第8話 階段を降りていたと思ったら階段に追いかけられていました……いやほんとですって!

 妙に湿っぽい階段を一歩一歩慎重に降りていく。カツカツと足音が反響して大勢の人間から後をつけられていると錯覚する。実際にはアズさんしか後ろにいないのに。


「コハくん大丈夫? 震えてない?」


 アズさんの心配そうな声が静かな階段に響いた。


「だだだ大丈夫です! 怖くなんかありませんよ!」


「へえ~、怖いんだ~?」


「怖くな……わわ!」


 上から突然アズさんに抱き着かれて危うく転びそうになった。覆いかぶさるような恰好で……アズさんの大きな胸がボクの頭に……。


「安心しなよ、コハくんはワタシがぜーったい! 守るから」


 ぎゅ~っとアズさんに抱き寄せられる。お互いの体が密着してアズさんの柔らかな感触が全身を包みこむ。アズさんの心臓の音がトクトク脳に響いて何も考えられなくなる。


――だ、だめだ……これ以上は


「あのねえ、どっちかと言えばあたしの方が守ってるんだけど? 現在進行形でね!」


 前方から、少しトゲトゲしたセシルさんの声が聞こえてきて、とろけかけていた思考が戻ってきた。


「セ、セシルさんもありがとうございます。先頭を歩かせてごめんなさい」


「いいのよ、あたしが言い出したんだから。文句があるのは後ろのバカ触手よ」


「なんだい? せっかくいいところだったのに……」


 アズさんはボクを抱きしめたまま不服そうにつぶやいた。セシルさんは剣を構えて前を見据えたまま鋭い口調で続ける。


「『なんだい?』じゃないわよ。殿しんがりはあんたに任せるって言ったじゃない! それなのにずっとべたべたして」


「え~? だって一階にはそんなに危険な生物はいないんだよね~? それに結構降りてきたし、もう大丈夫だって」


「だからその油断がここでは簡単に命取りになるって何度も言ったのに……。まあ確かに? ここまで来れば、地上から降りてくる生物はまずいないと思うけどね」


 そう、ボクたちはダンジョンの地下に続く階段をひたすら下っているのだ。アズさんはその間ずっとボクを気にかけてくれていた。というより絡まれている。


「結構歩きましたよね。どのへんまで降りてきたんでしょうか?」


「地下1階まで半分ちょっとってとこかしら。ねえ、あんたら本気で最深部にいくつもりなの?」


「はい、話したとおりです。元の世界に帰らないと死んじゃうらしいので」


「ワタシはちょっと寂しいけどね~」


 ここまで降りながら、自己紹介を交えつつセシルさんと情報交換をした。ボクがこの世界に来てからのことを話したら、彼女も自分のことを少し話してくれた。


「セシルさんは人探しをしているんですよね?」


「ええ、正確にはしようとしていた……だけど。コハクを送るついでにと思ってね」


 セシルさんの声には含みがある気がした。まだ隠していることがたくさんありそうだけど、あれこれ聞くのも失礼だよね。


「見つかるといいですね」


「そんなことより、いつの間にか『コハク』呼びになってるじゃないか~?」


 アズさんが不機嫌そうにぼやいた。相変わらずボクは抱きしめられたままだ。すごく歩きにくい。


「べ、べつにいいでしょ! 本名がわかったからそれで呼んでるだけよ!」


「まったく、コハくんを呼び捨てなんて100年早いぞ」


「まあまあ、ボクは気にしてないですから」


 頭に乗せられた胸を押しのけて何とかアズさんの顔を見上げようとする。


――ああ、動いたら柔らかい感触がほっぺたに……


 などと、またしてもイケない考えがよぎったのだったが、それはすぐになりを潜めた。アズさんの右後方の壁が蠢いているのが見えたからだ。いや、壁じゃない! あれは――


「後ろに何かいます!!」


 ボクが叫ぶのが早いか、壁から平べったいトカゲみたいな生き物が飛び掛かってきた。だが、それより早くアズさんは階段を駆け下りていた。ボクは再びお姫様抱っこをされるのだった。


「ナイス、コハくん! 助かったよ!」


「コハク!? どうしたの! 大丈夫!?」


 セシルさんのところまで追いつくと、彼女は鬼気迫る表情で振り返った。


「だ、だいじょうぶです! 壁と同じ色をしたトカゲが急に襲い掛かってきて――」


「っ!? 走るわよ!」


 ボクが言い終わらないうちにセシルさんはアズさんの腕を掴んで走り出した。


――まさか。


「な、なんなんですかあれ!!?」


 後ろを見て血の気が引いた。無数の「階段」が上からどんどん追いかけて来ている。そいつらには目と口があった。


「あいつらは地下1階に生息してる爬虫類よ。周囲の景色に完璧に擬態して待ち伏せするんだけど、まさか階段まであがってきてるなんて……」


「はあ、はあ……あんなの、キミなら蹴散らせるんじゃないの?」


「無茶言わないでよ、さすがにあの数を相手にするのは無理。今は逃げるしかないわ」


 後ろからは大小さまざまなトカゲが追いかけて来ている。セシルさんの言う通り、あれをすべて倒すのは厳しいだろう。


「で、でも一本道だからいつか追いつかれちゃうんじゃ!?」


「心配ない、もうすぐ地下1階だからどこか適当な場所に隠れましょ」


「そっか、セシルさんを信じます! アズさんも大丈夫ですか?」


「ふふ、平気だよ。その言葉があればどこまでも走れるさ」


 ボクが見上げるとアズさんは優しく微笑んだ。やはり、どこかお姉ちゃんと似ている気がする。


「見えた! あそこの植物のツタが生えてるところが出口よ!」


 セシルさんが指差す方を見ると、階段の下に長方形の扉があった。それを縁取るように隙間から植物がはみ出している。


「よし、一気に駆け下りるよ。舌かまないでね!」


「あたしが先に行って扉を開けるわ! ヴァジュラ!」


 セシルさんは一瞬で扉にたどり着き手をかけた。ボクを抱いたアズさんは三段飛ばしで階段を駆け下りてセシルさんが開けた扉に飛び込む。


「セシルさんも……っそんな!」


 扉の向こうではトカゲの群れに囲まれるセシルさんが見えた。ボクはアズさんの腕から降りて手を伸ばす。しかし振り向いた彼女の顔は笑っていた。


「喰らえ、雑魚ども!」


 セシルさんは大剣を居合切りのような構えから横なぎに振る。


風神の扇ヴァーユ・スラッシュ!!」


 セシルさんが叫ぶと同時に突風が巻き起こりトカゲたちを吹き飛ばした。そのすきに彼女は扉をくぐる。


「閉めるわよ!」


 アズさんが頷き三人で扉を押す。バタンと勢いよく扉が閉まった瞬間、トカゲたちがぶつかる音が響いた。まさに間一髪。


「た、たすかったあ」


 ボクはその場にへたり込んで息を整える。


「はぁはぁ……ふう。さ、さすがにワタシも焦ったよ……あはは」


 アズさんが倒れこむように抱き着いてきた。相当疲れたのか荒い息が耳にかかる。


「あんたら、これぐらいでをあげてたら身が持たないわよ」


 セシルさんは全く息が乱れていない。


「ふえ?」


「じょ、冗談……だよね?」


 珍しくアズさんは弱々しい声で囁く。


「いいえ、大マジよ。ここからが、正念場なんだから」


 顔をあげてセシルさんを見る。仁王立ちでボクたちを見下ろす彼女の後ろには――

 

「じゃ、ジャングル……?」


 見渡す限りの緑、緑、緑……地下1階は植物で埋め尽くされていたのだった。

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