第6話 セシルの日記:3 このキモい触手、案外悪いやつじゃないのかも?

「にゃあ~」


 甲殻類の外骨格みたいな瓦礫が床一面に散らばる廊下にかわいい鳴き声が響く。

 シノバンジュウの子どもは触手に巻き付かれたコハくんを見つめて首をかしげた。あたしたち三人も首をかしげる。


「セシルくん、犬の子どもが猫とはいったいどういう……?」


 コハくんの下敷きになっている触手の化け物が切り出した。助けられた恩があるとはいえ、こいつも信用していいものか……コハくんを必死で守っているし少なくとも今は危害を加えるつもりはないのか?


「触手……あー、いや。アズ、とか言ったっけ? 申し訳ないけどあたしも聞きたいくらいよ、あのワンちゃんとはそれなりの付き合いだけど幼体を見るのは初めてだから」


 アズは「う~む」と唸りながら大きな頭部をのけ反らせた。幼体を観察しているのだろう。あたしは構わず歩み寄った。


「ともかく、この猫ちゃんは危険じゃないみたいだし」


 あたしが抱きかかえても特に抵抗する様子はない。ぽわぽわの毛が仔猫そのものだ。


「連れてってワンちゃんに会わせてみましょう。コハ……はもう動ける?」


――うう、恥ずかしくて「くん」って言えない。って今はそんなこと考えている場合じゃないわ!


 放心していたのかコハくんは少し間を置いてから答えた。 


「……あ、まだ力が入らないです。色々びっくりしちゃって」


――そうだよね! 腰抜かしちゃうよね! それなら……


「大丈夫、ワタシが運ぶよ~。よいしょ」


――ああ、コハくんお姫様抱っこされてる……あたしがしたかったのに。あんな触手でねとねとにされて。


「ありがとうございます。でもちょっと恥ずかしいな……」


「ふふ、コハくん顔真っ赤だねえ」


「み、見ないでください!」


「やーだ☆」


――目の前でいちゃつくな! コハくんもなんで触手相手にデレデレしてるの!? やっぱり催眠? ともかく話を変えなきゃ。


「あー! あー!! 二人とも、あたしの部屋に行くわよ!!」


「ここじゃダメなのかい?」


「ダメ! 相手は次元生物ディメンショナーなんだから万全を期して待つの。ほら、さっさと行くわよ」


「はいはーい……」と返事をしてアズは周囲を見回していたが、ある一点を見つめて肩を落とした。


「あちゃ~、タキオンライダー壊れちゃってるよ」


「ああ、さっきまで乗ってたやつ? 大丈夫よ、このまま歩いていけばすぐに着くわ。この廊下は円状で元の道に繋がってるの」


 ぴょんぴょん瓦礫をよけながら進む。結構激しく動いているのに腕の中のシノバンジュウの子どもは相変わらず大人しい。これが凶暴な怪物になるなんて信じられないが、次元生物には常識は通用しないのだ。


「ちょっと~、もう少しゆっくり進んでよ」


 振り返るとぬめぬめと触手を引きずるようにアズがゆっくり進んでいた。早く動くことは苦手なのだろうか。


「これぐらいで情けないわね、ぐずぐずしてるとワンちゃんに追いつかれちゃうでしょ。あ、それならあたしがコハ……を運ぶわよ」


「遠慮するよ」


――即答!?


「なんかごめんね……」


――コハくんまで!? 苦笑いが突き刺さるわ……。


「それより、目の前の壁はどうするんだい」


 前に向き直ると瓦礫のバリケードが目に入る。反対側に作られたもう一つの壁だ。


「ああ、これね。猫ちゃん、ちょ~っと動くわよ」


「にゃ?」


 片手で猫ちゃんを抱きなおしてあたしは跳躍した。背中の大剣を抜いて振りかぶる。


「問題、ない!!」


「にゃああああ~!!」


 自由落下に合わせて渾身の力を込めて振り降ろす。


――八つ当たりに瓦礫山を切り裂いてやるわ!


 さすがの猫ちゃんも泣き叫び、土煙をあげて着地したときには目の前に道が切り拓かれていた。


「さ、進むわよ」


「セシルさん、すごい……」


――あーー!! やっちゃった!! 完全にやばい女認定された!! もう~~!!


 あたしは逃げるように瓦礫の谷を駆け抜けた。コハくんが何か言っているのが耳に入るが振り返る勇気はない。一刻も早くここから立ち去ることで頭がいっぱいだった。



◇◇◇◇



「うわあ、完全に歪んじゃって動かない」


 一直線に部屋まで駆け戻ってきたあたしは開けっ放しのまま動かない鉄扉の前でうなだれていた。蹴っ飛ばした衝撃で蝶番ちょうつがいが壊れてしまったようだ。


「はあ~、これだから中途半端に頑丈だと力加減が面倒なのよ。シェルターに使えたかもしれないのに……」


「にゃ?」


 腕の中の猫ちゃんがあたしを見上げて不思議そうな調子で鳴いた。すると腕を抜け出してあたしの部屋に入ってしまった。


「あ、ちょっと! 勝手に行くと危ないわよ」


――あんなに大人しかったのに急にどうしたのかしら? もしかして勇気づけようとしている?……まさかね。


 背中を押されるようにして部屋に入ると猫ちゃんはベッドで丸くなっていた。ミョウジョウナキは突然の来客に豆鉄砲を食ったような顔で固まっていたが騒ぎ出す様子はない。


――休みたかっただけ? まあ、考えても仕方ないか。今はワンちゃんを迎え撃つ準備をしなきゃ。


「えーっと、ヨビゴエの粉薬と、アブクガエルの塗り薬はー、この棚に……あったあった」


 部屋に入ってすぐ右の棚から大小二つの小瓶をつまみ上げる。小さい方に入ったキラキラ光っているのがヨミノヨビゴエの羽を粉末にした薬で、腫れをひかせる効能がある。大きい方のジェル状の液体はアブクガエルという次元生物の体液を煮詰めたものだ。このカエルは口から吐き出した泡で全身を覆って身を守っている。泡は体液を膨らませたもので強い止血作用があるのだ。


「コハくんが怪我したら大変だからね。それと鎧も新調しておこうっと」


 薬の入った小瓶を巾着袋に入れて床に置いてから壁の装置に背中を預ける。四方のアームが動き出し光を照射すると鎧の破損した箇所が徐々に修復されていく。見つけた報告書によると「ナノマシン」が関係しているらしいが詳しいことはわからない。


「用意はこんなところかな、ん~」


 窮屈なところまですっかり元通りになった鎧を背伸びして体に馴染ませていると、コハくんの声が聞こえてきた。


「セシルさ~ん!!」


――あたしを呼んでる!?


「にゃ!?」


 あたしはベッドの猫ちゃんを抱きかかえてスキップで出口まで向かった。

 

「待ってたよ~!」


 などと浮かれ軽い足取りで部屋を飛び出したあたしは、自分が来た廊下を向いて瞬時に血の気が引いた。


「たすけてくださーーい!!」


 コハくんを抱きしめ、触手を伸縮して跳躍しながら駆けてくるアズ。そのすぐ後ろにはワンちゃん、シノバンジュウが唾液をまき散らして追いかけて来ていた。


「まずい!」


 言うが早いかあたしは全速力で駆け出していた。距離は数10メートル、ヴァジュラの負荷で折れた脚も殆ど治りかけている。


――間に合う!!


「にゃにゃにゃぁ~!!」


――猫ちゃん、もうちょっと我慢してね。


 コハくんとの距離はぐんぐん縮まる。


「セシルくん! 頼んだ!」


 すれ違いざまにアズと目が合う。アズの目は真っ黒なただのくぼみだったが確かに強い意志を感じた。


「あんたはコハくんを安全なところに!」


 後ろから「ああ!」と返事が返ってくるが振り返らない。今はワンちゃん、シノバンジュウを!


「お願い、落ち着いて! この子を見て!」


「にゃにゃ~♪」


 あたしは立ち止まり両手をかかげてシノバンジュウに子どもを見せた。


「ぐるる……」


 シノバンジュウも立ち止まって子どもを見ている。三つの顔すべての視線があたしの腕の先に向けられている。


「と、止まってくれた。うまくいったの?……いや様子がおかしい」


「ぐるぅあぁあ!!」


 シノバンジュウは目をぎょろりと大きくして大口を開けた。鋭い牙が猫ちゃんごとあたしをかみ砕こうと近づいてくる。


――怒りで我を忘れているんだわ。読みがはずれた!


「よけなきゃ……いたっ!?」


 後方に飛びのこうと力をこめたら足首に痛みが走った。まだ治りきっていなかったのだ。見上げるともうすぐそこに赤々と湿った口が迫っていた。


「しま――」


『ぎげげげげげげげ!!』


 突如、悪魔の笑い声のような音が響き渡る。


「ぐるあ!?」


 獣の口はあたしから遠ざかった。いや、三つの頭を大きく振っているのだ。よく見ると何かひもが絡まっている。あれは……ヨミノヨビゴエのワイヤートラップ!?


「ぐが!?」


 ワンちゃんは動転しすぎて頭同士をぶつけてしまった。そのまま、どすんと崩れ落ちる。


「気絶した? たすかった……あえ?」


 足の痛みと気が緩んだことでつまずき、あたしの体は軽く宙を舞った。


「大丈夫かい、セシルくん!」


 駆け寄ってきたアズに肩を支えられる。ぬめりとした触手の感触はちょっぴり気持ち悪いがぬくもりがあってなんとなく嫌ではないと思えた。


「アズ!? あれはあんたが投げたの? いやそれよりコハくんは?!!」


「ちょっとちょっと、落ち着いて。コハくんはあそこに隠れてるから安心しなよ。あれが君の部屋なんだろう?」

 

 アズは振り返り、触手であたしの部屋を指し示した。


「え? ええ。そっか、コハくんも無事なのね、良かった」


 安堵と疲れであたしはへたり込んでしまった。


「おいおい、本当に大丈夫かい。ま、作戦が失敗して死にかけたからね、無理もないか」


 アズはいびきをかいているワンちゃんを見上げて言った、あたしは弱々しくうなずくしかない。


「こうなったら、もう下に逃げるしかないかな」


「うん、地下までは追ってこない……と思う」


「よし、ならこいつが夢をみているうちに地下に降りよう。さあ」


 アズは粘液まみれの触手をあたしの眼前に突き出す。


「君も一緒に行こう!」


――え?


 アズが一瞬、笑顔で手を差し伸べる綺麗な女性の姿に見えた気がした。

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