第5話 異次元のおねえさんは胸も異次元級にふかふかでした。
「あ……ああ」
目の前でセシルさんが大きな獣の手に弾き飛ばされた。凄まじい速さで獣が右腕を振りかぶり横なぎに払う。その動き全てが見えていたのにボクには何もできなかった。鋭い爪で引き裂かれ飛び散った彼女の血でボクの足元が赤く染まっている。その血だまりに大剣が無残にも沈んでいる。
獣は再生させた三つのゾンビ頭からよだれを滴らせてにじり寄って来る。ごぽごぽと水っぽい音の混じった唸り声が薄暗い廊下に響く。
「コハくん!」
アズさんがボクの前に飛び出して両手を広げた。
「おい、化け物。コハくんを食べたかったらまずはワタシからにするんだね」
アズさんは獣を指さして挑発している。その声は自身に満ちた力強いものだった。
でもダメだ。ボクは獣が左手でアズさんを攻撃しようとしていることを直感的に理解した。ボク自身でも不思議だけど視線、筋肉の収縮、息遣い、獣の発する僅かなサインからわかってしまう。
――前までこんなことできなかったのに……。とにかくこの力があればボクも役に立てるかもしれない!
「右上から攻撃がきます! さがってください!!」と伝えようと口を開こうとしたときには、獣の左腕は既にアズさんのすぐ上に迫っていた。瞬時に動きを予測できても口に出す頃には終わっている。思考に体がついていけないんだ。
――また見ていることしかできないのか、クソ!!
足掻くように手を伸ばしたそのとき、凛とした声が響き渡った。
「
電光のように右から飛んできたセシルさんが大剣を拾い上げ、身をよじってそのまま獣の爪を弾き飛ばす。獣の爪は根元から切断されて破片が飛び散ったが、セシルさんも獣のひと振りを受けた衝撃で血だまりに叩きつけられた。
「セシルさん!!」
「コハ……! 逃げ、なさい!」
駆け寄ろうとする足を、絞りだしたようなセシルさんの叫びが制止した。彼女の両腕はだらりと投げ出されて動く気配もない。片方の足は膝からありえない方向に曲がってしまっている。だが、全身を鮮血に濡らして地に伏して尚、セシルさんの瞳ははっきりボクを見据えている。目が合うとセシルさんの視線は促すように上に向かった。
「い……ま、よ」
釣られて顔を上げると、目を潤ませた獣が指先をぺろぺろ舐めていた。
「今です! 逃げましょう、アズさん!」
ボクは考えるより先に叫んでいた。アズさんは答える代わりに上着からスマホのような端末を取り出す。
「やっとコハくんの力になれるね」
そう言ってアズさんが端末を操作すると、どこからともなく機械的な見た目のボードが出現した。
「ええ!? 何ですかそのスノーボードみたいなの!!」
「説明はあとあと! 早く乗って!」
アズさんはセシルさんを担ぐとボードをボクの前に放り投げた。ボードは低空で静止して浮いている。
「え? ええ!?」
恐る恐る足をかけるが、空中に固定されたようにびくともしない。続けてアズさんも飛び乗るが少しも揺れることはない。
「さあ、いくよ」
戸惑うボクにアズさんは不敵にほほ笑む。その後ろで獣の頭のひとつがこっちの動きに気づいて牙を剥くのが目に入った。
「まずいです!」
「大丈夫、しっかりワタシにつかまっててね♪」
言われるがままアズさんの腰に手を回す。機械のようなスーツは見た目よりも柔軟性があって、手のひらに伝わる感触は素肌そのものだ。
――なんか、裸の体を触ってるみたいで……ちょっと恥ずかしいな。
そんな恥じらいはアズさんが掛け声を上げるのと同時に吹き飛んだ。
「『
アズさんがウインクしてボードにつけられたペダルを蹴ると爆発的な初速でボードが進みだした。振り落とされないように夢中でアズさんを抱きしめる。
ボードはそのまま直進して再び振り下ろされた毛むくじゃらの腕をかわしつつ獣の股の間を抜けた。振り返ると獣が走って追いかけて来ていたがボクらとの差は離れる一方。ボードに目を落とすとキラキラした光の粒のようなものがこぼれるように尾を引いているのが見えた。
「わわわわ!! どうなってるんですかこれえ!?」
「すごいでしょ~! 詳しい仕組みはワタシも知らないけど、タキオン粒子で動いてるらしいよ!」
「知らないって、アズさんが作ったんじゃないんですか!?」
アズさんは前を向いたままさっきの端末を取り出してボクに見せた。
「これで“出した”んだよ。『
「すごい! なんでも出せるんですか!?」
「まあね~、でも一回使うと充電がなくなっちゃうんだ~っと」
アズさんは器用にボードを操って分かれ道を左に曲がった。ボクはバランスを崩しそうになり慌ててアズさんにしがみついた。
「あんっ……コハくんどこ触ってるの?」
アズさんは変な声を出してびくっと体を震わせた。そこでボクは両手にとてつもなく柔らかいものがあることに気づいた。
「コハくんも男の子だね……」
「いや、その、これはちがっ……」
ボクはアズさんの豊かな双丘をがっつり鷲掴みにしていたのだった。離したくても落っこちちゃうからできない。そう、これは仕方のないことなんだ。えっちなことを考えちゃだめなんだ。
それにしても……スーツ越しなのに、指が食い込んでいってまるで直接触っているみたいで……いやいやいやだからそんなこと考えちゃ――
「あんたら……いつまでいちゃついてるのよ」
アズさんに担がれたセシルさんが不機嫌そうに呟いた。
「セシルさん!? 良かった! 喋って大丈夫なんですか?」
「平気よ。ちょっと訳ありでね、これくらいの傷はすぐにふさがるわ」
確かに砕けた鎧の隙間から見える傷口はもう血が止まりかけている。驚くべき回復力だ……この子も一体何者なのだろうか。
「それより、あたしを助けてどうするつもり? 巣に持ち帰って食べるの?」
セシルさんは眉間にしわを寄せてアズさんの背中をにらみつけている。
「まだ言うか……。あのねえ、あの状況で放っておけるわけないじゃないか」
「は? 本当にそれだけ? ただ助けただけなの……?」
セシルさんはまだ納得のいっていない様子だ。
「だからそう言ってるじゃないか。頼むから暴れないでくれよ」
「しないわよ、この子も巻き込んじゃうし」
ボクのことを気にかけてくれていたんだ。やっぱりいい子だ。そう思ってセシルさんの顔を見たらそっぽを向かれてしまった。
「へえ……? それってどういう意味かなあ? 言っておくけどコハくんはワタシのものだからね」
アズさんは低い声で釘を刺した。けど、それならボクにも言いたいことがある。
「ボクは誰のものでもないです」
「ふ〜ん、人のおっぱいをこんなに揉んでおいて?」
「ももも揉んでないですよ!! 落ちちゃうから必死で!!」
「うんうん、そうだよね、仕方ないよね。どさくさに紛れてえっちなことしちゃってもコハくんは悪くないよ」
あーもう! 意識しないように頑張っていたのに、本人が声に出して言うから全神経が手のひらに集中して……。
指先から手首まで両手全部に感じるふにゅっとしたマシュマロみたいな感触に、ボクはとてつもない羞恥心と罪悪感、それとなんだかわからない幸福感でいっぱいになった。
「おやおや、体は正直だねえ。ワタシので良ければ好きなだけ――」
「ゴホンゴホン!! どうやら撒けたみたいね!!」
セシルさんの大声が危うい雰囲気を切り裂いてくれた。助かった……けどちょっと残念に思うボクもいて……そんな気持ちをかき消すように振り向くと本当に獣はいなくなっていた。
「ふうん……じゃあどこかに隠れるかい?」
アズさんは不満げな様子を隠そうともせずに呟く。
「だめ、あのワンちゃん……シノバンジュウは鼻が利くからどこまでも追ってくる」
「それじゃ逃げられないってことですか……?」
シノバンジュウ、見かけ通り恐ろしい生き物のようだ。
「面倒だねえ、やっぱり倒すしかないんじゃない?」
「それも絶望的ね。あたしは確かに三つの首を斬り落としたのに死ななかった……それに、できれば殺したくない」
セシルさんは顎に手を添えて少し考えていたがハッと目を大きくさせた。
「あの子、最近子どもが産まれたのよ! このまま行くとワンちゃんの住処があるはず……そこで子どもを見せれば大人しくなるかもしれないわ」
「あれの子ども? 大丈夫なのかい?」
「鳴き声だけで見たことないけど、生まれたばかりだからまだ小さいはず。巣の周りが瓦礫のバリケードで覆われててうかつに近づけなかったのよ」
「瓦礫……? もしや、あれのことかい?」
アズさんの脇から顔を出してみると、はるか遠くの通路の先が瓦礫で埋め尽くされてふさがれていた。
「多分あれですよ! アズさん止まってください」
このままではすぐに衝突してしまう。だが、アズさんは黙ったまま。ボードの速度は緩むことはない。
「ねえ! ぶつかっちゃうでしょ! 聞いてるのあんた!?」
「アズさん……?」
アズさんはゆっくりと振り向くと片手を後頭部に置いてウインクした。
「ごめん、止め方忘れちゃった☆」
「はあああ!?」
「ええええ!?」
瓦礫はもう眼前に迫ろうとしている。
「二人とも私の服の中に!」
アズさんは素早く振り返りボクとセシルさんを上着で包み込んだ。と同時に風船のように膨らんで、まん丸になる。ボクは思わず二人を抱きしめた。
「大丈夫だよ」
アズさんは優しくボクの頭を撫でてボードから飛び降りた。次の瞬間、ボードが衝突してものすごい音とともに瓦礫が飛び散り、ボクたちはごろごろ瓦礫の向こうに転がっていく。ボクは必死でアズさんにしがみついていることしかできなかった。
めちゃくちゃに転がり進むが徐々に勢いは弱くなっていき、やっと止まった。
「コハくん、怪我はないかい?」
仰向けでボクを抱いたままアズさんが言った。いつの間にか服は元通りになっている。
「は、はい。ちょっとふらふらしますけどへーきです」
「びっくりしちゃったよね。ごめんね」
泣きそうな顔でアズさんはボクを再び抱きしめた。やっぱり、悪い人じゃない……よね。
「大丈夫ですよ、ありがとうございます」
ボクもアズさんを抱き返す。
「ちょっと疲れちゃって……しばらくこのままでいいですか……?」
「うん、うん……」
――お姉ちゃん、ごめん。ボク、アズさんのことも……
「え、えーっと……お取り込み中悪いんだけど」
セシルさんのとても気まずそうな声が聞こえた。既に立ち上がって周囲を見回していたようだ。
「……ああ、セシルくんも大丈夫そうだね」
優しげな声でアズさんは答えた。本当にセシルさんのことを心配していたんだろう。
「まあね。助かったわ……ありがと」
「どういたしまして、誤解は解けたかな?」
2人とも、なんだか雰囲気が柔らかくなってる? 気になって顔をあげると、セシルさんは微かに笑っているようだった。ちょっとだけ仲良くなれたのかな。
「一応お礼は言っときたいだけ、それとこれとは別よ……あ!」
セシルさんの視線の先、瓦礫の上から小さな影がジャンプしたのが見えた。華麗に着地した影はてちてちボクの方に歩いてくる。
「っ! コハくん、もう動ける!?」
「ぅぐ……無理そうです」
「大丈夫よ、多分危険はない。何かあればあたしが動くから」
「……頼んだよ」
小さな影はボクたちの前まで来ると立ち止まって、品定めをするようにチラチラ見ている。いや、というか
「この子があのでっかい犬の子ども?」
くりくりとした大きな目がボクを見つめている。ひげの生えた丸っこい顔。ちょこんと立った大きな二つの耳。首に短いたてがみがあるけどこれは――
「「「
声を合わせてツッコんだボク達に返事をするようにシノバンジュウの子どもは「にゃあ〜」と鳴いた。
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