 セシルさんは両腕を目いっぱい伸ばして取り返そうとするが、半分近い身長差で全く届いていない。アズさんは無視してパラパラとページをめくっている。


「ふむふむ、ディメンショナ―だっけ? ここに生息してる怪物たちのことも書いてあるじゃないか。実験っていうのも大方……」


「ちょっと! おい! 無視するな~!」


「あーもう、うるさいなあ…………おや?」


 アズさんは突然、ページをめくる手を止めてじっと手帳を見た。


「やっぱりね」


「どうしたんですか? 何が書いてあるんですか?」


 アズさんは不敵な笑みを浮かべると手帳をボクに見せた。そこには知った単語が書かれている。


「『次元間移動装置の起動に成功』!?」


「『いくらか別次元の生物が迷い込んだ。奴らを以下、次元生物と呼称する』ってさ。ほら、返すよ」


 アズさんは手帳を閉じると、セシルさんの手のひらに置いた。


「そういえば、あんた達の目的はそれだったわね」


 セシルさんは戻ってきた手帳を見つめている。


「セシルくん、キミはこの研究所についてやけに詳しいよね。他にも何か知ってるんじゃないかい?」


 アズさんは笑顔だったが、声には隠し切れない疑念が込められていた。にわかに緊張が走る。


「研究所についてはここに書かれていること以外知らないわ!」


「だとしても、ワタシ達に隠していたことは変わらないよね。階段でキミは『自分がここに住んでいる』ことぐらいしか教えてくれなかっただろう?」


 アズさんは蛇のような鋭い目つきでセシルさんを見ている。


「それは、まだアズのことを信用できなかったからよ」


 セシルさんはアズさんから目を逸らしてボクを見た。


「コハクのことは信じてるからね」


「え? あ、はい」


 セシルさんはボクの目を見つめてにっこりと笑った。そして横目でアズさんが顔をしかめているのが見えてしまった。これは、良くない……。


「おいおい、それは言いっこなしじゃないか? ワタシだってまだキミのことを信じ切っているわけじゃないんだよ? 第一こんなところに小さい女の子が独りで暮らしてるなんて、ゴリラじゃないんだから」


 アズさんは両手を天井に向けて半笑いで言った。


「はあ!?? 誰がゴリラよ!!? あんたは触手の化け物じゃないの!! ぐねぐね、べとべと気持ち悪いのが何を言ってるのよ!!」


 セシルさんは殴り掛かりそうな勢いでまくし立てた。


「あ、あのう……」


「だーかーらー!! それは、コハくんと同じようにキミがそう見えてるだけなんだと思うよ!? 階段で説明したのにもう忘れたのかいゴリラくん?!!」


 アズさんとセシルさんはお互いににじり寄り、至近距離で言い合っている。ボクの声も聞こえていないみたいだ。


「ああ!? なによ触手!!!」


「うるさいゴリラ!!」


「ちょっと、2人とも落ち着いてください!」


 あわや2人は殴り合いになるかと思われたそのとき――


「なああ~!!」


 聞き覚えのある鳴き声とともにボクの服から小さな影が飛び出した。


「は? この仔は!?」


「ついてきていたのかい!?」


 ボクの前に着地したのは、たてがみのある仔猫、シノバンジュウの子どもだった。


「あ、待って!」


 その影は2人の足元を器用に駆け抜けジャングルの中に消えていってしまった。


「ああ、追わないと! 2人とも喧嘩してる場合じゃないですよ!」


「え? あ……うん」


「そうね、追わないとね」


 2人は顔を見合わせて頷いた。


「じゃ、じゃあ気を付けて進むわよ。あたしについて来て」


「わ、わかった。殿しんがりは任せてよ」


 セシルさんが剣を抜いて森の中に入っていく。ボクはアズさんに一度振り返りセシルさんの背中を追った。


――2人の雰囲気も心配だけど、今はあの仔だ。


 こうしてボクたちは微妙な空気感で地下2階の探索を始めたのだった。



◇◇◇◇



「も~、草が生えすぎだって。妙にムシムシするし……」


 後ろからアズさんのぼやく声が聞こえてくる。


「うるさいわね、文句を言いたいのはあんただけじゃないわよ。ほら、コハクを見習いなさい。こんなにちっちゃいのに文句ひとつ言わないで……大丈夫?」


 セシルさんは振り返り、ボクの頭を撫でた。


「ボクは、別に……平気です」


 口ではそう言ったが、正直ちょっと疲れていた。シノバンジュウの子どもを捜索し始めて、もう数十分は過ぎた気がする。この森は本当のジャングルのように蒸し暑くて、異常に体力が奪われるのだ。


「あれ? あしが……」


「コハくん!?」


 倒れそうになったところをアズさんに抱きかかえられた。


――ああ、意識が……さすがに限界、か。


 重くなる瞼に逆らえず目を閉じる。


――あ、こうすると音がよく聞こえるな。


 アズさんとセシルさんがボクを呼んでいるが、徐々に声が遠くなっていく。


――心配かけて、ごめんなさい。おねえちゃん……


 ふと、2人の声に混じって、猫の鳴き声が聞こえてくることに気が付いた。


――まさか!


 薄れていく意識をつなぎとめて目を開く。


「あ……2人とも、後ろです」


 今にも泣きそうな顔でボクを覗き込む2人。その後ろの林の中、そこにふわふわの影が見えた。


「な、なぁあ~!」


 助けを求めるように鳴く声に2人は振り向いた。


「おやおや……これはちょっとまずいんじゃない?」


「え、ええ。コハくんは頼んだわよ」


 ボクたちの前には3メートルは超える巨大な花が咲いていた。花の真ん中には鋭い牙の生えた口があり、よだれを垂らしている。そいつから伸びた手足のようなつるにシノバンジュウの子どもは絡み取られていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る